慈濟傳播人文志業基金會
愛で心を充実させる
子供はまだ幼く、母親もまだ若い。慈済ボランティアは、この家族が必要としているのは単なる経済的な支援だけではないと考えた。そこで医師と理学療法士にも訪問ケアチームに参加してもらい、子供にケアのスキルを教え、母親のリハビリを支援しながら、立ち直ることを期待している。
 
セルヴィは二回の結婚に失敗した後、生活の重荷を背負っている。四人の幼い子供と七十九歳の母親、日雇い労働者である五十九歳の父親、障害を持つ姉という一家の中心になって借家に住んでいる。
 
彼女は病院で夜間の清掃婦として働き、明け方に退勤すると急いでゴム園で木の樹液採取に行く。そして、数日おきにゴムの木から集めたラテックスを集積所に持っていく。彼女は両手に約四キロのラテックスが入ったバケツを持ち、休み休みに二十分間歩いて、やっと目的地に到着する。長年、重いものを担いできたために背中が痛み、何年も耐えてきたが、ある日、両脚が言うことをきかなくなり、力が入らなくなってしまった!昨年九月、彼女は働けなくなってしまったが、夫は巻き添えになることを心配して家を出たきり、今日まで音沙汰がない。
 
医師の診断によると、彼女の背中に出来た脂肪腫が神経を圧迫しているために両脚に力が入らない、とのこと。昨年十月に手術を受け、二カ月余り入院と治療をしたが何の進展もなく、家に帰って横になって休養するしかなかった。家族は彼女の歩行障害を考慮して、今年三月に平屋に引っ越した。
 
新しい環境に移った後、知らない土地で、普段は臨時雇いで生計を立てていた彼女の父親は一時、仕事が見つからなかった。その上、コロナ禍で外出制限令が出たため、生活はさらに苦しくなった。遂に、家族全員の生活費は、姉の月額二百五十マレーシアリンギット(約六千二百円)の障害者手当に依存するしかなかった。
 
家計の大黒柱が一瞬にして倒れ、年老いた両親と学校に通っている子供たちを抱えて、正に泣きっ面に蜂である。どうしたらいいのか? 彼女は自分の人生を断つべきだろうかと考えたこともある。
 
●理学療法士の指導のもと、セルヴィは9カ月ぶりに立ち上がった。辛い表情を見せたが、人生の希望の光りを見て、心の中ではとても喜んでいた。

絆の強い一家

幸いにも天は人を死に追いやることはない。彼女は親族や友人に困難を打ち明け、同じインド系の慈済ボランティアであるナダラジャンさんは直ぐに慈済に報告した。
 
ボランティアは三月二十九日の一回目の訪問調査で、先ず緊急支援物資を届けたため、一家は当座を凌ぐことができた。四月から正式に定期ケアが始まり、毎月の生活費や物資の援助に加えて、訪問ケアチームはいかにして家族を再び自立させることができるかを考えた。彼女はまだ若く、四人の子供はまだ幼いからだ。
 
ボランティアの王鈺清(ワン・ユーチン)さんは、「子供たちが彼女を移動させる時に浮かべる苦痛の表情を見る度に心が痛みます」と語った。また彼女の年老いた両親が自分たちの病気について話した時、王さんは、多くの痛みがストレスから来ており、家族の心と体を落ち着かせるには専門の医師が必要であることに気付いた。
 
六月末、二人の慈済人医會の医師がボランティアと一緒にセルヴィの家を訪れた。中に入ると、家の中がきれいに片付けられていて、十歳のキショールさんと十一歳のスメンさんが台所で料理を作っていた。かまどに鍋を載せた高さが兄弟たちの胸の高さを超えているのを見て、黃月吉(ホワン・ユエジー)医師はびっくりしたが、自分の子供の頃を思い出した。早くに母親を亡くし、父親が一人で十人の子供を育てた。黃医師は幼い頃から家事や料理の手伝いをし、毎日家族全員に朝食を用意してから急いで学校に行っていた。彼女は感慨を込めて、「環境は子供達に自ら学ばせ成長させます。私は子供たちが環境の試練に負けないように、努力して向上していくことに期待しています」と語った。
 
兄弟二人が協力して大盛りのチャーハンを作っていたが、それはボランティアや医者が来てくれたことに感謝しようとして、その腕前を見せていたのだった。黄医師はいじらしく思ってそれを手伝い、彼らの物分かりの良さを褒めた。さらに、子供たちが幼くして家庭の責任を担っていることと、セルヴィの楽観的な笑顔を見て、黃医師は率直に、もしも母親が日頃から悲しい顔をして、情緒不安定だったら、子供たちと年老いた両親は間違いなく影響を受け、その家族の状況は異なっていただろう、と言った。
 
●ボランティアたちの世話に感謝するため、二人の兄弟は台所で食事の準備をしていた。自分たちの胸を超える高さの調理台にあった鍋でチャーハンを作ったので、ボランティアのナダラジャンは心が痛むと同時に、ハラハラした。
 

直ちにリハビリすれば、回復が期待できる

蘇美娟(スー・メイジュエン)医師はセルヴィを診察し、反応を試してみたところ、足にはまだ知覚があることが分かり、「希望が見えました!」と嬉しそうに言った。
 
彼女が手術を受けて病床に臥してから九カ月近くが経った。蘇医師は、専門の理学療法士に診断してもらい、リハビリの最適時期を逃さないようにすることをボランティアに提案した。同時に蘇医師もセルヴィの子供達に母親の足をマッサージするよう指導し、血行を促進して筋肉細胞を活性化させることで、長期間の寝たきり状態が身体に与える影響を減らすのだと教えた。
 
