慈濟傳播人文志業基金會
マレーシア・ 九千人が一斉に支援に赴く
セランゴール州の大水害
 
年末が雨季になるのは例年と同じだが、
洪水が瞬時に、繁栄している街に流れ込むのは稀なことだった。
温かい食事の提供、家々の清掃、配付者名簿の作成など、
慈済は年末年始に支援活動を完了した。
 
●フル・ランガッ地区のスリ・ナンディン公園周辺はひどく被災し、損壊した家具が家々の前に山積みになっていた。ボランティアは12月25日だというのにまだ廃棄物を運び出し、街の清掃を続けていた。(撮影・黎日泉)
 
マレー半島は毎年年末になると、北東の季節風の影響で雨季になる。二〇二一年十二月十七日から豪雨が続き、十八日は一日の雨量が一カ月の総雨量を超えた。八つの州で水害が発生し、パハン州の被害面積が最も広く、セランゴール州も稀に見る洪水に見舞われ、甚大な被害が出た。クアラルンプール市内を流れる河川が氾濫し、夜中に発生した洪水は、年長者に五十年前の大水害を思い起こさせた。まるで大洪水が再来したかのように。
 
水は腰の高さから一階の軒下まで増え続け、住民はパニック状態で高い所に上ったが、海のようになった街に向かって助けを求める声があちこちで聞こえた。慈済支部とボランティアの携帯にも、助けを求める電話が鳴り続けた。パハン州( Pahang)とセランゴール州のボランティアは、なんとか被災地や避難所にたどり着くことができ、被害状況を調査しながら、水の中を徒歩やボートで温かい食事を配付した。そして、即席食品、毛布、衣服、ゴザ、飲料水などの物資を届けた。
 
 
被災地は停電のため、夜になると避難所は真っ暗になったが、それ以上に多くの人が被災地から出られず、雨が断続的に降り続いた。二十二日の午前中になってやっと、「水が完全に引いた」という奮い立つような知らせが入った。分厚い泥を被った市街地や住宅から、廃棄される家具や壊れた物が運び出され、路地や道にはいくつも山のように積まれていた。地面の水たまりやゴミを見ると衛生面が心配になった。
 
主な被災地の大掃除をしようと、二十四日から三日続けて、各界の善行者とマレーシア全土からの慈済ボランティア、そして軍隊を合わせた延べ六千人が清掃したエリアは三十三萬平方メートルに及んだ。参加した人は近隣の州からのボランティアだけでなく、北部と南部のボランティアも、清掃用具を持って数百キロ離れた所から駆けつけた。北部のペナン州から来たエンジニアのニマ・ショコファーさんは、「災害はいつ発生するか分かりません。今日は他の人であっても次は自分が遭遇するかもしれません。お互いに助け合うべきです。今日は私にとって一カ月分の労働量で、疲れましたが、良い一日でした」と語った。
 
二〇二二年の元旦と二日には、延べ二千人のボランティアが再度主な被災地に入って一万世帯以上を訪問し、見舞金を配付するための名簿を作成した。
 

水と泥の中を行く

マレーシアは12月中旬から年始にかけて豪雨に見舞われ、多くの州で程度の差こそあれ、水害が発生し、各地の慈済ボランティアは緊急支援を始めた。セランゴール州の雨は特に激しく、住宅の2階の高さまで水位が達した地区もあった。大半の住民は何日も水で外出を阻まれていたため、慈済は緊急に温かい食事を届けた。(撮影・許音包玲)
 
東海岸のパハン州は、低地のため、雨が降ると必ず浸水する。スンガイ・ニュービレッジ(Sungai New Village)は全地域が被災し、被災から2週間たっても依然として復旧が進まず、泥まみれの10世帯が慈済に支援を求めた。1月5日にセランゴール州やラウブ郡(Daerah Raub)、ペナン洲から駆けつけたボランティア100人余りが清掃にあたった。(撮影・黎日泉)
 
セランゴール州は洪水が引いた後、ボランティアが州都シャー・アラム(Shah Alam)のスリ・ムダ公園(Taman Sri Muda)とクアラ・ランガッ地区(Hulu Langat District)にあるスリ・ナンデイン公園周辺で集中して、3日続けて大規模な清掃活動を行った。軍隊と住民、慈済の三者が協力して、人種の分け隔てなく、被災地の復旧を行動で応援した。住民は人手が足りず、数日清掃してもあまり進展が見られなかったので、これで早く元の生活に戻れる、と協力してくれたチームに感謝した。(撮影・黄麗霓)
(慈済月刊六六三期より)

 

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