慈濟傳播人文志業基金會
人生を以て人生を記録する
時代の証を立て、慈済の歴史を残し、社會の模範を打ち立てた、
全ての「人文真善美」のボランティアに感謝したい。
皆で力を合わせて完成させた作品は、わたしたちの命より長く引き継がれ、
いつの世でも、あの時、あの地、あの人の証となって、
かつてあった刹那の感動を与えてくれるだろう。
 
初めて慈済ボランティアが収録した映像を目にした時、私は泣いてしまった!あの映像は全く「化粧していない素肌」のように揺れ動き、声音も途切れ途切れだった。テレビ番組のプ口デュ―サ―の目から見れば、恐らく使える代物ではなかった。しかし、あの映像は、ボランティァが災害現場に奥深く入り、苦難に見舞われた人々に寄り添って記録したものである。
 
映像の中から、被災者か記録した人かは分からないが、嗚咽の声が聞こえた。画面から、人々が互いに抱き合って湯気が立ち込め、レンズが曇っていたのが分かった。映像を見ていた時、グッと来るのを感じ、そのセリフのないビデオテープが心の中の軟らかい部分を揺り動かした。後で、それは「慈悲」なのだと分かった。そして、これらを記録した人たちに共通する名称があることも初めて知った‥「人文真善美ボランティア」。
 
私と真善美ボランティアの関係を表す一番良い名称は、「同級生」或いは「同門生」であろう。二○○三年に慈済基金会に就職した時、私はただの「慈済の人間」に過ぎず、慈済については半分も理解していなかった。その年、私が担当したのは、「文化三合一ボランティア」の発展と人員の養成だった。慈済のことをよく理解していなかったその頃、経験豊富な「文化三合一ボランティア」たちが手引をし、いろはの先生となって仏教儀式、慈済精神、コミュニティ運営及びボランティアの生態などを教えてくれた。私は数年間の番組制作に関わった経験を代わりに分かち合った。プロの撮影方法、カッティングテクニック、題材の選び方と取材、プ口ジェクトの企画経験などである。
 

『真実を語る人』

01 真実の人生を拝見 02 善の力を自分の目で確かめる
 
ここ数年間、真善美ボランティアに益々、多くのことを教えられ、彼らの名称も「文化三合一」から「人文真善美」に改められた。私たちはずっと一緒に成長し、私の専門で教えられることがなくなった時、プロの先生を招いて講義を受け持ってもらったが、彼らはいつも素早く学び取った。そして、私が提供できるのが専門知識ではなく、慧命の分かち合いになった時、そして、私も彼らのような人間になりたいと思った故に、養成コースに参加し始め、慈済委員の認証を受けた。
 
私は、慈済で人文記録に携わっている多くの職員やボランティアは、慈済精神に心を動かされ、一つまた一つと取材を重ねて、自分の生命で生命の記録をしているのだと思う。私たちと記録に残る人の間では、互いに話に耳を傾けることで力となった。私たちは彼らの身の上から一部を取り上げて、答えを見つけるだけでなく、慰め合い、目の前の苦境を切り拔けて来た。いつも互いを思いやり、共感を持つことで、時代の真、善、美の証人となり、私たちのチ―ムを成長させて来た。
 
生命には終わりがあるが、慧命は窮まるところを知らない。時代の証を立て、慈済の歴史を残し、社会の模範を打ち立ててくれた、全ての「人文真善美」ボランティアに感謝したい。私も、皆が力を合わせて作った作品は、私たちの命より長く引き継がれ、いつまでも、あの時、あの地、あの人の証となって、かつてあった刹那の感動を与えてくれると信じている。
 
謹んで、この本で以て歴史を記録した人に感謝したい。彼らの姿も慈済の歴史の一部であり、彼らは万難を排して使命を果たすことで、人間仏教に欠かせない大切な部分を書きあげたのである。
(『真実を語る人』の序文より)(慈済月刊六五三期より)
 
 
NO.304