慈濟傳播人文志業基金會
自粛規制は守っても、愛が遅れてはならない
冬を越す大阪の「街友(まちとも)」たちを支援する
 
以前、大阪西成区には「日雇い労働者」の仲介業者が多かったが、バブル経済後は、不況により「街友」たちが集まる場所になっている。
 
昨年実施された感染防止対策の影響で急増した失業者は、路上で三食と一泊を求めていたが、多くの慈善団体が炊き出し活動を中止した。そして、コロナ禍に加えて寒い冬が再来した。
 
二○二一年の初め、日本は新型コロナウイルス感染症の拡大が予想を越えて深刻となり、一日の感染者数がピークを迎えた。「日本医師会」は声を上げ、大阪府がすでに医療崩壊の危機に瀕していると訴えた。一月九日、日本政府は二度目の「緊急事態宣言」を発令したが、一月中旬に感染者数が激増し、二月初めには三十九万人の感染者を記録した。
 
NHKの報道から、厚生労働省の統計によると、新型コロナ感染拡大の影響を受けて解雇や雇用終止を告げられた労働者など被災者の数は、昨年末時点で八万人近くに達し、コロナ禍が発生してから第一波の失業者となったと報じた。ここ数十年で、日本の非正規や派遣社員の数は大幅に増えている中、この新らたな失業者が加わった。大勢のコロナ難民が街角をさまよわずに済むにはどうすればいいのか。市政府の緊急課題の一つとなっている。
 
大阪の「街友」と「日雇い労働者」が集中する西成区は、一九六〇年代には日本経済が高度成長するにつれて斡旋業者が大きく増えたが、一九九〇年代にはバブル経済後の不況に見舞われた。ここでの臨時雇用は、長期間路上生活者になることを避ける最後のチャンスを失業者に提供してきたといえる。
 
西成区のあいりん臨時夜間緊急避難所(あいりんシェルター)は、大阪市政府が委託しているもので、「街友」と「日雇い労働者」に無料の短期宿泊施設を提供している。コロナ禍で防疫対策を徹底するために、収容人数を五百人から三百人まで減らした。また、毎日列を作って入所する方式から決まったベッド方式に変え、間仕切りカーテンを設置すると共に、入口で検温と消毒を徹底的に行うことにした。
 
●大阪のあいりん地区労働福祉センターは釜崎支援機構が運営する夜間の緊急避難所である。職員と共に、慈済ボランティアは去年の6月、「街友」たちにカレーライスを配付した。

三密を回避し、隔離しても愛は隔てない

日本は去年、冬になってから感染者数が連日記録を更新した。十二月三日、大阪府は緊急対策本部会議を開き、「大阪モデル」に赤信号を点し、府民に「自粛」を要請して、不要不急の外出を控えるよう呼びかけた。各駅には、マスクを着用し、警戒心を持って、近距離での接触を避け、感染拡大を防ぐよう公告を貼った。
 
慈済ボランティアは毎日、政府が発表する感染者数に注目する一方、シェルターの責任者山中秀俊さんと連絡を保ち、十二月六日の配付活動について討論してきた。日本のNPO法人釜ヶ崎支援機構の紹介により、関西地区の慈済ボランティアとあいりんシェルターが協力して行う冬の配付活動は、今年で五年目を迎える。
 
ボランティアたちが会議で討論したのは、コロナ禍が再び深刻になり、次の寒波も近づいている中、配付活動を一~二週間延期するかどうかであった。しかし、十二月中旬まで伸ばしたところで感染拡大は落ち着くのだろうか?今は防寒着が最も必要とされる時期である。不確実なことが多い中で、ボランティアたちは予定通り配付活動を行うことにした。愛は遅れてはいけないのだ!
 
二百五十人分の冬物肌着とズボン、靴下及びタオルを合計十二箱シェルターに届けた。山中さんは、「労働者たちは今日の活動を心待ちにしていました。『自粛』という緊急事態下でも配付活動を延期しなかった慈済にとても感謝しています」と言った。
 
ボランティアの中村省吾さんは、初めて配付活動に参加した二人の若いボランティアに、九十度のお辞儀と両手で物資を差し出す基本動作を示して見せた。ワーキングホリデーで日本に来た江佾澄(ジァン・イーツン)さんは、両親も慈済のリサイクルボランティアで、来日後、直ちに日本支部と連絡をとり、活動に参加する意向を示した。「人を助けることは自分を幸福にすることだと思いました」。今日の活動で彼は、誰もが他人に必要とされることができると感じた。
 
もう一人日本で仕事している卓樟汶(ツォ・ツォンウェン)さんは、どうして慈済の配付活動がこんなにも正式なものなのか、ずっと理解できなかった。今回、自分の目で見て、この九十度のお辞儀の力が相手に温もりを与えることを感じた。
 
