慈濟傳播人文志業基金會
警察や消防にプラスエネルギーを補給
社会を安定させる力
 
治安の維持、交通整理、危難の解決など
警察や消防は年中無休な上、勤務時間が長く、
業務も煩雑で、リスクが高くてプレッシャーが大きいのが常である。
家族の理解だけでなく、社会の支持と尊重が必要である。
 
 
今年、著名なデータバンクNUMBEOが発表した世界の人口比犯罪数リストによると、台湾は百三十三の国と地域の中で二番目に低く、安全指数は八十四・七四と、日本の七十八・三三に優っている。
 
犯罪が減少し、より安全になっていることは、警察が治安維持で使命を果たしていることの表れであり、市民からも良い評価を得ている。犯罪学が専門の黃富源(フウォン・フーユエン)教授はこのように説明している。
 
「直近十年の世論調査からも分かるように、市民の警察に対する満足度は上昇している。他の調査では、満足度が七十八%という高い数字もありました」。
 
一九八〇から九〇年代にかけて、台湾では重犯罪が頻発し、警察の士気が低下した「治安の暗黒期」と呼ばれる時期があった。当時、経済が順調に成長し、その波に乗って富を築いた人もいる一方で、金銭の誘惑に負けて犯罪に手を染める人も増えていた。その中で、中国と東南アジア経由で大量の銃も密輸入され、犯罪者が銃で武装し、警察官に対し躊躇なく発砲することも度々あった。
 
当時、警察の捜査における科学技術は今日のように進んでいなかったため、事件の解決は人々の期待に応えるほど順調ではなかった。元刑事の慈済ボランティア、陳勗修(チェン・シューシュウ)さんによると、ある強盗犯を逮捕した時、他にも余罪として四件あることが取り調べでやっと分かった、という。
 
警察はよく深夜の時間帯に主要道路で飲酒運転の取り締まりを行っている。週末も休日もなく、市民の安全を守っている。

警察は社会の支柱

以前、台湾の治安状況は国民の期待に応えることができず、風紀の問題も山積みで、警察内部の汚職なども発覚し、真面目に働いている警察官もその風評被害を受けていた。「外では自分の夫が警官であるとは言えず、いつも公務員だと言っていました」。ボランティアの施緊(スー・ジン)さんのご主人は退職した警察官で、このようなことからも、当時の警察官と家族は、やりきれない気持ちと苦労が分かる。
 
「彼女は医者の娘でしたが、多くの人は警察の家族に対して冷ややかな目で見ていました」と警察官の家族ではない、ボランティアの翁千恵(オン・チエンフェイ)さんは当時の人々の警察に対する見方を話してくれた。「近所の人たちは私が警察の人を家に招いて食事すると聞くと、あまりいい顔をしませんでした」。
 
一九九四年、施さんと翁さん、警察心理カウンセラーの莊文堅(ツォン・ウェンジェン)氏らが花蓮で證厳法師に面会したことがきっかけで、「慈済警察官及び家族の懇親会(略称‥慈警会)」が設立する運びとなった。
 
「法師はこう言われました。警察は社会の支柱であり、家がいくら綺麗でも支えている『柱』が折れたらどうなるでしょう?もしも彼らに尊重と励ましが届かなければ、社会は廃れて行くでしょう…」と翁さんは法師の言葉を思い出した。そして莊さんが、慈済人医会や教師懇親会同様、警察懇親会も設立できないかと聞くと、法師は優しく、警察官だけでなく、その家族たちの面倒も見るようにと答えた。
 
陳さんは、家族が慈済に参加して、楽しい気分で家に帰れば、警察官にも良い影響を与えるはずだと考えた。一九九五年二月二日に起きた板橋ガス爆発事故は慈警会の基盤を強化する契機となった。
 
その事故で十二人が負傷し、百世帯以上が火災で損傷した。消防隊員は三階を超えて激しく燃え盛る火の中で懸命に救出活動を行ったが、旧正月の休みで多くの店が閉まっていたため、隊員たちは空腹を満たす食糧を買うこともできなかった。幸いに慈済人たちは迅速に米類と鍋などの調理器具を調達し、救助を行った消防士や治安維持にあたった警察官たちに温かい食事を提供して、救助活動を支えることができた。
 
板橋ガス爆発事故から九二一大地震まで、多くの消防隊や警察官は救助活動を通じて慈済を知るようになった。その後、同じ治安機関である海巡署、移民署の職員にも慈警会の会員になる人がいて、仕事のない日に地域のリサイクル活動や病院ボランティアなどに参加する人まで現れた。
 
