慈濟傳播人文志業基金會
真面目に生活して、許しを請う
楊志偉(ヤン・ジーウエイ)さんは刑期を終えて出所した後、慈済ボランティアになり、社会に償いをしている。一生懸命働くのは生活の為だけではない。法律の制裁を受けたとはいえ、被害者に与えた傷は決して許されることはないのだ。彼には被害者の家族に自分で言いたかった一言がある。「私を許して下さい」。
 
●楊さん(右)は慈済のリサイクル・センターで力仕事を自ら買って出た。リサイクルの仕事をしていると自分も再生されていくように感じた。
 
寒波が襲来した早朝四時過ぎ、空はまだ暗かった。彰化県埔心郷に住んでいる楊さんは起床してから『地蔵経』を一通りあげると、分厚いコートに身を包んで牧場に急ぐ。気を付けながら温かい羊乳のビンをバイクに乗せ、顧客へ配達に行く。二時間余りかけて配達を終えると、もう一つの仕事が待っている。
 
楊さんと初めて会ったのは二年前のことである。花蓮刑務所から出所した彼がボランティアの高惟碤(ガオ・ウエイイン)師兄(スーシオン)に付き添われて、故郷の彰化県埔心郷に戻った時、私の家にやって来た。坊主頭で口数の少ない彼は、私が地域の月例読書会やリサイクル・デーについて話すのを聞いていた。「慈済活動への参加は二の次で、与えられた仕事をきちんとこなすことが第一条件です」。彼は黙って私の話を聞き、初対面の私に合掌してお礼を言った。
 
一九八二年生まれの楊さんには姉と妹がいて真ん中だが、男の子は彼だけだった。幼い頃から良い家庭環境の中で育ったが、中学の時の反抗期に、タバコを吸うことを覚え、学校をさぼるようになった。そして、高校生になるとドラッグを使うようになり、暴走族に仲間入りした。お金に困ると危ない橋を渡って、暴走して強盗を働き、逮捕された。十六歳の時に少年院に送られ、高校も中退した。三年間にわたる刑期を終えると、兵役で金門島に配属された。
 
兵役を終えて台湾本島に戻れば新しい人生が始まると思っていたが、いつの間にか堕落した原点に戻っていた。彼はホテルの電気整備士として、月給三万元(約十万円)の仕事に就くことができたが、暇な時に博打をしたり歓楽街に出入りしたりしていたため、次第にお金が足りなくなった。「博打では一晩居続けて五、六万元(約十八万〜二十一万円)勝ったこともあり、それに味を占めてだんだん、欲が出るようになりました。一日中頭の中でどうやってもっと金儲けができるかを考え、仕舞いにはホテルの仕事を辞め、スクラップの回収を始めました」。
 
表向きは合法のスクラップ回収業だが、裏では盗品の違法売買をしていた。「業績」がいい時は月に二十万元(約七十二万円)余りの売り上げがあったが、いい時期は長続きせず、すぐに悪事を働くようになり、それが発覚して、警察が手掛かりを掴み、彼を逮捕しようとした。そんな時、彼のお金は幾らあってもすぐに煙のように消えた。賭博の借金返済のために、闇金融の高利貸しに手を出した結果、遂に行き詰まってしまったこともある。二十六歳の時、路上で強盗を働いて捕まり、実刑十六年の重い判決を言い渡され、刑務所に入った。
 
●楊さん(左1)と高さん(左2)は刑務所で自分たちの経験を皆と分ちあい、改心するのはいつになっても遅くはないことを受刑者たちに知ってもらった。(撮影・翁華伶)

更生の道は試練

楊さんが服役して二年も経っていなかった時に、家から悪い知らせが届いた。彼を最も可愛いがってくれた父親が食道癌で亡くなったのだ。父親は亡くなる前、手錠と足錠を嵌めた彼が友人や親戚の目に止まれば、彼の自尊心が傷付くから、告別式には彼を参加させないようにと母親に言い残していた。父親は最期まで彼を心配してくれていたというのに、自分を省みると父親を気遣ったことなど一度もなどなかった。
 
楊さんは刑務所の中で大声をあげて泣いた。孝行ができないまま父親を亡くした悲しみは、彼にとって大きな打撃となり、それが彼を改心させた。父親に恩返しする為に、彼は高校を卒業することを心に決め、花蓮刑務所付属正徳高校に入学した。
 
高校卒業の年に高雄でガス爆発事故が発生した。慈済ボランティアの高さんとチームメンバーが刑務所を訪れた時、愛の心を募る活動も行なったのだが、皆に一元でも五元でも発心すれば菩薩になれると啓発した。楊さんは、五元の切手を寄付した。領収書をもらった時、慈済人が自腹で九十五元の切手を貼って百元にし、受刑者名義で災害支援をすることで、善意を起こさせようとしていたことに気づいた。
 
「社会を利することをする人がいるのに、自分は非道な悪事ばかりしてきた」。楊さんは慈済ボランティアになりたいという考えが芽生えた。二〇一七年に仮釈放された後、高さんの付き添いで彰化に戻ってから、私が引き継いで彼に付き添うことになった。
 
彼は故郷に戻ってから慈済に参加し、社会復帰の第一歩を踏み出したが、試練が待ち構えていた。出所して一カ月も満たなかった時、仕事中に不注意で高い所から転落して手を骨折してしまい、元気をなくしたのである。同じ元受刑者として、私は彼に、諦めないようにと寄り添うと共に、生計に問題が起きないよう生活費を支援した。そして、仕事ができない間を利用して、ドラック防止キャンペーンに連れて行った。彼が手の怪我で仕事を休んでいた三カ月間、私は毎日、彼を連れてボランティア活動に参加し、地域ボランティアの研修に申し込むよう励ました。
 