コロナ禍に関して
 
大阪モデル
大阪府が独自に自粛要請をするかどうかの基準。「モニタリング指標は緑色、黄色と赤色と三段階に分れている。去年、重症者病床の使用率が63%に達し、医療崩壊を阻止するために、12月3日に“非常事態”を示す「赤信号」を初めてランドマークの通天閣に点灯し、人々に不要不急の外出を自粛するよう呼びかけた。
 
慈済の配付と対策
*会場レイアウトを簡素化し、紺色のテーブルクロスは使わず、事前にテーブルを消毒する。横断幕を掲げる代わりに、慈済の旗を使用すれば、消毒と洗濯が容易になる。
*ボランティアの参加人数と滞在時間を減らし、帰宅前に現場で使ったマスクを交換する。
 
屋外の広場に長テーブルを置き、ボランティアは五人だけだったが、二人の若者の参加により、仕事も楽になった感じがする。センターの職員たちは屋内の人数制限と安全距離を取ってもらう作業をした。余瓊珠(ユージョンツゥー)さんは安心した笑顔を浮かべ、「日雇い労働者が一人一人、距離を保てば、密になることはありません」と言った。
 
山中さんは、慈済が今まで日雇い労働者たちを支援してくれていることに感謝した。そこで彼は自主的に募金箱を作り、誰もが人助けする力を発揮して欲しいと願った。「私たちが恩返しできるのは、ほんの僅かです。それでも、役に立ちたいと思っています」。
 
長年にわたる交流で、日雇い労働者たちは物資を受け取ると、財布からコインを取り出し募金箱に入れてくれる。七十七歳の秋庭益夫さんは、小銭を貯金箱に入れながら「社会の平和」を祈った。コロナ禍の規制で、七十歳以上の人は入所できないため、彼は六カ月間も外で暮らさなければならなかった。「日雇いや掃除夫の仕事をしても、食べていけません。歳を取り過ぎているから、仕事も見つかりません。本当にあなた方には感謝しています!」
 
●酷寒の12月、ボランティたちは日雇い労働者たちのために、あいりんシェルターに防寒着を届けた。冬の配付活動は5年目を迎えた。

防疫しながら、暗がりを出入りする

コロナ禍で、就職の機会は更に少なくなった。大阪府は去年四月七日に、初めて「非常事態宣言」を発した。以前から定期的に炊き出しをしていた多くの団体(慈済も含む)が活動を中断したことで、日雇い労働者や路上生活者に与えた影響は小さくない。慈済の炊き出し窓口である余さんは心配して、山中さんに連絡を取り続けた。三月から五月にかけて、世界中でマスク不足に陥った時、慈済は何とかして、あいりんシェルターにマスクとアルコール、消毒液、おにぎり等の物資を届けた。
 
六月一日、ボランティアは規制解除を知ると、直ちに山中さんに連絡し、月一回の炊き出しを再開した。一食であっても、ボランティアたちが伝えたいのは愛の温もりである。
 
しかし、感染はまだ終息しておらず、油断はできなかった。引き続き三密(密閉・密集・密接)を避けなければならない。前夜、真鍋慶子さんと余さんは二百二十人分の食材を家に運び、切ったり洗ったりする準備作業を終え、翌日、あいりんシェルターへ持って行って調理した。午後一時半ごろ、シェルターの近くに住んでいるボランティア・陳美月(チェン・メイユェ)さんが自転車で現地に集合し、合計六人で配付活動を行った。
 
山中さんは、ボランティアの数が減るだろうと考え、自主的に調理の手伝いを十人の職員に頼んだ。しかし、密になるのを避けるために、お弁当に切り替えることを提案した。あいりんシェルターはこの数カ月間、とても忙しい。山中さんは、「労働者たちのために一回しか炊き出しをしていませんが、ボランティアたちがリスクを恐れず来てくれることにとても感謝しています」と言った
コロナ禍が収まらない中、七月の配付活動はおにぎりに変更し、端午の節句の頃にはボランティアは特別に二百個の菜食チマキを用意した。防疫のために、単に温かい一食を提供しようと思っても、簡単に済ませることはできず、おにぎりを提供し続けるしかないのだ。
 
コロナ禍の影響で増えた「街友」たちに対して、山中さんは多くの団体と共同で、大阪地域で彼らに宿泊と仕事の機会を提供している。「彼らは真っ先に社会から忘れられてしまう人たちです。人の命には貴賤はありません。もっと彼らへの支援活動を頑張らなければならないと思っています」と山中さんは言う。
 
シェルターでの配付を終えると、ボランティアたちは必ず周辺を回り、「街友」たちにも支援物資を配付して、大都市の片隅で野宿する彼らに温もりと祝福を届けている。世界的に大流行しているコロナ禍はまだ出口が見えないが、愛は止まってはならないのだ。
(慈済月刊六五二期より)
No.293