その九・住―心広ければ住まいも広い
現代の社会はおしなべて豊富な衣食に恵まれています。お金さえあれば、享受するべきだと言う人々がいます。しかしながら、大きな邸宅を豪華に飾りつけても満足しない人は本当に心が楽しいでしょうか? そんなに豪華な住居が必要なのでしょうか?
私は常に幅三尺に長さ六尺のベッドさえあれば、気持ちよく眠れると思っています。住まいは清潔で、風雨を凌げたらそれでいいのです。適当な食事、睡眠と温かい衣服は生活の根本で、それ以外の物質は生活する上での道具にすぎません。
私たちは家を整理することを学び、物が充分にある時は大事に使い、足りない時は気にかけず怨まないことです。
人生で多くの財宝を持っていても楽しいとは限らず、真の豊かさは心の中にあるもので、心の内で満足していなければ豊かとは言えません。住宅の大きさ、快適さを求めるよりも寛大な心と自在を求めることです。心機一転すれば、自然に人のために金銭を使うことは困難でなく、いつも人との善縁、福縁を積み重ねることで円満な人生が送れます。
広い住まいより広い心を
天と地の間に生を受けている私たちには、住という小さな空間が必要です。しかし、豪華でなく広くなく、いかにして、物欲を縮小して広々とした無形の念を広げることができるでしょうか。
私は「広い住いよりも広い心」ということをいつも言っています。生活する上で適当にあればいいのです。何も余計なものを求めず、大切なのは満足することです。貧と富の差は金銭の多寡、地位の高低、権力の大小になく、心で満足していることです。
新店に九十歳になる退役軍人がいます。欲少なく楽天的な一人暮らしのお年寄りは、近所の人と仲が良く皆に好かれています。貧しい家は雨漏りするので室内はじめじめと湿って、毛布はかびていました。水がめに貯めた雨水を使い、近くの枯れ枝を拾って三度の食事を作っていました。
慈済ボランティアが訪問した時、この様子を見るに忍びず家の修繕をすることにしました。しかし、あまりにもぼろぼろで修繕だけではすまされず、取り壊して立て直すことにしました。お年寄りは大変感激しましたが、土地の所有者は隣の人です。慈済人が建直すと聞いて隣人はすぐに「構いません、私の土地ですが家を建直してもいいですよ」と。
新しい家が出来上がった時、こんな家に住めるとは想像もしてなかった、それに庇まであるからそこで近所の人と楽しく話ができると満足そうにお礼を言いました。
もう一人の中風のお年寄りは、若い時に知的障害者の娘と結婚していました。今、妻は下の世話をすることさえできず、排泄物は家の裏に捨てて屋内は見るに耐えない程汚れていました。
慈済人が貧民支援に行った時、この地域のボランティアにも呼びかけて、家の内外を清掃した後、お年寄りの体を洗って清潔な衣服に着替えさせました。その実、お年寄りは一軒の家を持っている上に、月々の退役軍人の手当で経済面では問題がありません。ただ悪い娘がいつもお金をせびりに帰ったり、騙したりしていました。そのためか、お年寄りはお金にひどく執着し、毎月給付される手当のお金も使い惜しみます。
頑なお年寄りは慈済人に対して依頼心が強く、もっと多くの援助を望みます。ボランティアは金銭上の援助はしていませんが、気にかけて度々様子を見に訪れます。訪問の度に喜ぶけれど、不平を訴え何が足りない、何が必要と要求します。行くたびに聞く不平で、毎日の生活がどんなに辛く楽しくないかよく分かります。
人生で豊かな心は最も重要なことです。もしも、物欲のとりこになっていたら、どんなに多くを持っていても足りないと感じ、心は貧しいものです。反対に物質面では清貧であっても、心はそれに影響を受けていなければ心豊かな人生です。一人一人が豪邸を持っているとは限りません。しかし、美しい広々とした心の邸宅を持つことができます。
一九九九年九月二十一日に発生した台湾中部大地震の後、私に会いにきた普通の格好をした子供連れの若い夫婦に感動させられました。夫婦は小さな二階の借家に住んでいて、家と車を買うために一心に働いて貯めたお金を持って家を見に行っていた矢先、大地震が発生しました。夫婦はそのお金を献金したいと言うのです。慈済人は一時に全部を献金せずに生活のために残すように勧めました。
夫婦は「今の二階の借家に住んでいても別にかまいません。私たち一家は幸せで何の憂いもなく暮らしています」と。これが「住居の広さよりも心の広さ」ということです。地震の被災者が瞬時にして家族も家も失ったことを、夫婦はしみじみとその身に感じたのです。中でも希望工程(被災した学校の再建プロジェクト)には多額の献金が必要です。夫婦は家を買うには、またお金を貯めればいいので、人助けは機会を逃さずにという思いで献金しました。その上、このことはメディアのインタビューを受けずに安心して善事を行いたいと言いました。
いかにして「広い心」を持つことができるのでしょうか? 誰もが善に解釈し、人と人が睦まじく触れあうことができれば幸せです。何時も寛大な心を持って人を包容すること、そして、足るを知り、お互いに感謝の心が持てるようなら「難」はありません。
以前の人の心は単純でしたが、社会の経済発展にしたがって欲念は膨れ上がり感謝の心が薄れています。人性の単純な善念が次第に薄れていくことは、実に心配です。どうしたら善良な心が啓発できるのでしょうか? それは、内心からの愛を発しその愛の種子を散布することです。見返りを求めない奉仕ができ、受けた恩を感じて、それに報いれば社会に希望が現れます。
「あなたにこんなことができる」
地域の改造に参加
一人の力に比べて大勢の力は更にエネルギーを節約し、生活環境を改善できる。地域活動に参加して、地域の緑化と省エネを隣近所に呼びかけ、ともに実行すること。
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