慈濟傳播人文志業基金會
広州感染予防物資調達チームの昼と夜
広州の慈済ボランティアは感染予防物資調達チームを結成した。
彼らは、業者の選定、サンプルの確認、契約締結、税関申告、国際物流の手配といった業務に尽力し、
慈済の愛を六十カ国余りに送り届けて来た。
彼らはけっして目立たないけれども、
新型コロナウイルスと最前線で戦っている医療現場の人々を、後方からしっかりとサポートしていた。
 
二〇二〇年一月下旬、春節を迎える喜びと希望に満ちた街の空気が、突如現れたウイルスによってかき消された。一月二十三日午前十時、武漢の街は、まるで一時停止ボタンを押されたかのように静まりかえった。この時から、新型コロナウイルスは人々の生活を大きくかき乱し始めた。
 
中国の至る所で道路や都市、そして農村が封鎖され、瞬時にしてマスクがもっとも重要な感染対策グッズとなった。各地の大病院では感染予防物資が不足し、慈済に次々と支援を求めてきた。二月六日、広州の慈済ボランティアは、感染予防物資の中国国内積み替えチームを結成した。フィリピン、インドネシア、マレーシアなどの国々で調達され、寄贈されたマスクや隔離服、防護服、手袋などを受け取り、ボランティアたちの手を借りながら、空輸や宅配便などの方法で感染状況の最も深刻な武漢や、その他二十三省、百を超える県と市の、六百カ所超える病院や第一線の感染対策機関へ送り届けた。
 
三月に入り、中国における新型コロナウイルスの感染拡大はやや落ち着きを見せてきたが、今度は世界中で感染がじわじわと広がり始め、その勢いはやがて激しくなった。
 
●広州白雲国際空港にある貨物ターミナルでは、昼間は業務で繁忙なため、慈済の物資の受領と荷卸しは夜に行うしかなく、ボランティアたちは明け方まで作業を続けることも少なくない。(撮影・張翠貞)

物資の調達は共同作業

二月末には、広州ボランティアの唐惟良(タン・ウエイリャン)さんと張玲(チャン・リン)さんの夫婦が、慈済基金会のプロジェクトチームと協力しながら、感染予防物資を海外で調達する準備を始めていた。だが、感染の波が次々と押し寄せる中、海外物資に対する需要量は日増しに増えたので、現地でもチームの結成が不可欠となった。
 
三月十二日、広州のボランティアたちは、本部と協力して、「感染予防物資調達チーム」を結成した。中国蘇州プロジェクトチームの荘雪吟(ジュアン・シュエイン)さん、楊華(ヤン・ホワ)さん、郭奕艶(グオ・イーイエン)さん、莫佳妮(モー・ジアニー)さんらは、毎日テレワークに励んだ。また、広州では唐さんと張さんをはじめ李紅莉(リー・ホンリー)さん、傅金花(フー・ジンホワ)さん、呉広超(ウー・グアンチャオ)さん、林春燕(リン・チュンイエン)さんらが毎日慈済広州天河の事務所に集まり、業者の選定、資格審査、サンプル確認、契約締結、税関申告、国際物流といった一連の作業を分担して行った。彼らは朝から晩まで電話をかけ続け、時間と競争して感染予防物資を競って買い付け、海外の急を要する地域へいち早く届けた。
 
調達チームは結成されたが、多くの問題に直面した。まず工場では原材料が不足し、物価が高騰した。また、感染予防物資の輸出には各種の許可証が必要だった。国際便の運行も減少し、貨物ターミナルは物資で溢れているのに、税関の検査は時間がかかり、どの便にどれだけ積載可能かもなかなか決まらない等の様々な試練に見舞われた。
 
調達チームのボランティアメンバーは、医療物資についても、海外貿易や国際物流についても、まったくの素人だった。だが、毎日膨大な情報に接しながら、大量の電話による商談と買い付けの任務をこなさなければならない上に、世界各国の連絡係や税関の勤務時間に合わせる必要もあり、毎日の仕事は重労働だった。更に、次から次へと変化する状況にも対応しなければならず、責任者の唐さんは、しばしばこう言って仲間を励ました。「私たちは国際貿易の門外漢だけど、一つ一つ学んでいこう。困難に直面しても、法師が花蓮慈済医院を創設した当初の艱難を思えば、私たちの苦労などとるに足らないことのはずだ」。
 
業者と電話する時、ボランティアはいつもこう一言付け加えることを忘れなかった。「私たちは商売をしているのではありません。皆さんと共にウイルスの脅威と戦いたいだけなのです……」。すると、この愛に満ちた一言が彼らの愛を呼び覚ましたのか、寄付や物資の寄贈、輸送費の負担といったそれぞれの善行で応えてくれた。感染が拡大する中、誰もが運命共同体なのだ。
 
●広州ボランティアたち6名が、慈済広州天河支部に集まり、感染予防物資の調達に力を尽くしていた。(撮影・謝奉恩)

夜が明けるまで感染対策に励む

感染症が拡大すると、広州空港電商国際産業パークの国際物流ターミナルで取り継がれるのは、いずれも感染予防物資ばかりだ。広州を中継地として積み替えられる物資の箱には、慈済のラベルを貼り付ける必要があった。これは、慈済の愛を伝えるためであり、たくさんの荷物があふれる倉庫内で、慈済の荷物を識別しやすくするためでもあった。昼間は倉庫業務が繁忙なため、慈済の感染予防物資の受け取りと荷卸し、そして箱にラベルを貼る作業は全て、夜十時以降に行う必要があった。広州のボランティアたちは数十回にわたって国際物流ターミナルに通い続け、明け方まで作業を続けることも少なくなかった。
 
