慈濟傳播人文志業基金會
歩く時は軽く 地を痛めないように
 
物事は専念して行いなさい。歩く時に足の裏に神経を集中させ、軽く着実に正しい方向に向けて歩みを進めるように。

しっかりと地に足をつければ、よろめかない

「歩く時は軽く、地面を痛めないように」。軽く歩いても足をしっかり地につける必要があり、正しい方向に向かわなければなりません。少しもそれないようにするには精神を集中させ、心して行うことです。
 
今月の二十八日、上人は教育志策会 ㊟ の席で主任たちの心した授業と優秀な人材養成の取り組みに感謝すると共に、慈済を創設して以来、いつも優秀な専門の人材が志業の運営を担い、自分は安心して任せることができたことをとても幸福に感じている、と述べました。㊟‥慈済の「教育志業策画推動委員会(教育志業計画実行委員会議)」の略
 
「若い時から私は一旦決心したことは恐れず行動し、苦労も厭わず、困難を恐れずに克服してきました。これが私の人生観であり、足をしっかり地につけ、一歩ずつ着実に歩んできました。『歩く時は軽く、地面を痛めないように』という感覚は、私の人生での体得と実践から来たものです。若い時から今日に至るまで、朝起きして歩き出す時はいつも足の裏に神経を集中させます。足を軽く下ろしてもよろめかないようにしなければならないからです。今は歳を重ねてよろめく時がありますが、それでもしっかりと大股で歩くように努めています。皆さんから見て私の歩調はゆっくりしていると思いますが、私は足の裏全体でしっかり地面を踏みしめてからもう片方の歩を進めているのです。これが私の歩く方法で、物事を成す時も同じです。成そうとするなら、私は専念して成し遂げます」。
 
上人はこう言いました、「誠意で臨めば、人を動かします」。慈済人は内に「誠、正、信、実」を修めますが、「誠」が第一です。何事をするにも正当且つ現実的でなければなりません。私はあらゆる慈済人と志業体の主任や職員たちを信頼しており、「人の本性は善です。こちらが最高の誠意で以て人に接すれば、相手も誠意で以て接してくれます。あなたたち一人ひとりを完全に信頼しているのです」。
 
晨語の時間の『法華経』の講釈は、既に第二十一品「如來神力品」まで進んでいます。上人は神通力を語るのは好きではなく、皆にも神憑り的な奇怪な出来事について語らないよう教えています。現実的に人生に立ち向かい、無いものを有るように話すのはいけません。「如來神力品」と言えば、新型コロナウイルスの感染拡大で常時、世界の慈済人とネットの映像を通じて話していますが、それは現代科学の神通力だと思います。短時間に地球を一周して、異なった国の慈済人と会話し、思っていることを伝えられるのです。
 
上人はこう言いました。「『法華経』は本意であり、菩薩法を教えている、と仏は言っています。慈済人は弛まず菩薩道で努力しています。自らを大切にして、時間は待ってくれないため、生命は時間と共に消えていくことを知るべきです。そして、人生は無常であるため、今この時を逃さず精進することだけが、人生を広く深いものにすることができるのです」。
 
慈済大学付属中学校の江淑慎(ジアン・シューシェン)先生は、二年ほど前に癌に罹って退職し、今年五月二十二日に亡くなりました。彼女の教え子たちは、先生がこの世を去ったことを知ってとても悲しみ、自主的に追悼会を計画しました。感染症のため、中学校内の三カ所の会場に別れて行われ、恩師に感謝の意を表しました。
 
●江淑慎先生は慈済大学付属中学校に15年間勤務し、彼女の教師としての情熱と、師であると同時に友人でもあるその姿は、人々の心に深く刻まれています。そして、人生の最期になっても医学に献身しました。(提供・慈済大学付属中学校)
「江先生が病気してから、私は彼女に、時間を無駄にせず、最期までやり通すよう励ましました。それを彼女はやり遂げ、皆の模範となりました。私も最期に話ができなくなるまで『法華経』を講釈できるよう自分自身を励ましています。私たちは時間を浪費せず、生命の価値を上げることが大切です。さもなければ、この人生を無駄に過ごすことになります。そして、両親から授かったこの体を使ってこの世を利することをしてこそ、両親に顔向けができ、それが両親の功徳となるため、最高の親孝行になるのです」。
 
それぞれの慈済の学校はもう直ぐ卒業式を迎えますが、皆、上人を招待しています。たとえ上人自身が参加してもしなくても、常住師匠は必ず参加します、と上人は言いました。常住師匠たちが静思法脈を受け継ぎ、各志業体の責任者が慈済宗門を正しく広めて、人々が正しい精神を持って慈済の四大志業を理解し、この門をくぐるよう導きます。
(慈済月刊六四四期より)
NO.285