慈濟傳播人文志業基金會
0402台鉄タロコ408号事故 慈済ケア日記

事故概要

◎4月2日午前9時28分、408号(樹林発台東行)列車が花蓮県清水トンネル北口で線路上に転落したクレーン付きトラックと衝突し、和仁駅と崇徳駅の中間地点で脱線事故が発生。1~3号車はトンネル外だったが、4~8号車はトンネル内壁に衝突し、トンネル内に立往生した。
◎乗客・乗員498人のうち49人が死亡、218人が重軽傷を負い、花蓮や羅東などの病院に搬送された。

災害支援統計4/2~4/13

物資の配付
弁当:3,112食
パン・マントウ:500個
飲料:58樽
即席粥:90箱
マフラー:749本
毛布:100枚
簡易折り畳みベッド:48床
間仕切り:37枚
見舞金贈呈:延べ90人
ボランティア動員数:延べ3,458人
活動地点:仁水、清水、崇徳、新城、花蓮市立葬儀場、静思精舎、花蓮慈済病院、台東などのエリア
 
4月2日
◎午前9時28分事故発生。9時31分乗客の女性から電話により花蓮県消防署に最初の通報。緊急事態のため発生地点を説明できず。9時35分消防署119緊急通報ダイヤルで事故発生地点を確認。9時50分交通局が国道台九線の仁水トンネル北上車線を救助のために封鎖。
 
◎10時33分、中央災害対策本部が正式に事故情報を発表。11時、花蓮慈済病院救急外来が花蓮県消防署からの通報で、多数傷病者緊急救護受入れ体制を立ち上げ。慈済医療志業の林俊龍CEOは救急外来スタッフと共に救急車で事故現場の支援に駆け付け、トリアージと応急処置を行った。
 
◎11時04分、慈済基金会は静思精舍に「0402台鉄タロコ408号事故」防災総指揮センターを設置。常住衆と清修士、職員及びボランティアを総動員して支援活動にあたった。
 
◎花蓮慈済病院は11時28分に「赤9号・多数傷病者受入れ体制」を発動。事故現場の救助難度は高かったが、事故直後に救出されて救急外来に搬送されてきた負傷者は軽度から中度の怪我が大半であった。その後、午後1時57分からの12分間のうちに、6台の救急車が花蓮慈済病院に到着し、心肺停止状態の1名を含む3名の重傷者が搬送された。増加する負傷者に対応するため、花蓮慈済病院は午後2時12分に2度目の「赤9号」体制を発動した。花蓮慈済病院は、前後して2回の多数傷病者受入れ体制を発動し、延べ約1000人で、軽傷者33名、中等傷者17名、重傷者8名を含む58名の治療に当たった。重傷者で心肺停止状態に陥っていた1名は救急救命処置が行われたが、亡くなった。
 
撮影・楊國濱
 
◎事故現場に駆けつけたボランティアは、11時28分から乗客や救助隊員らにパンや水の配付を開始した。午後2時に負傷者や犠牲者の遺体が崇徳駅に搬送され、トリアージが行われた時、ボランティアが協力した。
 
◎静思精舍の常住衆は12時15分に第1陣の弁当を届け、その後、数日にわたって食事提供の重要な役目を担った。
 
◎午後2時33分、事故現場の指揮で、遺体は電車で新城駅まで搬送され、そこからさらに葬儀場へ搬送された。ボランティアは新城駅に間仕切りで臨時安置所を設け、亡くなった人への助念を行った。
救助活動は夜を徹して行われた。ボランティアは弁当やスポーツ飲料などの物資を届けて、救助隊員や台鉄の修理作業員をサポートした。
 
◎午後5時、ボランティアたちは、花蓮市葬儀場で県職員から状況を聞いた後、8時に拠点を設置した。犠牲者の遺体が次々に葬儀場に搬入され、慈済ボランティアは県職員の要請で、被害者家族の付き添いと送迎を行った。ボランティアは2時間交代で夜通し、悲しみに暮れる被害者家族を慰めた。
 
4月3日
◎午前4時半から精舍の常住衆らがマントウやパン、豆乳、アーモンドミルクなどを作り始め、朝食の分が終わると、引き続き昼食と夕食の準備に取り掛かった。それらを葬儀場や仁水トンネル拠点に届け、被害者家族や県職員、台湾鉄路管理局(以下台鐵と略す)職員、葬儀業者、メディア関係者やボランティアに提供した。暑さ対策のため、冷たい飲み物や氷、冷やしタオルも追加で提供した。
 
