慈濟傳播人文志業基金會
先住民の子供たちに通学の船賃を

サバ州の辺境地パイタンの先住民の子供たちは何もかも不足していた。

カバン、文房具、交通費など…。

しかし、彼らは学習への情熱に満ち、自分たちの将来を担っている。

 

パイタンに数え切れないほど行き来しているが、毎回が試練である。早朝五時過ぎ、ボランティアの陳彩媚と謝秀華一行はサンダカンを出発し、平坦なアスファルトの道路からヤシ園の砂利道を通って山道を登り、四時間かけてやっとパイタン村河畔の小さな船着き場に着いた。そして、救命胴衣をつけて日よけ帽子をかぶり、ボートに乗って水の流れる方向に進んだ。行き先は慈済が交通費や食事代及び補習授業料を支援している三つの学校である。

行く途中、救命胴衣をつけていない大人や子供たちが完全装備してボートに乗っているボランティアたちを好奇の眼差しで見た。

「私は泳げないので、初めてこういうボートに乗った時、とても怖かったのです」。救命胴衣と雨合羽、日よけ帽子を携帯してきた陳彩媚が言った。「水がボートに入って来ると、ボートが沈むのではないかと怖くて、一緒に水の汲み出しをしました」

サバ州サンダカン市から二百二十キロ離れた偏境地パイタンの主な住民は先住民である。山道を行くのが大変なため、サンパンに似たモーター付きの細長いボートが村人にとって最も便利な交通手段である。農業と出稼ぎで生活している先住民の多くは生活が貧しく、子供を学校に行かせるためのボート代も払えないことがよくある。

「パイタンでは毎日、学校に通うことは容易なことではないのです。子供たちは山奥や川沿いの村に住んでおり、学校とかなり離れています。学校へはバスや車の便はなく、ボートに乗るお金がなければ、歩くしかないのです」

慈済サンダカン支部の責任者である謝秀華によると、二〇〇四年にボランティアはパイタンを訪れ、先住民への施療を始めた。数年後、パイタン一帯の山林が開発されてヤシ園に変わり、泥道ばかりになったため、子供達は何時間もかけて学校に行かなければならなくなった、と校長先生や教師たちが語る。雨の日になると歩行が一層難しくなり、学校に着いた時はすでに下校時間になっていたこともある。そういうわけで、欠席率が高くなった。

学校に行けない状況を見かねて、二〇一〇年、ボランティアたちはパイタンにある全ての小中学校を訪ねてから課外補習の支援を始め、今日まで三千五百人の子供を支援してきた。二〇一四年からはボランティアがパイタンのそれぞれの学校と子供たちの家庭を訪問して調査を行い、「幸福な学校生活」と題した支援活動を開始した。それは支援を必要とする子供にボート代や補習授業料、食費を補助するものである。

 

ボートから希望が見える

 

九月半ばのある日、ボランティアがシンパンガン小学校の船着き場に着いた時、近隣の中学校はすでに下校して生徒たちが船着き場に集まり、小学生の下校を待っていた。

中学三年生のダニューには小学一年生の妹がおり、家は学校からボートで二十分の所にある。慈済がまだ交通費を支援していなかった時、彼は週に二日しかボートに乗れず、他の日は学校へ行けなかった。

彼の父親は水道局に勤めているが、給料は多くない。母親は家で幼い弟や妹の面倒を見るために働けず、子供たちが毎日ボートで往復する一・八リンギ(約五十円)が払えなかった。勉強が好きなダニューは将来技術者になりたいと思っているが、続けて学校に行けなければ、その夢は断たれてしまう。

「今、僕も妹も毎日学校に行けるようになりました。とても幸せです。以前、僕は成績があまり良くなかったのですが、今年はクラスで十番以内に入っています」とダニューははにかんで言った。毎日夜が明ける前に船着き場に行ってボートを待つが、雨の日になると体が濡れ、生徒でいっぱいになったボートの中では足を伸ばす空間もないほどになるが、彼にとっては勉強できるだけでよく、これぐらいのことはどうということはない。

ボートが着いて子供たちが降りると、往々にして道はぬかるんでおり、そこからしばらく歩かないと家に着かない。ボランティアはボートから降りると、ぬかるんだ道は普段よりも歩くのが大変で、木につかまったり互いに支え合ったりしながら坂道を上った。それによってボランティアは子供たちの苦労を感じ取ることができた。しかし、子供たちの屈託のない笑顔は、彼らが全く苦労とは思っておらず、勉強できるのだからとても幸せだ、と言っているようだ。

 

カバンを持てば、毎日が楽しい

 

新芽助成金(補習)を申請する子供は年々増え、パイタンの十幾つもの村に渡っている。謝秀華と他のボランティアは子供たちが直面している困難をよりよく理解するため、苦労を厭わず、一戸一戸家庭訪問をしている。

