慈濟傳播人文志業基金會
慈済の心言葉
歳末は慈済大家族のメンバーが増える目出度い時節である。世界各地から養成講座を受けた人たちが「心の故郷」である静思精舎に帰り、證厳法師から委員(女性)や慈誠(男性委員)の認証を授かるのである。とは言うものの、この旅に出るのが容易でない人は少なくない。
 
例えば、アフリカや東南アジア諸国のボランティアは、数年間貯金してやっと台湾への旅費を捻出しているのである。試練はそれだけにとどまらず、或る人は習気を克服してやっと、人生の転機が訪れるのである。
 
今年認証を受けた中に、幼い時にいじめを受けていたため、帰宅すると両親に暴力を振るって鬱憤を晴らしていたという若者がいた。挙げ句の果てにヤクザ連中とつき合って暴力を振るった。後に慈済人の誘いで環境保全に身を投じてから、落ち着いて回収作業をするようになった。そして、過去のしたい放題を反省して懺悔し、その時から悪から善へ向かう原動力が出てきた。
 
本期の主題報道にあるが、二〇一一年にシリアで内戦が勃発し、クーマ教授は親族と散り散りになった心の痛みを経験したことからトルコの慈済人と協力してマンナハイ学校を設立し、難民学童の教育のために奔走した。誹謗中傷を甘んじて受けながらも彼は「『愛』と言う名の家」は世の数億人を受け入れることができ、ここから羽ばたく子供たちが未来のモスリンの星や月として輝くことを信じている。
 
今回、渡台した時、クーマ教授一行は難民だという理由で一時は飛行機への搭乗も危ぶまれた。しかし彼は終始堅く信じていた、他人を助けられる人になるのは主によって与えられた職責であって、今この時を自分は国王や富豪よりも豊かなのだと。彼は人生の終点で「与えられたこの機会に感謝し、私はそれをやり遂げました。ただ時間が足りないことだけが残念なのです」とアラーに応えられると思っている。
 
近年来、ますます多くの海外の現地ボランティアが、台湾へ認証を受けに帰ってきている。彼らの多くは、慈済の国際支援を受けた者たちで、慈済に深い感銘を受け、ボランティアの養成講座を受けているため、現地で慈善ケアの主力になっている。彼らの多くは仏教徒ではなく、慈済に参加したために信仰を改めたわけでもない。「大愛」という基礎があるからこそ華人ボランティアと共に行動できており、それは宗教間の合作において共通認識の精神根源があるからだ。
 
上人は「全ての宗教は共に一つの方向に向かっています。目指すのは愛なのです。この世では愛だけが生命の共同体です」と再三に亘って強調している。上人はかつてこのように海外ボランティアの幹部研修会で、会場では数カ国語に翻訳する必要があるが、皆には共通の「慈済の心言葉」があり、それが「純潔無私の愛」であると述べたことがある。
 
慈済の済世は国内から海外へと広がり、種族や宗教の別なく、深く心を尽して寄り添うことを表した信仰の帰趨と言える。これは仏陀の弱者を労るという本懐を実践しているだけでなく、現代という動乱の時代の中で平和と助け合いを渇望する人心に間髪を入れず応えているのである。
(慈済月刊六三七期より)
NO.278