慈濟傳播人文志業基金會
福をもたらし、智慧を生む
 
お互いに感謝し合えば、
一切の煩悩を捨て去ることができる。
互いに祝福し合い、
見返りを求めないのは最も幸福な人生である。
 

老いる苦しみ 本当の姿

 
大愛テレビの大愛映画祭という番組で放送された「ぼけますから、よろしくお願いします」という映画が、人々に大きな感慨を与えました。三月二十二日のボランティア朝の会で、上人はその記録映画に触れ、「老い」の苦しみについて語りました。
 
映画の中のおじいさんはすでに高齢になり、歩く時は猫背で腰も曲がっています。動作はゆっくりしていて、速く歩けません。「老い」というのは自然の変化です。体が言うことを聞かなくなるという一種の苦しみなのです。おじいさんは狭い家に帰っても行動が不自由ですが、パーキンソン病を患っている奥さんと生活しなければなりません。おじいさんは耳が遠く、おばあさんは認知症に罹っていて、二人の会話はまるで喧嘩しているようです。おじいさんは認知症のおばあさんの世話もしなくてはならず、実際、楽しい気分になることは難しいでしょう。おばあさんは時々、「どうして私をこんな長く生かしているの?」と不満を言います。老いると体も心も苦しいのです。
 
「彼らも幼い子供から成長し、若い頃は働いて社会で才能を発揮し、元気いっぱいでした。しかし、いつの頃からか老いて、行動が不自由になり、頭の回転も遅くなり、行動範囲が狭まって楽しくなくなり、生きているのが嫌になり始めたのです。時間はかつての人生で所有していた一切を持ち去ります。ですから仏が教えているように、『苦』こそ人間(じんかん)の本当の姿なのです」。
 
上人はこう言いました。「人によっては老いる苦しみを経験していないため、得意になって規則を守らず、人生を無駄に消耗しています。その人たちが人生を享受している間は貧困も飢餓も苦難にも気がつきません。何の心配もなく生活できる幸福な人は、心のままに享楽にふけっていますが、人生とは無常なもので、誰も次の瞬間が同じように平穏且つ幸福であることを保障することはできません。それ故に私は常々皆さんに、この瞬間を逃さず、しっかり心に注意するよう、言っているのです。心に不満がなければ、安らぎが得られます。智慧のある人は縁を逃さず、善行し、良い言葉を口にして、立派な人になります。立派な人になり、善行して良い言葉を口にすれば、心は楽しく、何の心配もなく、軽やかになります」。
 
 
「大愛テレビでその映画が放送されているのを見て、私はとても感慨深いものを感じました。その老夫婦は老いて行動が不自由になり、お互いに面倒を見合っていますが、狭い家の中で、おばあさんが認知症のために行動を繰り返し、どこで休んだらいいのかも分からず、流し台の前の床で寝てしまいました。頭がボケると、こうなるのです」。また上人は、記録映画は実話であり、人は誰もが自分の人生の監督であり、たとえ歳老いて、思考も行動も思うようにならなくなっても、因縁果報に従って日々を過ごしていくのです、と言いました。
 
老いると頭も悪くなり、生きていても面白くなく、どうしてこんなに生きなければならないのかと不満を言いながら、一日一日と生きて行くのです。注意しながら歩き、同じように食事の用意をしてご飯を食べ、生命を維持し、引き続き老いる苦しみを味わうのです。上人は、「実は病気したから頭が悪くなるのではありません。凡夫は無明で、元々訳が分からず、愚かなため、目の前の境地に従って『この人が好き』とか『あの人は嫌い』と区別するのです。自分の好き嫌いや嫌悪で受け入れたり、排除したり、と絶え間なく時間の経過と共に業を造り、最後にはいっぱいの煩悩を抱えて逝くしかないのです」とため息交じりに言いました。
 
また、「一瞬前に煩悩を作りだした因が煩悩の縁と結びつくと、次の瞬間には憎しみとなります。ですから、常々自分に警鐘を鳴らさなければいけません。いつも良い言葉を口にし、人間(じんかん)を害するようなことはせず、この人生で過ちを犯さないよう、しっかり自分を守ることです。さもなければ、一念の偏りで牢獄に繋がれてしまい、一時自由を失ってしまいます。もし、心から懺悔できれば、その人生はまだ改善の余地がありますが、もし、自分は間違っていないと思うなら、いつもそれは他の人のせいなのだ、全ては他人が間違っていて、自分は正しいのだと考えてしまいます。こういう心の持ちようは、人生で過ちを繰り返させ、とかく煩悩に付きまとわれ、心は永遠に清らかになることはなく、幸せで楽しく過ごすことは難しいでしょう」と言いました。
 
「群衆の中にいたら、良い模範に学び、善行して、善い言葉を口にすれば、自然と人と良縁を結ぶようになります。良縁を結んだら、お互いに出会った時、喜びを覚え、楽しく感じ、お互いに仲良く楽しくなります。このような境地が天国であり、菩薩の浄土ではないでしょうか?従って、浄土はどこにあるのでしょう?それは今、私たちがいるところなのです」。
 
上人は、お互いに感謝し合う世の中が一番平和だ、と言いました。互いに感謝し合うことは、社会を平和にする因なのです。感謝する故に、自主的に人助けするようになるのです。誰もが見返りを求めない奉仕をして、心から感謝することが、この世で最も美しいことなのです。
(慈済月刊六六六期より)
NO.307