ボランティアの黃循糧(ホワン・シュンリャン)さんは蘇医師に教えを請うた。セルヴィは体を移動する時に力の入れ方を間違えたために、この四カ月間に二台も車椅子を壊してしまったのだ。蘇医師はセルヴィがどうやってベッドから車椅子に移るのか、やってみせてもらった。三人の子供と彼女の姉、そして彼女自身がそれぞれ力まかせにベッドから降りて、床を這って車椅子に移動していた。その過程で、彼女の顔は苦痛に歪んでいた。傍で見ていた医師とボランティアたちは手に汗を握り、彼らが引っ張り合って、手術後の傷口と脊椎を傷つけるのではないかと心配した。
 
ボランティアの王鈺清(ワン・ユーチン)さんは、体を移動させる時の痛みのためにセルヴィは起き上がることを嫌うようになり、間接的に動く意欲をなくしたのではないかと言った。蘇医師は、理学療法士から正しい移動方法を教わって、お互いの安全を守りながら、介護の負担を軽減するようボランティアに依頼した。蘇医師は、彼女の家族も診察した。お姉さんは、介護中に長期間の不適切な力の使い方が原因で肩が凝り、父親は恐らく過労による足の痛みを抱えていた。そして、母親は慢性疾患を患っていた。
 
六月末、ボランティアと理学療法士の黃昱庸(ホヮン・ユーヨン)さんが再びセルヴィの家を訪ねた。彼女の痛みや触覚などに対する反応を見て、理学療法士は彼女の体調はリハビリを始めても良く、回復できる可能性が高いと判断した。理学療法士の指導と助けで、彼女は九カ月ぶりに立ち上がった。彼女は体の痛みに耐えながらも、嬉しかった。
 
彼女の質問に答えるだけでなく、理学療法士は彼女を車椅子に移動させる方法を子供たちに教えた。シンプルでてきぱきした動作は、いつもの力任せの移動とは雲泥の差だった。黃循糧さんは子供たちに、注意深く観察して、母親のリハビリを支援するための正しい看護スキルを学ぶように、と念を押した。理学療法士とボランティアが帰る前、子供たちはお茶を出した。彼女はそれを見て心から嬉しく思った。
 
理学療法士は、セルヴィのマットレスが柔らか過ぎるため、長期に亘って横臥すると背中の不快感の主な原因になるので、もう少し硬いマットレスに変更することを勧めた。黃循糧さんはそれを聞いていた。その翌日、ボランティア仲間から、思いがけず前日に細切りココナッツで作ったマットレスのリサイクルについて問い合わせがあったことを聞いた。「願があれば力が出ると言うように、セルヴィ一家をこれまで多くの人が助けてきました。一歩ずつ成就することで円満に現在に至りました」と彼は喜んだ。
 
●過去数カ月間のボランティアの世話に感謝するため、セルヴィと子供たちは絵を描いてカードを作った。

朝な夕な思い焦がれていた贈り物

五月の母の日に、ボランティアは子供たちに歌を教え、花を準備した。長女のランジャニが代表で母親に花を捧げ、ボランティアの手引きで子供たちは目上の人に果物を食べさせることで愛を表したので、セルヴィはとても感動した。そして、セルヴィは自分の母親にその花を差し上げ、抱擁してキスした。王さんは、次のように述べた。「家族全員をケアし、思いやってこそ、家庭が円満になるのです」。
 
ボランティアと医師に感謝の気持ちを表すため、セルヴィと子供たちは絵を描いてカードを作り、六月下旬に発送した。彼女は力が入らない手で、次のように一字、一筆ずつ描いた。「證厳法師と全てのボランティアへ、支援と励ましに感謝しています。本当にありがとうございました」。 ボランティアも心を込めたプレゼントを家族全員に用意した。今年中学一年生の痩せて背の高い長女のランジャニは、時折人差し指を噛みながら、恥ずかしそうに「初めてプレゼントをもらってびっくりしました。でも嬉しかったです!」と言った。彼女にとってママの不幸は本当に悲しかったそうだ。彼女と兄弟は母方の祖父母の負担が軽くなるように、それぞれ床掃除と炊事、母親の日常生活の世話など、手伝いの役割分担を決めた。
 
皆がプレゼントを貰ったが、ボランティアはセルヴィに家の外で受け取るように言った。一台のトラックが彼女の前でゆっくりと止まった。荷台には彼女が朝な夕なに思い焦がれていた冷蔵庫が載っていた。自宅の冷蔵庫が壊れていたので、一家の買い物と暮らしはとても不便なものだった。ボランティアたちは彼女の声に耳を傾け、適切な中古冷蔵庫を探すのにしばらく時間を費やしていた。彼女は嬉しそうに笑って、「これはまさに私が欲しかったものです!」と言った。
 
ボランティアは週に二回、彼女のリハビリ費用を補助し、彼女に努力するよう励まし続けた。学校が始まった後、子供たちを学校へ送り迎えする人がいないことを考慮して、ボランティアは、教育に影響が出ないように、転校させ、手続きとスクールバスの登録を手伝った。セルヴィは自分よりも不幸な人を助けるために力を尽くすことを望み、慈済の会員になった。「慈済の助けのおかげで、私は安心していられます。みんなの真心と思いやりは私に希望の光を見せて下さいました」。
(慈済月刊六四六期より)
 
NO.294