慈濟傳播人文志業基金會
善の源、心の故郷へ帰って
いよいよ「原点をたずねる」時。静思精舎へ続く小道を歩くと、両側には田園風景が広がり、俗世の苦悩や世事の試練から隔絶されていくかのようだ。
海外の慈済人は今、歓喜で胸を一杯にして故郷へと向かっていた……
 
南へとひた走る列車。いくつトンネルを抜けたことでしょう。ふいに眼前に青い海が広がりました。左の車窓の外には、降り注ぐ陽光にきらめく太平洋の海が果てしなく広がり、窓越しにでさえ、頬を撫でる潮風が感じられるような気がして、にわかにのびのびとした気持ちになりました。
 
台湾東部に位置し、美しい山々と清冽な水で知られる花蓮は、人間には到底造りだせない雄大な自然景観を数多く有し、人々を魅了しています。慈済人の歩みは正にこの花蓮から始まり、半世紀の間に世界中に広がっていきました。国が異なり、時には言葉も通じず、信仰にも違いがある中、皆は同じ信念を持ち、謙虚な態度で、真心をもって尽くし、共に善への道を歩み、一人一人が感動的な物語を奏で続けているのです。
 
毎年、年末が近くなるこの時期、台湾各地のボランティアが「原点をたずねる旅」と称して花蓮に帰郷します。また、海外のボランティアも苦労をいとわず、自費で休暇を取り、「受証及び研習キャンプ」に参加するため世界各地から台湾にやって来ます。
 
ちなみに、年末に限らず、毎年様々な時期にこのような活動が数多く行われており、世界各地のボランティアに参加の機会を提供しています。その目的は自己精進であり、「帰郷」であり、「仏の教えに学ぶこと」なのです。
 
●10月下旬、海外養成訓練委員慈誠精進研習キャンプのために心の故郷である静思精舎を訪れたボランティアたちは、常住師匠の引率の下に手を合わせて礼拝した。

惜しみなく与え、虚心坦懐に学ぶ

街路に木の葉が舞い落ち、吹き付ける風に冷たさを感じる晩秋にも関わらず、花蓮の静思堂は熱気にあふれており、人の温もりが外の寒さを一時忘れさせてくれました。
 
「鍋はあちらにお願いします」
「この野菜を先に切ってください!」
厨房では、朝食の後片付けを終えたばかりのボランティアたちが一息入れた後、またすぐに昼食の準備を始めました。彼らはもう何日も朝から晩まで忙しく働いています。しかし、海外から参加した受講生やスタッフに、家庭の温もりを感じてほしいと、一食たりとも手を抜かず、心を込めてこの上なくおいしい精進料理を作ります。
 
一階では、無線を手にしたボランティアが伝達を受けた情報を傍らのスタッフと細かく確認したり、機動班は息つく暇なく忙しくしていました。行き来する大勢のボランティアは何かあれば、例えば車の用意や人の配置といったことですが、全て機動班に問い合わせるのです。計画は永久に変化に追いつくことがないため、彼らはいつも臨機応変に物事を解決しなければなりません。しかし、彼らはいつも笑顔を浮かべ、厭な顔は一切見せません。
 
「認証を授かる時のことを片時も忘れないでください」。「それは責任であり、使命でもあります!」「真心をもって、様々な境遇の試練に耐えなければなりません」。演壇の上の講師たちはリアルな人生経験を惜しみなく伝え、演壇の下では千人近い受講者が笑ったり、熱心に耳を傾けたりしていました。
 
このキャンプでは慈済の善行の道の始まりや発展、慈済人の死生観、戒律や儀軌(儀式や祭祀の規定)、国際活動の最新情報、経験の共有といったテーマについて何日にもわたる集中講座が行われます。今年は九つもの言語の同時通訳の下、皆互いに優れた部分を吸収し、経験から学び合いました。
 
慈済日本支部の副執行長である陳麗芬さんは養成訓練の幹事も兼ねており、ほぼ毎年日本から参加しています。彼女によると、「百聞は一見に如かず。一万冊の本を読んでも、万里の道を行くのには及ばない」のだそうです。彼女は受講者と共に花蓮に帰ることができる縁を有難く、また嬉しく思っているそうです。
 
キャンプでは様々な分野の講師に学び、多様な側面、様々な角度から重要なポイントを得ることができます。陳さんは、研修に参加することで、最新の情報が得られるだけでなく、多くの貴重な収穫が得られると感じています。何よりも、自らその場に臨んでこそ「法そのものを学ぶ」ことができ、それらの智慧を日本に持ち帰り、より多くの人に慈済を理解してもらいたいと考えています。
 
●海外養成訓練委員慈誠精神研習キャンプでは、ボランティアたちも静思堂講経堂で『法華経序』の礼拝の後、繞仏繞法をする。繞仏とは行道のことで、自己の心身を深く落ち着かせる方法の一つでもある。

慈済の道を行く人はみな平等

心地の風光を存分に眺める

今年はヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、オセアニア、アジアなど三十三の国と地域から千六十四名のボランティアが結集し、十月下旬と十一月上旬の二回に分けて、花蓮と板橋で各五日間の研習キャンプと受証を行いました。彼らは様々な縁で慈済に関わるようになりましたが、天災や人災で慈済の支援を受けたことをきっかけに慈済に参加した人もいたそうです。また、大愛精神に賛同して、この善への道を歩み始めた人も少なくありません。
 
十年前に認証を授かったマレーシアの実業家陳順福さんは今回、妻と共に八十一歳の母親、沅宝珠さんを伴って花蓮に戻ってきました。沅さんは第一回受証式に参加したメンバーのうち、二番目に年長者でした。沅さんは敬虔な仏教徒で、文字は読めないものの経文はとっくに覚えてしまい、諳んじることができます。
 
沅さんは最初、慈済をおかしな団体だと思っていました。「環境保全活動と仏法に何の関係があるのだろう?」
 
息子に連れられて「法の香りに浸る」活動に参加してから、彼女は徐々に仏法の意味や慈済の活動を理解し、環境保全の善行に賛同するようになりました。
 
息子さんによると、母親の沅さんは四年の見習いと四年の訓練を経て、今年ついに受証することになったのだそうです。
 
「認証」とは?
 