四月二日、中国で調達した感染予防物資が、初めて広州白雲国際空港を中継地として飛び立った。十名余りの広州ボランティアが広州白雲国際空港の国際物流ターミナルでラベルを貼り、物資を整理して、慈済の愛を海外で感染症と戦っている第一線へ送り出したのである。
 
四月十八日の夜、吉林省の長春市から広州市へ防護服が届いた。広州とその近隣都市の仏山市のボランティア三十名余りが、広州空港電商国際産業パークに集まった。夜の十時半から、皆で協力して荷下ろしや倉庫への搬入を始め、夜中にようやく仕事を終えた。この千二百五十六箱、重さにして十二トンの防護服は、フィリピン、ホンジュラス、モザンビーク、ネパール、シエラレオネ共和国など六カ国へ届けられるものだった。
 
午前一時、帰路に着いていたボランティアたちに、また連絡が入った。更に八百三十五箱の手袋を倉庫へ搬入する必要があるという。十人のボランティアたちは広州空港電商国際産業パークに引き返して物資の搬入を行い、作業は午前三時にようやく完了した。これらの医療用手袋は、イタリア、スペイン、南アフリカ、レソトの四カ国へ送られるものだった。
 
午前三時まで物資の積み替え作業を手伝っていた呉威毅(ウー・ウエイイー)師兄(スーション)が最も気にかけていたのは、アメリカに住んでいる両親のことだった。「家でニュースを見ながら心配しているより、物資の積み替えに力を尽くす方が、気持ちが落ち着きます。この作業の手伝いができて、本当に良かったと思っています」。
 
四月二十五日、フィリピンのセブ・パシフィック航空のチャーター便が広州白雲国際空港に降り立ち、感染予防物資を積んで戻ってきた。こうして千八百三十箱、五万着近い防護服と、二千個の防護フェースシールドが、第一線の医療スタッフのもとへと届けられた。
 
曽峰(ゾン・フォン)師兄は感染予防物資の積み替え作業に、ほぼ毎回参加した。交通係、総務、人文真善美(撮影記録係)、香積(炊き出し係)など、その時々で人手が足りない業務を補っていた彼は、こう語った。「コミュニティの師姐(スージエ)たちは空港での仕事には縁はありませんでしたが、皆の体力を補うために饅頭(マントウ)を蒸したり、お菓子を作ったり、お汁粉を煮たりしてくれたので、私が届けました。大量の食料を軍隊の最前線に送ったような気持ちでした」。大愛を抱く慈済人の団体で一緒に奉仕すれば、どんなに忙しくて疲れても、心は喜びと感謝で満たされる。ウイルスの感染リスクの中でもしっかりと予防措置を取っていれば、恐れることはないのである。
 
ボリビアのサンタ・クルス市の病院が、慈済の寄贈した人工呼吸器と医療防護設備を受け取った。それらは病室で使えるだけでなく、救急車に設置して使うこともできる。(写真提供・謝禎祥)

変化球を受け止めながら務めを果たす

広州の天河連絡所でも、同じように毎日途切れることなく、感染予防物資の買付けと発送を繰り返していた。一階と二階の限られたスペースには、呼吸器、隔離服、マスク、体温計などの物資が整然と並べられ、次の発送を待っていた。ここは、まさに愛の中継地なのだ。
 
中国における感染状況は徐々に収まってきていたが、広州市の各種禁止令はまだ解除されていなかった。輸入相手国の感染予防物資に対する品質要求や輸出する物資の品質保証などに対して、税関は四度にわたって規定を変更し、ボランティアは税関の検査基準を満たすため、いつでも変化球を受け止めなければならなかった。ラベルの張り替えや許可証の内容の付け加え、更には中国語と英語による説明書の補填などをした。
 
職員の林春燕(リン・チュンイエン)さんはこう語った。「この期間中に呼びかけると必ず一に対して百の反応が返ってきました。三、四人の人手が欲しいと言えば十人が、空港で二、三十人足りないと言えば四十人が集まってくれたのです。まるで菩薩が地から湧き出てくるようでした。そういう反応や力というものは、とても不思議なものです。チームのみなさんの努力に心から感謝します」。
 
ボランティアはいつもこう語る。「一人でも多ければそれだけ力は増します。海外の感染状況が深刻な時、私たちにできることは限られていますが、人々の役に立てる機会が得られたことにとても感謝しています」。韋利娟(ウエイ・リージュエン)さんは幼稚園の先生だが、感染症対策で休校になったため、毎日天河連絡所で待機しながら物資を整理し、雑務をこなしていた。「それは静思の弟子として行うべき務めです」と彼女は言った。
 
慈済は、八十カ国以上の国々に感染予防物資を送って支援する計画を立てている。この二カ月余り、航空便やチャーター便、国際宅配便などによって、既に七十カ国近くの国へ物資が届けられた。感染症による影響は非情だが、人間(じんかん)には愛がある。中国の感染状況が深刻だった時、海外の慈済人は無私の支援をしてくれた。海外の感染状況が深刻になった今は、中国のボランティアたちがその縁により力を尽くして、敬虔な心で使命を果たそうとしている。感染症が一刻も早く収まり、あらゆる人に平安な日々が訪れることを心より願っている。
(慈済月刊六四四期より)
NO.285