慈済警察と家族の懇親会
1995年正式に設立され、慈済ボランティアは警察官と交通整理人員、消防士及びその家族の心身の健康を気遣い、血圧の定期測定とボランティア講座、菜食を広める活動などを通して、彼らの仕事と生活でのストレスを和らげている。
 
設立当初         
 
1996年、ボランティアは、板橋区の消防士とその家族が参加してアートでストレスを解消する、生け花講座に付き添った。翌年、歳末祝福会の菜食の宴席で慈済ボランティアは彼らと一緒に楽しい時間を過ごした。(撮影:李淑慧)

風雨の中の生け花

翁さんの父親は日本統治時代に、日本人の警察官に助けられたことがあったことから、彼女は若い頃から警察官の為に何か出来ればと思っていた。慈警会の設立後、彼女のあまりにも積極的な行動は逆に門前払いを食らった。
 
「私たちが生けた花を皆さんに持ってきました!」「じゃあ、そこに置いといて」。喜んで生けた花で「警察官様」と打ち解けようと思ったのだが、返ってきた反応は冷たく、厳しいものだった。さらにその時はあいにく台風が来襲したこともあり、花を外に置いておくしかなかった。風雨の中、顔に流れたのが雨か涙か分からなかった。
 
「警察官の態度はそういうものです。知らない相手には警戒し、目的は何なのかを探ります。それが分からないうちは厳しい態度が続きます」。陳さんはある出来事を例に挙げた。ある人が大事なデータが入った携帯電話を拾ってくれた警察官にお礼の果物を一箱送ったところ、当直の警察官はすぐに係長に報告し、係長は賄賂か違法なものでも入ってないかと細かく検査させたという。ただの果物だと分かってから、皆で安心して食べ、その場にいた市民にも分け与えたという。
 
当時の慈済ボランティアはそういう状況に遭遇したのだが、彼女たちは警察官の冷たい態度にも諦めることはなかった。強風で花が乱れても整理し直し、それをまた、当直台の上に置いた。その光景に警察官は感動した。それをきっかけに、慈警会は慈済と警察の間の架け橋として今日までその役割を果たしている。
 
警察官の勤務時間は長く、煩雑多忙で休憩時間も少ないため、慈警会は、現役職員だけでなく、退職者もその家族にも関心を寄せる方法を考えて行った。現職者への方法は、慈済教育志業体の「慈誠パパや懿德ママ(相談にのり、世話する里親のようなシステム)」に倣って、月に一度、警察署や派出所、消防署などを訪れて交流している。
 
この会が少し異なるのは、ボランティアが果物や菜食を警察官たちに差し入れるだけでなく、血圧計を持参して血圧を測ることで国民を守る彼らに健康への注意を呼びかけていることである。
 
警察を退職した慈警会の会員は、先輩として現職の警察官を見守る。他の職業のボランティアよりもその苦労を理解できるからだ。また、ボランティアは警察官の家族に寄り添い、彼らが安心して任務を遂行できるよう、家庭の平和と安定を促している。
 
警察官たちは常時、徹夜で街をパトロールしたり、事件の解決に当たっているため、ボランティアが警察を訪れる時、一番重要な呼びかけは健康に注意してもらうことである。

仕事とは良いことをすること

白髪交じりの施さんは感謝の気持ちで、「法師は警察官のことを菩薩と表現しました。その時まで、自分が警察官の家族でありながら主人が良いことをしているとは知りませんでした」と言った。
 
昼夜問わず市民の安全を守り続ける警察のお陰で、今日の台湾は世界が認める安全な国家となった。しかし、時代の変化によって治安問題も形態が変わり、現在の警察は、詐欺、麻薬犯罪や飲酒運転の取り締まり等の公共に危険を及ぼす行為に対して、より多くの時間と労力を費やさなければならない。政府は以前の「毎週一回のシフトと二日間の外泊」に加え、「一回の勤務時間が十二時間」という制度を、現在の「常時十時間勤務制」に変更したにも関わらず、警察という仕事は依然として負担が大きいままだ。
 
嘉義の慈済ボランティアである施哲富(スー・ツァーフー)さんの息子は警察専門学校を卒業した後、消防士として台北市に配属された。親元を離れることは親としては心配だが、北部の慈済ボランティアが面倒を見てくれるので安心している。「彼らは親のように寄り添い、子供もまたボランティアの警察官や消防士に対する温かさを感じています」。
 
最も人望のなかった時期に、慈警会の寄り添いで社会の警察に対する感謝の気持ちが彼らに伝わり、多くの現職または退職した警察官及び家族は、慈悲利他の善知識に触れ、より価値ある人生を歩んでいる。
(慈済月刊六四六期より)
NO.287