慈濟傳播人文志業基金會
愛と平和を教える校長

私の善への道

クーマ・セリア
(Cuma  Serya)
プロフィール:
トルコに住むシリア人
年齢・52歳
職業・マナヘル国際学校
 (El Menahil Syria school)の校長
信仰・イスラム教
心の歩み:
 
信仰と憎しみは同時に存在できない。
人々が愛を受け入れる時、
彼らはそれを他の人と共有するようになる。
證厳法師が諭してくれたように、
私はすべての人間が助け合い、
愛し合うことを願っている。
 
シリア内戦が勃発してから、五百六十万人を超える人々が故郷を離れ、そのうち三百六十万人が隣国のトルコに逃れた。二○一四年、イスタンブールの慈済ボランティアは市内の難民救済を開始し、物資を配付し、施療センターを立ち上げ、マナヘル学校を創設した。中でも難民のクーマ教授は重要な役割を果たし、慈済ボランティアと一緒に、一万を数える難民世帯のための慈善救済を行い、マナヘル学校で三千人以上の難民の子供たちに教育の場を提供した。今年、 クーマ教授は台湾に来て、シリア人最初の慈済ボランティアとして認証を授かった。
 
慈済もその原則と法脈を持っているように、私たちは、すべての民族とすべての宗教には学ぶものがあると信じている。私は慈済から物より精神が大切であることを学んだ。物質的なものは、与えられると使い終わる時が来るが、そこに宿っていた魂は残るものである。これは、慈済がやってきたことであり、難民に別の何かを与えること、即ち彼らの意識を高めようとしているのだ。つまり、愛、人道、慈悲と智慧に満たされる高みへと導きたいと願っている。
 
イスラム教と仏教には違いもあるが、例えば倫理、道德、仁道、善行など、多くの類似点がある。最近、私は台湾での慈済海外研修会で一つの結論を得た。すなわち、證厳法師が開示した人生の道理と生活の規範はすべての正しい信仰に当てはまり、善行はどの宗教においても共通している。
 
これを聞いたとき、證厳法師はイスラム教徒に改宗してほしいなどと望んでいるわけではなく、彼らがより敬虔なイスラム教徒になって欲しいと望んでいることを慈済人が世に知らせてくれることを私は願った。
 
●金曜日はイスラム教では「金曜日の合同礼拝」 と呼ばれるが、クーマ教授(左から1人目)の此の度の訪台では、慈済ボランティアが彼と他のイスラム教徒を伴って台北にあるモスクに行ったので、礼拝を無事に行うことが出来た。
イスラムという言葉は、サラームという言葉から来ている。これは平和を意味する。人はアッラーによって彼の代理人として創造され、被造物の中で最高位に位置づけられた。人には、生まれながらにして平和と善行の本性を持っている。アッラーは『コーラン』の中で、イスラム教徒だけが良い人になるのでなく、誰でも善行をすることができると述べている。
 
聖人ムハンマドは私たちに「あなたが世間に寄付した十銭は、最後の審判では山と同じくらい価値がある!」と言った。アラーは人に憐憫を与えて、天国へと導く。天国に行く道は数千、数百あり、すべての方法が利用できる。動物を愛護することも、飢えた人に食べ物を施すことも、たとえ小さな奉仕であってもその行いが天国への導きとなる。
 
私たちは審判の日に現世での行いに対して審判が下されると信じている。その日、良い人は彼の良い報いを受け、悪い人は悪の報いを受ける。アッラーは厳しい裁きを決定する力を持っている。例えば戦争を引き起こし、残酷なことをした人々に対して裁きを下すのである。 また善報を与えることを決定する力もある。例えば平和で愛の種をまく人々に対してである。
 
『コーラン』には「誰かが一人でも殺すことはみだりに世界を殺すに等しく、誰かが一人を救うことは世界を救うに等しい」とある。『コーラン』では、人々の相互殺傷は明らかに禁止されている。実際、アッラーは「私があなたをこの世界に送ったのは、すべての人類に親切に接して救うためであり、殺し合うためではない」と啓示された。アッラーのすべての使者には共通点が一つある。彼らは仁慈で、愛があり、平和を愛しているという点だ。イスラムでは、アッラーは善と平和への道を創造している。
 
アッラーのおかげで、今では慈済マナヘル国際学校の生徒たちは正にたくさんの愛を持つようになった!
 