 ボランティアとして参加し、理念を熟知した後、発心して慈済の志業に参加するための養成訓練過程から認定されるまでのこと。その期間、まず慈済委員または慈誠隊員になる「見習い」及び「養成訓練」課程を経て、実際に慈善、医療、教育、人文といった志業の奉仕に従事する。世の中の苦しみを見て、志を固め、永遠に責任を担う決意をすることで、正式に認証ボランティアとなる。これより「仏の心を己の心とし、師の志を己の志と」して、人助けの菩薩道を歩む発願をするのである。
 
「受証の後、母の使命は子や孫たちみんなを慈済の大家族に加入させることです」と陳さんは言います。
 
同じくマレーシア人のナダラヤン(Nadarajan)さんは、インド系で敬虔なヒンドゥー教徒でもあります。二○一五年、慈済で環境保全活動をしている近所の人から「回収した物を売った収入は貧しい人たちを助けるために使うのだ」と聞いたナダラヤンさんは、自分も労力と時間を投じて環境保全と人助けを行うようになったのです。
 
当時六十歳だったナダラヤンさんは、夜間のガードマンをしていて、月曜日から日曜日まで毎日十二時間働いていたため、出勤前や帰宅途中にバイクで住宅街や商店街を通る際に回収できるものを探しました。臭いも気にしませんでした。
 
「私はとにかく環境保全活動は良いことで、人助けになると考えていますから、臭いとか汚いとかは感じませんし、まして他人の視線なんか気になりません」。
 
ナダラヤンさんは、見習いや訓練の過程で言葉が通じないという問題に直面したものの、ひたすら法を求めて精進しました。この善への道において、困難に直面して更に福を知ったのです。台湾でのキャンプの期間は、ちょうどインド系マレーシア人の伝統的な祭典であるディーパバリと重なっていましたが、彼にとってはキャンプに参加できる方が祭りよりも嬉しいのだそうです。
 
  
面白い講義 寸暇を惜しんで精進する
 
キャンプの講座は法脈の精神と慈済の活動をしっかりと結びつけている。ボランティアたちは大事な言葉を一言も逃すまいと、熱心に講義を聴きノートを取っていた(下左)。中国語が分からない海外からの参加者のために、バックヤードでは通訳人員が間断なく同時通訳を行っていた(下中)。受講者は精舎の師匠たちから贈られた慈済の出版物を隅々まで読み、自分の国に持ち帰って精進する準備をしていた(下右)。

宗教や国が違っても

善へ向かう心は同じ

そびえ立つ中央山脈の麓、田園の中にたたずむ荘重な建物があります。建設されてからもう五十年になりますが、変わることなく静謐な雰囲気を醸し出しています。
 
ここが慈済人にとっての「心の故郷」、静思精舎です。精舍の名である「静思」から慈済の根本思想が生まれ、慈済人が善に向かって発心する源でもあるのです。
 
花蓮で行われたキャンプも終わりが近づいてきました。内容豊富な講座や経験の共有から、受講者たちは多くの成果を得ました。五日目、待ちに待った認証と歳末祝福会が無事に終わると、彼らの気持ちは再び高ぶってきました。そう、ついに「帰郷」の時が来たのです。
 
静思堂から静思精舎へ行く道は、たびたびすれ違う大型トラックが埃を舞い上げていましたが、十分余り行くと、車は精舎路に入りました。街路樹が風に揺られ、右手に見える田園風景が気持ちを解きほぐして世俗の憂いや悩みを消し去ってくれるかのようでした。
 
ボランティアたちは小グループに分かれ、順序よく静思精舎前で記念撮影をし、その後は常住師匠の案内で精舎内の「朝山」遊歩道やロウソク工場、精巧な設計の大殿などを見学しました。
 
●静思精舎の「朝山」(注)遊歩道にて。常住師匠が海外ボランティアに心の故郷を案内する「巡礼」は、「原点をたずねる旅」を更にすばらしいものにしている。
(注)仏に向かって三歩進んで一回五体投地(礼拝)する活動。
 
精舎の師匠たちにはそれぞれ個性があり、精舎巡礼の案内スタイルも様々です。たとえば、徳安師匠は中国語と閩南語を用い、ユーモアを交えて紹介してくれました。中国語が分からない受講者は、イヤホンガイドの同時通訳で内容を理解することができます。
 
大勢のボランティアの中には、頭にスカーフをまとっている人も見られました。彼らは敬虔なムスリム信者なのです。さらにはキリスト教の信者もいました。つまり彼らは元々の信仰を持ったまま、慈済に加入しているのです。高雄からキャンプカウンセラーとして参加しているベテランボランティアの陳済州さんによると、大愛に区別はなく、慈済に参加する時に最も大切なのは『まごころ』という、誠実に善に向かう心なのです。
 
痩せた土地は、常に耕し日光と水を与え続けなければいい土地にはなりません。縁があって慈済の善への道を歩む人々は、複雑で慌ただしい世間に身を処して闊達にしていますから、心、身、霊的な困難に直面することは免れません。しかし、いつでも誠実な心で善に向かい、初心を忘れさえしなければ、差し出した愛と善の心はやがて養分となり、心を潤し、人生を豊かにしてくれるでしょう。(資料参考・顔玉珠)
(慈済月刊六三七期より)
NO.278