慈濟傳播人文志業基金會
最も危険な場所で 最も貧しい人のために

私の善への道

ズッキ神父
(Fr. Zucchi Olibrice)
プロフィール:
ハイチ人、
首都ポルトープランス在住
年齢・66歳
職業・カトリック教会の神父
心の歩み:
 
愛に勝るものはありません。
證厳法師も同じ考えだと思います。
法師が「誰でも心に仏性を持っている」
と言うのはそのためです。
私にとっては、神が私に内在しています。
同じような道理なのです。
 
ズッキ神父は、先日インタビューで『あなたの願いは何ですか』と尋ねられた際、誰もがきれいな水と食べ物を得られること、と答えたのです」。
 
ボランティア認証式の演壇で、ハイチ(Haiti)のズッキ神父が話を始める前から、司会兼通訳を担当したアメリカの慈済ボランティア陳思晟さんは目を潤ませていました。
 
救済活動の経験が豊富なボランティアに涙を流させたのは、想像を超えた貧苦でした。世界銀行の統計によると、ハイチの二○一八年の国民平均年収は八百ドルで、西半球で最も貧しい国です。そしてその首都ポルトープランス(Port-au-Prince)で最も貧しく、犯罪率が高いのがシテ・ソレイユ(Cite Soleil)とラ・サリーヌ(La Saline)の二つのスラム街です。子供たちはごみだらけのたまり水をすくって飲んでいます。住民はトタンやビニール、木ぎれで作った掘っ立て小屋に住み、満足な食べ物もありません。
 
アメリカの慈済ボランティアは貧困中の貧困に苦しむ人々を救おうと、地元で四十年にわたり活動するズッキ神父を探し出し、協力して白米等の配付や温かい食事の提供などを行うことにしました。そして、今日まで七年にわたり、大勢の人々を支援してきました。ズッキ神父は慈済の取り組みに大変感動し、はるばる米国を訪れて慈済のボランティア養成講座に参加し、今年十一月には證厳法師から認証を受け、正式に慈済ボランティアの一員となりました。
 
「私が認証式に来たのは上人の教えを信じたからです。この世で天災や人災をなくしたければ、人の心を浄化する以外にないのです」。ズッキ神父は力強い英語で深い感動を語りました。
 
●台湾支援米の米袋で作った帽子と慈済ボランティアの制服を身に着けたズッキ神父がハイチの貧民区の住民を訪問した。(撮影・Jean Keziah)

子どもからお年寄りまで みんなに食べ物を

なぜカトリック教会の神父が慈済ボランティアを最も信頼するパートナーに選び、なおかつ自身がボランティアの一員にまでなったのでしょうか。話は二○一○年一月のハイチ地震にまで遡ります。
 
マグニチュード七・〇の大地震に見舞われ、ポルトープランスの町一面が無惨な姿と化しました。震災後、ズッキ神父は五つの教会学校の再建にとりかかるとともに、シテ・ソレイユとラ・サリーヌの貧しい人々に食糧や物資を届けるために奔走しました。しかし、支援に来た慈善団体は現地で有効な支援を行うことができませんでした。治安維持に努める国連平和維持軍も、武器こそ持たないものの完全に制御不能となった群衆に対し為すすべがなく、トラックから放り投げられた物資を群衆が奪い合うのをただ見ていることしかできませんでした。
 
二○一二年になり、ズッキ神父が慈済ボランティアと共に地域に入ると、無秩序な状態に変化が見られるようになりました。
 
「以前は、どんな組織をもってしても最後まで配給をやり遂げることができず、毎回途中で中断してしまっていました。しかし慈済と共に活動するようになってからというもの、配付や支援がとてもスムーズに進むようになったのです」。
 
ズッキ神父は、北米から来た慈済ボランティアが、住民を配付に協力するよう導いたことを褒め称えました。陳さんがこう補足しました、「私たちは地区ごとに台帳を作りました。地区の全員に一斉に配付して一緒に帰るので、帰り道で奪われることもなく、社会で最も弱い立場の子供や高齢者も皆、受け取ることができたのです」。
 
配付に使用した白米は、慈済が農業委員会農糧署に申請した海外援助用の食用米で、米袋には「Love From Taiwan」と印刷されていました。第一回は白米八千袋、現在は一回に一万袋以上の食糧を配付するまでになりました。ボランティアの熱意と思いやりを目にしたズッキ神父は、慈済に見習いたいと、二○一七年十一月に初めて台湾の花蓮慈済本部を視察に訪れました。花蓮を訪れる前、ズッキ神父は当時すでに教会学校の仕事や學校給食の無料提供、慈済の白米配付の仕事を兼務していましたが、「善の門を開くのは難しい」と思っていました。というのも、善の門は一度開けると閉じられなくなるからです。
 
「もともと、お年寄りを支援することは考えていませんでした。しかし、上人にお会いして考えが変わりました。上人はすべての人を助けなければならないと強調していたのです」。
 
