慈濟傳播人文志業基金會
自分の名前で呼ばれるようになりたい
慈済の師兄と師姊たちは読書会を開いている。最初に出会った時、お互い初めて会ったため、信用できなかったことから親しくすることができなかった。要するに、私たちの中には、恐ろしい罪を犯した人が何人かいたからである。
 
證厳法師が私たちのような取るに足らない犯罪者を気にかけているとは思いもよらなかった。だが法師は私たちを正しい道に導くために、風雨を物ともしない慈濟人を遣わしてくださったのだ。
 
 
私たちに対する師兄、師姊の尽きない思いやりは私たちの警戒心を解き、ひいては人生を如何に楽しみ味わうかを教えてくれた。例えば、茶道の授業で私たちに茶を味わうことと人生の道理を教えてくれた。私は退屈な刑務所の生活の中で「善に解釈する」意味を悟り、「善人」になることは難しくないことを納得した。
 
受刑者は刑務所に入る時に番号を付けられる。それは「囚人番号」と呼ばれ、そこでの私たちの名前となる。将来、二度と「囚人番号」で識別されることなく、自分の名前を呼んでもらえるようになりたいと切に願っている。
(慈済月刊六三〇期より)
NO.278