十数年前、私は、啓蒙の師である阮義忠先生の指導を頂いたのをきっかけに、撮影を人生の志業とすることを決意した。以来、この世の真善美を写真として記録して、社会の温かさを伝えることを主な目標とし、撮影の仕事に携わってきた。
慈済では、年輩のリサイクルボランティアのことを敬意をこめて「環境保全老菩薩」と呼んでいる。私は長年慈済の雑誌「慈済月刊」の「大地保母」というコラムで彼らの物語を書いてきた。「慈済月刊」が発刊五十周年を迎えた今年、歴年の号を展示する特別展示会が行われ、私は特別に十六枚の年輩リサイクルボランティアの写真を選び出した。六十歳から九十歳までの貧しかった時代に、生まれた彼らの大半は文盲だが、純朴で運命に逆らわず、忍耐強い。若い頃に力仕事に就いて家計を担って来たからだ。年老いた今、今度はその両手でリサイクル活動に参加し、行脚僧の精神で以て、大通りから路地裏まで歩き回って資源を回収している。彼らはくず拾いではない。ただ資源が捨てられて環境の負担になるのを見かね、母親のような心で大地を慈しみ、子孫のために清らかな土地を守っているのだった。
記録することを通して、私は彼らの人生のストーリーを知った。息子や配偶者を失った心の痛みを経験した人や、体が不自由だったり病気の有る人、目の見えない人もいる。それぞれの境遇や信仰する宗教は違っても、皆、證厳法師の精神に感化されてここに来たのだ。リサイクルに参加することで 、疲れ果てた人生を転換し、奉仕することで、生命の価値を見つけたのだった。傍目から見れば、風前の灯のような晩年に映るのだろうが、私が見た先輩リサイクルボランティア達は、老いてはいても、廃人などではない。彼らは蝋燭の光のように、わずかであっても確かにこの世を照らしており、人の模範となることを信じて生きている。
郭黄招 │台南市東区·二○一四年
戸の外側に目を向けると、道の向かい側に市場が見える。そのにぎやかな様子は、七転び八起きを見せる人生劇場のようだ。そのうち、首をのばし、耳をすまして、家族が帰ってくる足音がしてこないかと、つい期待してしまう。
郭黄招さんは八十七歳で、嘉義県六脚郷で農業を営んでいる。誠実な田舎の人の例にもれず、郭さんも純朴な人である。
證厳法師が、地球を救い、人をも救う理念で環境保全活動を呼びかけているのを知り、積極的に環境保全活動に尽くしている。自宅が市場から道を隔てた目の前にあるので、郭さんは毎日朝昼晩三回、市場へ資源回収に行く。リサイクルができる物は一つたりとも見落とさず、夜の回収が終わって家に帰り着くのは深夜十一時過ぎになる。堅い信念のもとで集めた毎回の回収物は相当な量で、資源回収車に週三回来てもらわないと運びきれない。
郭さんの夫は数年前に亡くなった。その翌年に次男も亡くなり、今は郭さん一人だけになって、急に頼りになる人がいなくなった。そんな郭さんは、時々悲しみに涙を流すことがあるが、環境保全活動からは退かない。
盧李綢 │台南市東区·二○一四年
回収した一揃いの古着を着て、古い麦わら帽子を被り、腰が九十度近く曲がったお婆さんがこちらの方に歩いて来た。お婆さんが座るまで、お婆さんの顔はほとんど見えない。座ると、つば広の帽子の下から素朴な優しい笑顔がようやく見えた。今年八十四歳のお婆さんは、老菩薩と呼ぶにふさわしい人である。数年前に思いがけず事故に遭って脊髄を損傷た後、次第に腰が曲がってゆき、体の調子も昔に比べると大分衰えている。本来なら、休息して病を癒さなければならないが、お婆さんの意志は堅く、体の不自由を克服し、二輪の手押し車を利用して、体を支えながら一歩一歩歩いている。ただ一つの願いは、もっと多く環境保全に力を尽くしたい、ということだ。
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