ズッキ神父は勇気を奮い起こしました。今までどおり児童に温かい食べ物を提供するほか、さらに二百人余りの障害を持つお年寄りに食事を提供することにしたのです。「子どもからお年寄りまで一家全員」に食事を供給するために、スタッフは深夜〇時から教会学校のキッチンで仕事を始め、七十二個の大鍋で一日二回、温かい食事を作ります。一日で鍋にして百四十四個分、これは延べ人数にして二万人分の量になります。
 
●去年2月、慈済はハイチの貧民街シテ・ソレイユで住民に2カ月から3カ月分の食糧を配付した。食糧を受け取ると、長い間飢えに耐えてきた女性は顔を綻ばせた。(撮影・岑慧意)

貧しい人が貧しい人を助ける

この九年の間、陳思晟さんなどアメリカのボランティアは頻繁にポルトープランスを訪れ、学校建設支援や、水害被災者支援、米の配付などを行ってきました。しかし、日常の運営は、やはり地元のボランティアに頼らざるを得ません。ズッキ神父によれば、現在月曜日から金曜日まで校務はもとより地域ボランティアと共に炊き出しと物資配付などの事務作業を行っていますが、様々な慈善活動のうちでも食事の提供は特に重要だと言います。
 
「人々はあらゆる物を必要としています。なぜなら彼らは何一つ持っていないからです。子供たちにとって、学校でご飯が食べられなければ、それは一日中何も食べられないことになるのです。子供たちには教育が必要です。また子供たちが教育を受けられれば、ここは教育を受けた社会となり、創造できる社会となります」。
 
役所や学校が休みになる土日になると、ズッキ神父は本職に戻り、地域の信者のためにミサや洗礼などの宗教儀式を行います。彼の簡素な衣装タンスの中には、いつも慈済ボランティアの制服と聖職者の祭服が準備されています。忙しいスケジュールのなか、二つの役割を自在に切り替えられるのも、ひとえに共通の「愛」があるからなのです。
 
「慈済はよりよい世界、よりよい環境、より良い人を創造しようとしています。私たちカトリック教徒も同様のことをしています。愛に勝るものはありません。上人が「誰もが内面に仏性を持っている」とおっしゃるのは、同じ考えからだと思います。同様に、私の中には神がいます。同じような道理なのです」。
 
ズッキ神父は自らの人生についてこう語っています。「十二歳の時に修道士になると決めて以来、貧しい人に奉仕しようと考えてきました。二十代の時にイタリアの神学院で学び、その後ヨーロッパに留まることも、あるいは他の豊かな国に行くことも可能でしたが、やはり貧しいハイチに戻り奉仕することを選択しました。一九八三年に神父に昇進して以降も、住民に直接奉仕できる末端の教区に留まることを選び、昇進の機会があっても断り続けてきました」。
 
「主教になれば民衆から遠く離れることになってしまうでしょう。私には今のように人々と一緒に生活しているほうがこの仕事をもっとうまくやれると思うのです」。ズッキ神父はまたこのようにも語りました。
 
「私はこれまでずっと、若者と一緒にいることで彼らが技術を身につけられるようにしたいと願ってきました。そのため、長年カトリック職業学校を経営したり、貧困地区で奉仕したりしてきました。また慈済ボランティアと出会い、彼らと協力して貧困問題に取り組む中でかなり改善の余地があることがわかり、新しいことを試みたりもしてきました。ハイチの貧困は外国からの食糧支援で改善できるものではありませんが、人の心の善がこれによって目覚めるかもしれません。
 
米の配給の時に竹筒貯金箱を回すと、誰もがそこにお金を入れるのですよ」。二○一九年六月末、ズッキ神父はロサンゼルスの慈済アメリカ総支部を訪れ、ボランティア養成講座に参加しました。その際、東アフリカのサイクロン・イダイ災害支援でハイチの人々が寄せた募金を携えてきたのです。三百ドルにも満たない額とはいえ、支援を受けるハイチ人が「貧困の中の貧困者」から「貧困の中の富める者」になったことがわかりました。「彼らは、貧しい人も人助けができるということを学びました。なおかつそこに喜びを見出したのです」と、ズッキ神父は顔をほころばせました。
 
●台湾を訪れ、受証して慈済ボランティアとなったズッキ神父。キャンプでその感動と祝福を述べた。(撮影・蕭耀華)
 
「仏教徒には霊性(spirituality)があります。それはカトリック教徒も同じだと思います。私たちの内面には似たところがあります」。宗教間の交流について、ズッキ神父はこのように語っています。「カトリック教会は、喜んで他の宗教と協力します。それは互いに同様の信念や共通の目標があるからです」。このような宗教や人種の垣根を越えた愛の心による善行は、政局が混乱し、人々の生活が困窮した貧しい国において、より一層重要であるように思われます。「現在のハイチは宗教の力によって支えられているのです!」と、ズッキ神父は噛みしめるように言いました。
 
認証を授かるという願いを叶えたズッキ神父は、たくさんの祝福を受けて帰国しました。それは貧困、飢餓、混乱の中へ帰ることを意味します。しかし、信仰の固い彼は決して孤独ではありません。今後の長い道のりには、さらに多くの慈済ボランティアが寄り添い、手助けすることでしょう。彼が人々の苦難を救い弱者を思いやる『聖書』の一章を実行することを。
(慈済月刊六三七期より)
NO.278