「子供たちは文房具が不足しています。校長先生からの依頼により、毎年の新芽クラスで支給するのは現金ではなく、もっと必要な鉛筆や定規、練習ノート、制服などにしています。これら文房具などの物資は生徒たちに大きな希望をもたらしています」と長年当地を訪問して来た謝秀華には感慨深く、カバンの支給で生徒たちの単純な必要性を感じ取った。

今年初め、新芽助成金支給が迫っていた時、謝秀華はリサイクルセンターで多くのジーンズが集められてあったのを見かけ、パイタンの生徒たちが皆、ビニール袋に教科書を入れて学校に通い、時にはそれが破れて本が落ちていたことを思い出した。そこで、彼女は裁縫を得意とするボランティアに頼んでジーンズでカバンを作ってもらい、支給日に贈ることにした。

しかし、謝秀華が用事で台湾に帰っていた時、サンダカンのボランティアから電話で助けを求めにきた。今年は新芽助成金を申請した生徒が五百人ほどにふくれ上がったため、ジーンズが不足してカバンが間に合わない、という内容だった。彼女は静思書軒の売り場で見かけた紺色の手提げバッグがカバンの代わりにならないものかと考えた。しかし、在庫が足りなかったため、まず四百個をサンダカンに送った。

「四百個の慈済バッグとジーンズでできたカバンを合わせれば、新芽助成金を受ける生徒たちには足りるのですが、思いもよらず、ほかの学校からもカバンの要求が来たのです。数量が足りないので来年支給しますと返事しました」

パイタンで支給する時、生徒たちは大きさも色もさまざまなカバンを背負って大喜びだったが、慈済のバッグをもらった小学生たちも顔をほころばせた。臨時に申請した幾人かの生徒たちだけは文房具をもらっただけで、カバンはもらえなかったため、悲しそうだった。謝秀華たちはそれを見て心を痛めた。サンダカンに戻ってから、ボランティアたちは「生徒一人にカバン一つ、善人一人がカバン一つ」運動を起こし、身近な親戚、友人などからカバンを募った。その結果、短期間に千個ものカバンが集まった。

次の新芽助成金の支給時には一人につき一つのカバンを支給することができ、二度と子供たちを失望させることはないだろう。謝秀華たちに笑顔がこぼれ、先住民の子供たちに対する人々の愛を感じた。

 

教師も生徒も一所懸命励む姿が一番美しい

 

長年、ボランティアが子供たちを世話してきたことはパイタンの校長先生を感動させた。セコラ・ケバンサン・ルバン・ブアヤ小学校のダスニ校長によると、二〇〇八年にダンロンリベで教鞭を取っていた時に慈済と知り合い、毎年、ボランティアがノートや辞書などの文房具類の物資を提供してくれていた。そして、山奥に住む生徒たちが通学するために自転車まで提供してもらった。今の学校に転勤してからも、慈済は寄宿生の食費や補習授業料を提供し、成績の良くない子供たちも補習に参加できるようにしている。

「これによって生徒たちの成績は大きく向上しています。中でも学習障害があった六年生の十人は、公の模擬試験に合格し、そのうちの二人はAを五つも取ったのです。この学校では今までこんなに素晴しい成績を残した生徒はいませんでした」。ダスニ校長から見ると、慈済ボランティアは生徒たちにとって正真正銘の恩人である。パイタンは観光客を引きつける風光明媚な所ではないのに、ボランティアたちは車とボートを乗り継いで、苦労をいとわず寄宿生と補習生の世話をしに来てくれる。その志は彼に深い感動を与えた。彼は慈済の会員になり、毎月の寄付で困っている人を助けている。

謝秀華がたどたどしいマレー語で教科書を読み出すと、子供たちは声に出して笑った。言葉は通じなくても、その真心は感じ取ってくれている。子供達の成績に向上が見られることはボランティアにとって一番の喜びであると共に、彼らが大事に慈済のカバンを使っていることに心を打たれる。慈済のカバンは事実使いやすく、生徒たちも大いに気に入っており、教科書を忘れてくることもなくなった、とダスニ校長が笑顔で言った。

一人の生徒がカバンを開けて、謝秀華に整理された本やノートを見せ、小さい声で言った。「本がたくさん入るので、とてもいいカバンです」

子供たちはジッパーをしめ、背中に背負ったカバンは本がいっぱい入って重いのだが、皆笑いながら教室を出て行った。ボートで帰る生徒は船着き場に行き、寄宿生はカバンを背負って宿舎に向かった。ボランティアは一緒について行き、住環境が簡素であることを知ったが、生徒たちが苦にしている様子はなかった。

寄宿生はカバンを下ろすと、デッキに出てきた。ボランティアが訪問を終えて帰るので、彼らは高い位置にあるデッキで見送るために出てきたのだ。ボランティアは皆に手をふり、勉強するんだよと声をかけた。生徒たちは輝くような笑顔で答えてくれた。その純真な笑顔に希望が見えた。

NO.228