慈濟傳播人文志業基金會
善の道 行かずにはいられない道
撮影・蕭耀華 静思精舍正殿
 
娑婆の世で仏法を学び、心の故郷に帰ってリフレッシュする。
この人生で扉を開ける為に、善に向かって精進する。
 
行かずにはいられない道
 
千年以上前、古代インドの町ナーランダは、世界各地の仏教徒が遥々困難を超えてでも経を得ようと目指した聖地であり、最盛期には万人以上の僧や学者が修行と学びに訪れていた。それ以外にも中世期におけるカソリック信者が歩いた道の原点で、国連ユネスコ世界遺産に選ばれたスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、今では国境や信仰を越えて、世界の旅客が参拝に赴く一筋の聖なる道となっている。
 
どの人も生涯の中で、心を馳せる旅や道があるだろう。先覚者の足跡を追い求めたり、または名山への参拝やかつての歴史の舞台で時空と対話してみたり、或いは心霊導師を尋ねて心の迷いを解くなど色々ある。それに似た経を求める情景が、この数十年来台湾の「後山」と言われる花蓮においても見られる。
 
台湾在住者だけでなく、海外からも多くの人が続々と航空機から列車に乗り継いで、静かな片田舎にある花蓮静思精舎を訪れているのだ。この路で経を求めに来るのは個人だけでなく、各国の慈善団体、企業組織、政府代表、各領域の学者にまで及ぶ。皆が求めようとする経は一様ではなく、慈善様式と国際支援について、組織管理とボランティア規律について、環境保全回収と再生に関する哲学並びに遺体寄贈と生死の観念について等様々である。この道は単純な宗教的巡礼を超越していると言える。
 
世界六十カ国あまりの国と地域に分布している慈済ボランティアにとって、花蓮静思精舎は一生の中で一度は訪れなければならない場所である。彼らは慈済善行の仕方や価値観と理念に賛同しており、自分の人生観と通じる所があると言う。彼らは元来の宗教を敬虔に信仰していても、さらに慈済の経を求めて投入すれば、自分はもっと良い信者になれると考えている。
 
●海外の慈済人が台湾に入国する時、人の多い桃園空港でも一目で「身内の人」を見付けられるよう桃園地区のボランティアが待っている。その出迎えチームは深夜や寒い冬でも必ず到着時間には現れる。その姿は、まるで空港の灯台守のようである。(撮影・黄筱哲)
 
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慈済発祥の地に来ることができ、證厳法師から認証を受けられるのは、慈済人にとって一生の憧れと願いなのである。毎年の歳末に彼らは次々に台湾へやって来る。或るカソリック信者は遙遠な南米から三回も航空機を乗り継ぎ、三十時間以上かけて来たそうだ。キリスト教信仰に篤い南アフリカのズール族たちが贅沢な出国の目的地に選んだのは台湾である。またマレーシアや中東からのイスラム教徒も長年の願いが叶ってこの旅路についている。
 
中には、人生で初めてパスポートを申請した人、または懸命に貯金をして往復の航空券を工面した人もいる。ある人は杖をついて、また車椅子で、病を罹っている人、身重の人もはるばるやって来た。そしてそれぞれが願を達成していた。数日の団体生活の中で、彼らは「経の取得」、「巡礼」、「参観」をした。人気のない山林に行ったり、静けさと快適さを求めるのではなく、ましてや拝んだり神頼みするわけでもなく、大勢の人と大部屋で固い床に布団を敷いて就寝する旅を選び、団体生活の規律を守り、揃いの服を着て寝、夜明け前に起床し、三食は菜食を頂いている。
 
時間を無駄にせず、彼らは互いに多くを語り合っているだろうか?平常の日々の中で、皆は慈善、医療、教育志業の人文風情を目の当たりにしたり、勇敢に群衆の中に身を投じて複雑な人間関係と現実の苦難に立ち向かっている。また他人の苦難を見て己の福を知り、幸せな人生を大切にして更に幸福を作る人生を歩んでいる。その道を歩いて行く中に心は喜びに満ち、道中の辛さも忘れ、ただ途上の感動と発願だけを明瞭に覚えている。
 
その途上で、ある人は迷いから解き放たれたいと渇望したり布施に喜びを感じ、また中途でも絶えず参加してくる人もいるが、皆共に嘆き、喜び、学び、分かち合うことで、経を得る途上において信心と勇気を強めることができる。
 
途中でどれだけの仲間がいようとも、経を得に行く過程では結局求めるのは「自我との対話」或いは「競って善行する」ことだと言える。一体何を感じているのだろうか?それは、水を飲む時、冷たいか否かは本人しかわからないようなものであるとしか言えない。
 
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台湾の国土は小さいが、善と包容力に満ちた国民の気質と環境の特質によって、宗教の多様性は世界で二番目に上げられ、僅かにシンガポールに次ぐ。宗教の面から見れば、仏教徒は世界総人口の七パーセントにしか過ぎないが、台湾で誕生したこの経を求める道によって、より多くの人に台湾の人間仏教が生活に密着している魅力を示している。
 
以前、台湾人は「外国の月は台湾よりも丸い(隣の芝は青い)」という考え方を持っていたので、欧米や他国に学びの場を求めて留学した人が少なくなかった。しかしこの半世紀を経て、台湾の慈済は海外の多くの人が経を求める目的地となっている。彼らは遥か遠くから慈済の美と魅力を感じ、台湾に来るのは慈済に触れるためであり、慈済の学校に入学したり、慈済病院で医学技術と人文を学んでいる。
 
半世紀以来、證厳法師は一貫して、台湾慈済が世界の模範になることを願ってきた。実はその期待は数十年来実現していると言える。近年、益々多くの学者が、宗教と言語、民族を超えて受け入れる慈済の善の道について学術的な研究を行っている。
 
「證厳法師と慈済ボランティアは仏法から解釈した善行の道理を、華人でないボランティアを通して現地の宗教背景に沿って『解釈』し、応用しているのです」。慈済大学宗教人文研究所の盧蕙馨教授は論文の中で「慈済のボランティア奉仕は、異なる宗教の人が信仰を実践する機会と環境を開発しているのです」と述べている。
 
心の故郷に帰り魂を洗う旅は、単にお寺に参拝して経を得ると言うよりも、分秒分かたず、無形の「『善』を求める道」なのではないだろうか?異なる国、異なる宗教という時空の中で皆、着実に各種の善行妙法を実践して正しい方向に向かい、ますます遠くに行ってしまうのではなく、歩いて行く中に最も単純で素晴らしい自分を発見するだろう!
(慈済月刊六三七期より)
NO.278