慈濟傳播人文志業基金會
フィリピン・三万世帯の心配
スーパー台風「ライ」が上陸し、中南部の群島を横なぎにした。
ボランティアは、三手に分かれて三万世帯余りを支援し、
被災者は瓦礫と化した大地に希望の一歩を踏み出した。
 
●フィリピン中部のボホール島は、台風22号によって深刻な被害を受けた地域の1つだ。台風上陸地点に位置する北部沿岸の村や町は、至る所が酷く損壊していた。
 
セブ州ラプラプ市の損壊した、ある学校で、校庭に静かに並んで待っていた千人余りの住民から、突然大きな拍手がわき起こり、多くの人が喜びのあまり涙さえ流した。
 
家族構成に応じて一万から二万フィリピン・ペソのお見舞い金を送るという慈済ボランティアの発表を聞いたのだ。ノルメリタ・ノダロさんは、大粒の涙を流して言った。「見ず知らずの人から、こんなに助けてもらえるなんて。胸が一杯です」。
 
小児マヒの障害を持つルノーさんも、目を潤ませた。「働いていた家具店は停電して、復旧まで三カ月かかるらしいです。収入がなく、三人の子どもを満足に食べさせることもできません」。台風で仕事を失ったが、そのお金で目前の困難を乗り切れると言う。
 
二○二一年の年の瀬に、一年を通して最も勢力の強い台風二十二号「ライ」(フィリピン名:オデット)がフィリピンを襲った。七つの州が甚大な被害を受け、四百人以上が死亡し、六百万人以上が被災した。
 
 
 
フィリピンは台風が多い。災害管理システムから警報が発令され、危険地域の住民を事前に避難させてはいたが、それでもこの台風の被害は甚大だった。三日間で熱帯低気圧からスーパー台風へと急速に変わった「ライ」は、縦に細長いフィリピンの中南部の群島を横なぎにした。停電が連鎖反応を引き起こし、多くの被災地で通信が途絶えた。
 
深刻な被害を受けたボホール州、セブ州、南レイテ州を重点的に被害調査した慈済は、沿海地域の惨状を目の当たりにした。激しい暴風雨や高波に見舞われた村は、まるで廃墟のようになり、感染対策など気にする余裕もなく、住民が給水ステーションの前に長蛇の列を作っていた。ボホール島北部の被災した村に大きな船が流されて村に突進してきた。飢えた人々が道沿いに、「おなかが空いています」と書いた段ボールを掲げ、支援を求めた。
 
被災地では飲み水や食糧が不足し、燃料の価格も暴騰した。慈済は急遽四百トンの白米を購入し、企業や市民から寄せられた物資と一緒に被災地へ運んだ。一月上旬には、延べ三万世帯余りに対して大規模な配付を実施すると共に、きれいな飲み水を得るための発電機と浄水器を提供した。
 
新年の初めに、住民は食糧やお見舞金を受け取り、ようやく一息つくことができた。復興の道のりは長いが、愛はずっとそこにある。
 

海路で迅速に食糧を輸送

台風被害の大きかった地域では断水や停電が起き、食糧や飲み水が不足していた。慈済がマニラで購入した白米、浄水器と市民から寄付された物資が、海運会社による無償のコンテナで、迅速にボホール州、セブ州、南レイテ州に輸送され、配付された。ボホール州ウバイ町では、住民が1000世帯余りに配付する白米を運ぶ手伝いをした。
 
寄付された物資を間違いなく被災者に届けるために、ボランティアは先ず災害状況を調査し、配付名簿を作成した。セブ州の配付会場では、被災者が配付物資の引換券を掲げていた(写真提供・フィリピン支部)。見舞金が受け取れると知った被災者たちは喜びに沸いた。災害後は多くの業種が運営を停止したことで収入の途絶えた被災者世帯は、銀行でお見舞金を受け取って家屋を修築したり、必要な物資を購入することができた。
 
停電が続いたボホール州の被災地では、ボランティアがリレー式に物資を配付した。1月中旬までの統計によると、既に1万5千世帯が20キロの白米を受け取り、食糧不足の危機を緩和することができた。その後、トタン板と見舞い金も配付された。
(慈済月刊六六三期より)
NO.304