慈濟傳播人文志業基金會
その気があれば十分な余力が出る
 
心が満たされれば、人助けする余力が出てきます。
欲望を野放しにすれば、
永遠に満たされない感じがします。
 

腹八分目、二分で人助け

人は欲念があると何かを求めます。しかし、それが手に入ると、もっと多くを求め、欲望は尽きず、益々多くなって、過度に消費して浪費をもたらします。今の地球の人口は八十億近くになっており、空間も資源も限られている中で、これだけ多くの人の基本的な生活の要求を満たすだけでも大きな負担であるのに加え、人々が欲にまかせて無節制に消費と浪費を重ねた挙句、資源の欠乏によって危機的な状況に陥ってしまったのです。
 
上人は朝の会で、世に起きている様々な災難の根源は人心にあり、人の欲望は底なしで、満足することがありません、と開示しました。慈済のリサイクルセンターでは、ボランティアが回収された古着を整理していますが、多くのラベルが付いたままの物や、袖を通した形跡のない新品のまま捨てられています。もし、回収されて整理されていなければ、ゴミになるのですから、環境への負荷は更に大きくなっていたでしょう。
 
人々が大量消費で浪費しているのは衣類だけでなく、食べ物もそうです。多くの食べ物は食べきれないために生ゴミになり、中には食用になる前に賞味期限が切れたために捨てられるものもあります。しかし、世界には飢餓に苦しんでいる人がたくさんいます。お腹いっぱいの食べ物を得ることができない人たちです。
 
上人は世の貧富の差を嘆きました。裕福な人は贅沢な生活をして浪費し、貧しい人は劣悪な環境の中で資源に乏しい生活をしています。ですから、いつも大衆に愛の心を啓発するよう呼びかけているのです。倹約した生活をして、平素、浪費している部分を節約すれば、飢餓に苦しむ人を助ける力が出てきます。また、浪費しなければ、大自然を守ることができ、世界は平穏になります。
 
「最近、私は『腹八分目、二分で人助け』を改めて口にしていますが、呼びかけ続けるべきです。さもなければ、地球の資源は人類に開発し尽くされ、全てを消耗し、環境が汚染されて酷く破壊され、二分を節約する機会さえも失われてしまい、お金があってもエネルギーや食糧を買えなくなるでしょう」。
 
●7月5日、スリランカ政府は破産宣告をした。ハンバントタの慈済ボランティアは貧困救済活動を展開し、慈済学校の教師や学生を支援した。(撮影・ウーディーニー)
先日、スリランカ政府は破産宣告をしました。現地の経済は崩壊し、政治が動揺し、民生物資は不足し、停電が起きて、交通も混乱し、二千二百万人の国民は窮地に追い込まれています。上人はため息をついて、二〇〇四年のスマトラ島沖地震の際に発生した大津波に言及しました。スリランカは甚大な被害を被り、シンガポールやマレーシアなど多くの国と地域の慈済人が緊急支援に駆けつけました。そして、縁を逃さず、ハンバントタに慈済大愛村と「国立慈済中学」を建設しました。
 
「慈済人は普段から愛のエネルギーを結集し、人々を募って愛で奉仕するよう促しています。私たちは健康且つ平穏で、お腹を空かすこともなく、物資も不足していません。何処かの国で困ったことがあれば、普段から募っていた愛の力を結集させて支援に行きます。一時的に米や衣類、寝具などを支給するだけでなく、縁があれば、住まいを失った人たちのために慈済住宅を建てています。支援した時には愛の種子を撒くので、彼らとの間に真心から出た情が結ばれます。彼らに寄り添い、生活を安定させ、そして彼らの国に希望をもたらそうとして、学校を建設したのです」。
 
「これは十数年前の話ですから、当時慈済中学に通っていた子供は、既に社会に出て仕事をしています。慈済が心身を落ち着かせ、安定した生活を与えたことで安穏に暮らすことができ、仕事に精を出して家庭を築くこともできるようになりました。自分たちが自立する機会を得たことで、次の世代にも教育を受けさせ、未来に希望を持つことができたのです。ですから、慈済は本当に慈悲済世を行っており、あのコミュニティーを救済するだけでなく、世の中に生気をもたらしたのです」。
 
「皆が一堂に慈済に集まり、人間(じんかん)のために奉仕するという稀なる縁を大切にしてほしい、また、過去の慈善災害支援活動に参加するのには間に合わなかったとしても、今でも数多くの慈済志業が行われており、大勢の人の投入を必要としているのです」と上人は言いました。世界には非常に多くの苦難に喘ぐ人が助けを必要としており、慈済人が親しい人に呼びかけることで、人々が一緒に愛を奉仕するようになってほしいのです。奉仕して人助けすることは、心に愛の種子を植えることです。それは遥か遠くの国や見知らぬ都市で芽生え、大樹となって現地で呼びかけ、愛を啓発し、菩提の森に成長していくのです。
 
「私たちは生活の中で実行し、欲望を抑えて浪費せず、『腹八分目、二分で人助け』を実践しなければなりません。心が満たされれば、余力で人助けができます。もし、欲望に任せていれば、永遠に満足できず、いつまでも足りないと感じます。元々、八分で充分なのに、十二分まで食べれば、健康に悪い影響をもたらします。私たちは調節することを知るべきであり、生活は適度が一番よく、余力で直ちに人助けをすべきです。『水滴は河になり、米粒も籠いっぱいになる』と言われるように、力を合わせて世の貧困や病に苦しむ人を助けるのです」。
(慈済月刊六七〇期より)
NO.311