●楊さんは毎日パートの仕事に励んでいる。自分には何人ものボスがいると笑って言った。余暇の時はボランティアに専念し、自分の人生を歩んでいる。

七万元のため

私は仕事に復帰した楊さんの様子を傍で見ていた。彼は毎朝四時に起きてアルバイトで羊乳の配達に行き、続いて七時半から鉄工場でパートの仕事をした。暇な時はスクラップ工場でトラックを運転して、回収物を運んだ。ある日、不思議に思って、「どうしてこんなに懸命に働くのですか?経済的に困っているからですか?」と彼に聞いた。
 
楊さんは沈痛な面持ちで、ゆっくりとその訳を話し始めた。
 
「私は十年前に七万七千元(約二十八万円)を奪う強盗を働きました。法律に裁かれて服役しましたが、よくその時の状況を思い出すのです。被害者の恐怖に満ちた表情が頭に残って消えません。私は罪悪感に満たされています。慈済に参加してから因縁果報の重要性をよりよく理解するようになりました。私は被害者に謝罪して、当時奪ったお金を償いたいと思っています。羊乳を一年間配達すれば、十万元(約三十六万円)を貯金できるはずです」と彼は意志を堅くして言った。
 
私は彼の話を聞いて、余りの感動と喜びに言葉が出なかった。経済的に安定していない彼が慈済に参加しても間もないのに、過去の過ちを反省し、懺悔しているのは実に容易ではない。彼の言動が一致しているのが分かり、自分の堅い意志でボランティアになったことで、私はもっと安心することができた。

私を許して下さい

楊さんは生活を切り詰めて、一年余りで必要なお金を貯めた。私は旧知である彰化地方検察保護観察官室の蔡欣樺(ツアイ・シンホワ)主任に電話し、保護観察官の孫啓俊(スン・チージュン)氏にも協力を求めた。孫氏は長年の古い資料を探して、やっと被害者の一人である蔡さんの資料を見つけてくれた。連絡した限りでは先ず良好な返事が得られたので、「修復的司法」の手続きに入った。
 
二〇一九年十一月二十八日の午前、彰化地検が彰化師範大学の李先生をコーデイネーターに任命し、加害者と被害者双方が地検の会議室で対面した。楊さんが待ちに待ったその日が遂にやってきたのだ。
 
十年を隔てた再会の場は少し厳粛な雰囲気に包まれたが、双方のわだかまりをなくそうと李先生がプロの技で和らげてくれた。そして間もなく、楊さんと蔡さんは穏やかに話すことができた。
 
「貴方を傷付けたことに人生最大の罪悪感を感じています。法律の制裁を受けて服役しましたが、長い歳月が経っても自分が犯した大きな過ちを忘れることができません。ずっと、貴方に直々に謝りたいと思っていましたが、機会がありませんでした」と楊さんは蔡さんに話しながら男泣きに泣いた。
 
「父親が私の服役中に亡くなりました。私は懺悔と感謝をすることを学び、自分を変えることから始め、学校に戻りました。出所してから今日まで、慈済のボランティアになり、社会に奉仕して過ちを償ってきました。今は工場で安定した仕事に就いています。蔡さん、本当に申し訳ありませんでした!許してくださるでしょうか」
 
楊さんの話をしっかり聞き終わると、蔡さんは感動のあまり泣き出した。そして、「私にお金を返してくれるということは、あなたが経済的に安定しているという意味ですね。もう社会に迷惑をかけていないようなので、とても嬉しく思います。これからもそうしていくことを期待しています。頑張って下さい。私はあなたを許します」と蔡さんが続けて言った。
 
修復的司法
犯罪行為によって直接影響を受けた人達、即ち加害者、被害者、家族、地域社会の人たちまたはその代表者に、色々な形式の対話や問題解決の機会を与えて、加害者にその犯行による影響や自己責任の取り方を認知させ、被害者の心の傷跡の修復及び実質的な損害補填をする。
懲罰に重点を置いているのではなく、公的司法を補充する新しい意味を持ち、むしろ真相を話し、謝罪し、慰め、責任を取って、修復する中から正義を見つめることを目指している。(資料出所・新竹地検)

懺悔すれば間に合う

楊さんは毎週、仕事の合間を縫って積極的にボランティア活動に参加している。町内のリサイクル、連絡所の掃除、読書会など、慈済の活動では、いつも忙しくしている彼の姿を見ることができる。そして、刑務所では受刑者を見舞っている。二〇一九年の暮れ、楊さんは法師の祝福を受けて慈誠隊員になった。
 
「法師は、懺悔してこそ清浄が得られる」と言いました。楊さんはその言葉を心の中に納め、ここまで一緒に歩んでくれた人生の恩人たちに感謝し、「過去の私はただ欲望のままに生きていただけで、奉仕することを知らず、掌が上向きで貰うだけの人生を送っていました。この二年間、多くの活動に参加し、人生を無駄に過ごさないことがどれだけ良いことかを感じました。過ぎた三十六年間と比べてまるで天国と地獄の違いです」。善に向かうと心から願うと同時に、真心の懺悔こそが痛みをなくし、傷を癒やすことができると気づいた。
(慈済月刊六四一期より)
No.291