慈濟傳播人文志業基金會
地震の後に善が循環する  その変化は自分から

私の善への道

ボリス・ガルシア
(Boris Garcia)
プロフィール:
エクアドル出身
マナビ州在住
年齢・37歳
職業・建設業
信仰・カトリック教
心の歩み:
 
エクアドルで災害が発生した時、
證厳法師の導きで慈済ボランティアが被災地に駆けつけ、
人々に善い方向を示してくれた。
私は今、慈済ボランティアになり、
もっと多くのエクアドル人を助け、
善の循環を絶やさないようにと願っている。
 
南アメリカのラテン風情に満ちたこの国土には豊富な人文背景と自然の景色がある。有名なペルーのインカ文明の古城マチュピチュ、そしてサッカーと情熱的なサンバ・カーニバルで知られるブラジルなどが隣接する。南米大陸の北西部に位置し、太平洋を隔てて台湾とは距離にして一万六千七百キロも離れていながらも同じ「バナナ王国」と言われるこの国は、赤道が国土を横断しているため、スベイン語の赤道(Ecuador)からその名が付いた。
 
慈済とエクアドルとの縁は二〇一六年四月に遡る。マグネチュード七・八の強い地震が太平洋沿岸のマナビ州を襲った年だ。慈済ボランティアはカノア地区、マンタ地区、ペデルナレス地区等の被災地に入り、被災者と復興支援を契機に縁を結んだ。
 
慈済は災害支援の期間中、「被災者労働雇用による復興制度」を実施して住民に強い印象を与えた。三年来、慈済人医会は幾度も施療を行い、継続的に貧しい患者の病気を治療してきた。強震で崩壊した長い歴史を持つカトリック教会、カノア教会も慈済を含む異なる宗教や国籍の人々の善意と愛の協力の下に今年、完成し、再びカノア住民の心の拠り所となっている。
 
三年の歳月を経て、エクアドルの地元ボランティアで、当時教会再建の背後の重要人物の一人であったボリス・ガルシアは、去年十一月に来台し、慈済ボランティアの認証を受けた。彼の法名は「本嘉」である。

喜んで隣人を助けたい

十五世紀、エクアドルはスペイン統治の影響で、住民の七割以上がカトリック教徒となったが、ボリスも例外ではない。大地震の後、彼は台湾からやって来た仏教団体である慈済と出会い、色々な国や地域から来た慈済ボランティアが数えきれない程の時間とお金を奉仕に費やし、一つの事を成し遂げるために、絶え間なくエクアドルとの間を行き来して来たことを目にした。それは、カトリック教、仏教又はその他の信仰を問わず、地震で困難に陥った人々を助けるためだった。
 
「慈済は他のNGOとは全く違う!」緊急支援の期間中、慈済ボランティアはエクアドルに四十日間余りも駐在した。最初、ボリスは通訳ボランティアでしかなかったが、その期間中、彼はボランティアたちが住民にどれだけの希望と自信を与えていたかを目の当たりにした。
 
被災者の支援には物資の配付や義援金など様々な方法があるが、慈済は「被災者労働雇用による復興制度」を取り入れたことで、住民は受け身の援助ではなく、自ら被災後の復興に参加すると同時に収入が得られたのである。そういう方式は人々に尊厳を与え、笑顔を取り戻させると共に、人々の力を結集させることができた、とボリスは思う。
 
このような支援方法は更に住民の考え方にも変化をもたらした。以前であれば、「何故隣人を助けないといけないのか」と思っただろうが、今は自ら進んで他人を助け、寄り添うようになった、とボリスが言った。
 
この劇的な変化は、ボリスを躊躇なく慈済に参加させた。
 
ボリス(右から一番目)は教会の再建工事に携わった住民を励ました。(撮影・葉晉宏) 去年七月、カノア教会が落成し、七百人を超える住民が喜びと共に敬虔にオープニング・セレモニーに臨んだ。(撮影・段岱佳)

正しいことは辞せず

ボリスは建設業を営んでおり、仕事は忙しかった。しかし、慈済の任務で彼の協力が必要な時は仕事を脇におき、アメリカの慈済ボランティアと一緒に被災地の視察に出かけた。物資の配付でも施療でも、七日間から半月ほどはかかる。教会の再建期間中、彼は一言も文句を言わず、自宅のマンタ市から教会のあるカノア町まで毎日四時間ほどかけて往復した。
 
妻のエリサは彼の選択を百パーセント支持しただけでなく、一緒にボランティアとして、教会再建期間中、炊き出しチームに参加し、食材の買い出しや菜食の奨励を担当した。
 
夫婦二人はいつも仕事と家庭を掛け持ちし、ボリスは朝早くに家を出て、夜遅くまで働き、週末も家族と一緒に過ごせるとは限らなかった。しかし、家族はボリスがしているのは「良いこと、正しいこと」だと分かっており、彼の強い後ろ盾となっていたので、彼は余計にボランティアの任務に専念することができた。
 
エクアドルのボランティア数は多くないが、ボリスと同じように今年認証を受けたジェニファーは、人々と一緒に学びながら奉仕できることをとても幸せに感じているという。
 
皆それぞれ異なる地区に住んでいて、普段集まるのが難しく、「距離」が彼らの志業を進める最大の妨げになっている。しかし、ボリスとジェニファーは上手く週末や休日を使って、車でボランティアが居る所に行って集まり、新人ボランティアに慈善ケアの養成を行っている。
 
●被災地域にあるカノア教会は去年7月再建を終え、ただの地震後立て直した教会だけではなく、住民の心の拠り所である。教会の本堂のほかに、神父の宿舎と修道女の宿舎があり、読経用と職業訓練用の教室もある。(撮影・門海梅)

善の循環は止まらない

慈済ボランティアの道を歩むボリスは何も求めていない。「何故なら正しいことをしているから」だという。教会再建の間、何度も障害や挫折を経験し、非難や中傷を受けても「正しいことをする」という信念を持っていたため、周囲の影響に左右されることなく、再建の重責を担っただけでなく、僅か十五カ月という短い期間で教会の再建を果たしたのである。
 
カトリック教徒の巡礼の旅は世界各地に及び、聖地へ続く路として残されている。スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」程有名ではないが、自分が住んでいるマンタ市から二十キロの距離に、まるでムスリムのメッカのように、エクアドル人にとって一生に一度は行かなくてはならない聖地がある。それがモンテクリスティ(Montecristi)である。
 
今のように世代が交代するようになると、宗教信仰の力は次第に弱まり、聖地への巡礼は時には体力と気力への挑戦になっている。しかし、変わらないのは「善」が信仰の核心であり、多くの人は異なる形式で各自、善の道に向かっていることである。
 
二〇一六年、エクアドルに災害が発生した時、法師の慈悲に啓発された慈済ボランティアがエクアドルに来た。それによってエクアドルの人々は支援とケアが得られ、人々は互いの交流で良い方に向かい、彼はそれをもって善への道を歩み始めたのだ、とボリスは振り返った。
 
今、彼は台湾の慈済を訪れている。敬虔な心で養成講座に臨み、学習した後、ボランティアの認証を受けたのである。その全てはまるで善の循環のようだ。何故なら、彼はここで学んだ真髄をエクアドルに持ち帰って実践するつもりだから。これからも、彼は継続して花蓮に帰って精進し、学び、エクアドルで助けを必要とする人を助け続ける、と言った。
 
この善への道には終わりはなく、絶えず進むだけだ、とボリスが言った。
(慈済月刊六三七期より)
NO.278