思えば二○一四年は学校の設立について話し合うためにイスタンブールのスルタンガジ市政府を訪問した年だ。副市長にシリアの子供たちが今教育を受けられないことが大した問題ではないと思わないでくださいと言った。実際、彼らが文盲になった場合、将来国全体が影響を受けることになるのだ。その時は、警察官と軍隊を増やして、数倍の費用を払っても、社会の安全を保証できるものではないはずだ。
 
私たちは三千人の子供たちを支援したが、これら三千人の子供たちの背後には三千の家庭がある。これら三千の家庭がもたらすものは、将来の三万の家庭の安全と希望である。また、マナヘル学校は、子どもたちを救い、社会全体に安全と安定を提供する機会を与えている。
 
台湾から慈済が助けに来てくれたおかげで、これらの子供たちは愛の本当の意味を理解できるようになった。あなた方に教育を受けさせたいと遥か遠くから援助に来たのはなぜなのか、それがどれほど得難いことかについて、子供達に話して聞かせた。この善の行いにどう応えたらよいか、考えてほしかったからである。
 
●自身もすでに祖父であるクーマ教授(右から1人目)は生徒を孫のように見ている。彼は2018年10月にマナヘル国際学校の校長になり、難民の子供たちに基礎知識とシリアの祖国の文化を学ばせることに取り組んでいる。(写真提供者・余自成)
 
イスラムは慈悲深い宗教であり、人は皆互いに平和で仲良くするようにと子供たちに教えている。信仰と憎しみは同時に存在できない。だから、愛以外のマイナス思考の考えを持つべきではない。人は愛を受け入れると、更に広めていくことができる。
 
たとえば私たちの卒業生アハマド・イネドだが、通学リュックを背負って戦火を逃れて来た当時は、トルコで勉強を続けたいと考えていた。到着後は予想外にも毎日の生活に追われて不法就労者になってしまった。そこでは彼は勉強することができなかったので、いつもまだ学校にいるときの自分を想像していた。
 
その後慈済が彼を助けて学校に通わせてくれた。彼は援助してもらった金額をドルに換算して小さいノートに記入している。彼は次のように言った。「私より助けを必要とする人々を助けることができるように、私は将来慈済にこのすべてのお金を返したいと思っています。勉強することができなかった私が今では大学へ行くことができて、人生が変わってきたのですから」。
 
マナヘル國際学校のは小学校から高校まであり、今年は百三十六人のシリア学生に対してそのままトルコで大学へ進学できるよう支援している。四年間ですでに大学を卒業して大学院に上がった学生もいる。彼らもボランティアとしてこの社会に還元している。これこそが私たちの希望することなのである。
 
難民にとってマナヘル学校の存在は、私たちにとっての水と同じくらい重要であるといえる。慈済の援助により子供たちは教育を受けられるようになり、難民の人生もこの学校のおかげで変わり始めている。私たちの感謝を表すことができる言葉は見つからないが、善行を積むことで、いつか少しでも還元できるようにと願っている。
 
●シリア人として初めて認証を授かったクーマ教授は、祖国に慈済という善の種を持ち帰る願を立てた。
また、ここで慈済が行ったことは一つの世代全体を救い、彼らを生まれ変わらせたのだということが、いつか歴史に記録され、全ての人に語り継がれる日が来ると信じている。
 
慈済は世界中の人々が一緒に善行を行えるように働きかけている。今日、私は證厳法師の認証を受けに台湾に来た。これは一緒に善行ができるという証である。證厳法師が諭してくれたように、私はすべての人間が助け合い、愛し合うことを願っている。
 
この場を借りて心から法師の健康を願っており、私たちは常に法師に感謝している。また、私はすべての慈済人に伝えたい。あなたたちが私の兄弟姉妹であり、祝福されたグループであるから。何時何時までも善意が絶えることのないように、常に善いことをしてください!
(慈済月刊六三七期より)
NO.278