◎慈済エコ補助器具プラットフォームも連携し、桃園、台北、宜蘭から車いすや歩行器、杖などの補助器具が集まった。11時に花蓮に届けられ、負傷者に提供された。
 
◎午後1時、ソーシャルワーカーとボランティアが葬儀場で被害者家族のケアを行い、見舞金を贈呈した。
 
◎午後2時、被害者家族は花蓮県が用意した6台の大型バスで事故現場へ向かい、「招魂」儀式を行った。精舎の尼僧や清修士、ボランティアがそれぞれ被害者家族に付き添った。その間、小雨がぱらついていたため、雨具や傘を提供した。
 
◎午後3時から5時、花蓮県民政局の手配の下、8名の精舎の尼僧が約100名のボランティアと共に、事故の犠牲者に対する助念を行った。
 
撮影・廖文聰
 
◎犠牲者の遺体が家族と共に居住地域に帰り、宜蘭や台東、台北のボランティアがケアを引き継ぎ、深夜になっても、葬儀場で被害者家族に付き添って遺体の到着を迎えた。台東のボランティアは2018年のプユマ号脱線事故でのケアを経験していたため、即座に拠点を設置して、交代でケアにあたった。
 
4月4日
◎緊急救助活動が一段落すると、事故現場は台鉄による復旧工事が開始した。現場近くは交通の便が悪く、飲食店もないため、引き続き、現場で取材にあたるメディア関係者に弁当を提供した。
 
◎被害者家族が次々に葬儀場で遺体確認を行ったり、遺体の修復を待っていた間、精舎の尼僧や慈済ボランティアが彼らの心身のケアを行った。昼食や夕食の準備のほか、夕方は涼しくなるため、温かい飲み物や毛布、マフラーも用意した。
 
撮影・詹進德
 
◎近い距離から花蓮慈済病院で治療を受ける家族の世話ができるように、と何組かの被害者家族が慈済の用意した宿泊施設に泊まり始めた。
 
4月5日
◎引き続き葬儀場で被害者家族に寄り添い、遺族や県職員、台鉄職員らに食事を提供した。花蓮慈済病院は葬儀場内に「安心奉仕拠点」を設置し、心療内科や漢方医の医師らが共同で被害者家族や救助隊員、警察消防隊、作業スタッフなどの心身のケアを行った。現場には間仕切りで心を癒せる静かな空間を作り、漢方医学による簡単な治療も行うことでストレスや痛みを緩和した。
 
撮影・葉宜家
 
◎数日にわたる救助活動の末、6号車の下敷きになっていた最後の犠牲者の遺体が午後3時15分に搬出されると、ボランティアは両脇に並んで助念を行った。
 
◎連日の救助活動で心身共に疲弊していた救助隊員や警察、台鉄工事関係者に慰労品を贈呈した。
 
4月6日
◎家族らが次々に居住地に戻っていき、葬儀場にいる人は減ったが、引き続き1日に100個ほどの弁当が必要だったため、慈済奉仕拠点は慈済病院の支援チームと共に、警察や検察官、台鉄職員に対して支援を行った。
 
◎ボランティア団体「76行者・遺体美容修復チーム」は100名以上の遺体修復師が台湾全土から駆け付け、一刻も早く遺体を家族の元に届けたいとの思いで、時間と競争して昼夜を分かたず、交代制で遺体の修復を行った。ボランティアは毛布やマフラー、簡易折り畳みベッド、飲料などを提供し、漢方医が疲労回復を促す治療を行った。
 
◎2組の遺族が現場に戻って招魂し、精舍の尼僧とボランティアが付き添った。
 
4月7日
◎葬儀場の慈済奉仕拠点と慈済病院支援チームは引き続き様々なニーズに応え、支援を行った。宜蘭、台北、桃園、台中、台南、台東など各地の慈済ボランティアも、地元に帰った遺族のケアを引き継いだ。
 
4月8日
◎花蓮葬儀場の慈済奉仕拠点撤収。
◎花蓮慈済病院は、「76行者」の修復師が遺体修復中に針や骨で怪我した人に破傷風の予防注射をしたり、傷の手当てをした他、全ての修復師に対して健康診断の採血を行い、半年間の健康状態を追跡する。
◎静思精舎では午後7時30分から『普門品』を唱え、死者の霊が安らかになり、生者の心が落ち着くことを祈った。世界33の国と地域の93の地域道場と個々人のオンラインによる延べ1万1千人が参加した。
 
4月9日
◎慈済の花蓮市立葬儀場での食事の提供は本日、昼食をもって終了し、台鉄と花蓮県政府社会局が引き継いだ。
◎慈済は台東葬儀場奉仕拠点を撤収。
(慈済月刊六五四期より)
No.293