慈濟傳播人文志業基金會
台湾盲人再建院は 慈済と取り組んで五年目に入った
皆さんは時々街中で「白い杖」を持った視覚障害者を目にするでしょう。歩きながら杖で地面を叩いたり、手をあげてバスに合図をしています……。正常な人は車や屋台、あるいは他の障害物が視覚障害者の行く手やバスに合図する動作を遮っているのを目にしても、「お手伝いしましょうか?」と声をかけてよいのか分からない人がいると思います。
 
二○一九年の台湾衛生福利部(日本の厚生労働省に相当)の統計では、全台湾で視覚障害者は五万六千人余りを数えます。二○一五年の調査によれば、八割以上は後天的な病気や事故で視覚障害者になっているそうです。人生で暗黒に陥った時、一歩一歩が恐怖と未知の連続で、外出したり職場に戻るなど考えられないのは言うまでもありません。
 
台湾盲人再建院(視覚障害者職業訓練施設)は設立されて六十年余りですが、視覚障害者の生活再建と職業訓練に無償で協力し続けていたので、毎年の必要経費と財政面に大きな問題を抱え込んでいました。慈済基金会は二○一六年から盲人再建院と公益合作を始め、この歴史のある盲人再建院を支援し、中途視覚障害者に生活の希望をもたらしています。
 
●盲人再建院の学生が国立故宮博物院を訪れ、スタッフの案内で「触る見学」をして、大きさや細部まで精巧に作られたレプリカに触れた。

転業して社会復帰することを指導する

台湾では、よく駅や商店街、病院でマッサージコーナーを見かけますが、そこでは視覚障害を持つマッサージ師が疲れた旅行者に癒しを提供しています。その中の六割のマッサージ師は台湾盲人再建院で訓練を受けています。それ故、台湾盲人再建院は視覚障害マッサージ師を養成する本山とも言えます。施設のスタッフの協力で、彼らの就職率は百パーセントに達しています。
 
盲人再建院院長の張自女史によると、ここに来て学習した視覚障害者は、事故や希少遺伝性疾病以外に、七、八割の人は緑内障、糖尿病、脳腫瘍、黄斑や網膜などの病気が原因です。
 
飲食業、運送業、IT業界などの専門領域に携わっていた人もいますが、失明後、元の職業に戻るのはとても困難なことです。盲人再建院では視覚障害者の職業訓練に関して長年模索した末、「マッサージ」を重点に置くことを決めました。学ぶ意志さえあれば、短期間で成果が得られるようにしたのです。
 
毎年、盲人再建院のマッサージの訓練に申し込む人は多いのですが、経費の関係から、「丙級マッサージ師養成講座」は、一年一期に十六人の学生しか受講できません。盲人再建院の職員・林夏妃さんによると、九カ月にわたる職業訓練で学生の寄宿と訓練にかかるコストを合わせると、数十万元になるそうです。政府は一部を補助していますが、半分以上は自費になり、また生活再建カリキュラムとその他の訓練や活動経費は別なため、毎年大きな出費がかさみ、赤字に陥っていました。
 
「この数年、募金活動では非常に苦労していて、多くの人は私たちが詐欺集団だとまで思っています」と林さんが説明しました。環境の変化で、定期的に定額の寄付をする人が減少しているため、時間を掛けて活動するしかないのだそうで、「以前は六回の募金で済んだものを、今では十二回必要になるのです」。
 
盲人再建院視覚障害者就職プロジェクトを支援するため、慈済基金会は二○一六年から盲人再建院と「公益協力協定書」を取り交わし、「丙級マッサージ師養成講座」の経費を助成することにしました。その後四年間で六十三人の学生がそのライセンスを取得して就職しました。二○二○年で五年目になります。
 
当時、代表で第一回の契約を交わした慈済基金会慈善志業発展所の呂芳川主任によると、毎年訓練を終えた若い視覚障害者が社会復帰し、自力で生活したり、家族を養っているのを目にすると、このような慈善合作の仕組みが成果を上げていると共に、とても意義があると感じているそうです。
 

 

台湾盲人再建院の紹介

1951年に、牧師夫人の孫理蓮さんの協力でアメリカ海外盲人援護協会(AFOB)が出資して台湾支部を発足させた。その後、1955年に曾文雄氏は現在の新北市新荘区に台湾で初めての盲人再建院を創設し、1958年に財団法人台湾盲人再建院として正式に登記した。翌年台湾初めての点字出版社と点字図書館も開設し、中途視覚障害者の生活・職業再建のほか、盲導犬の訓練、点字出版などを使命としている。
 
盲人再建院は無料で乙級と丙級マッサージ師の養成講座及び生活再建カリキュラムを提供している。そして盲人再建院を卒業したマッサージ師は学んだ技術を次の学生に伝えている。同時に北部、中部、南部で開設した地域市民大学講座は、受講する視覚障害者の数が毎年平均して千人ほどに上る。
(資料整理・記録ボランティア実習生 許智翔)
 

愛で寄り添い、気の持ちようを変える

半世紀にわたる、慈済の慈善志業の多くのケースは心身障害の苦しみに対するものです。一九六六年の盧さんのケースは初めての医療志業であり、一九六七年李さんには初めて大愛の家を建てて支援しました。また墓地に住んでいた呉さんは台東で最初の慈善ケースでしたが、いずれも視覚障害のある方々だったので、訪問ケアボランティアが長期に亘って寄り添いました。
 
慈済基金会のベテラン社会福祉人員である徐瑞琼さんによると、視覚障害者の世話をするには特別な専門知識が必要なのだそうです。慈済ボランティアはケア世帯の世話をする以外に、社会福祉資源と結びつける手伝いをしたり、あるいは彼らが障害者証明及び関連補助を得られるよう手伝っています。視覚障害者に生活改善や社会復帰の意志があれば、ボランティアは盲人再建院のような専門施設を紹介しています。また盲人再建院も弱者家庭の学生を慈済に報告し、慈済は人員を派遣して訪問し、実情を把握した上で、必要な支援を提供しています。
 
近年、ボランティアたちは視覚障害者の学習に参加し、彼らと一緒に未知の生活を模索しています。マッサージクラスの学生は皆、長期間寄宿しなければならず、ボランティアは定期的に夜の勉強や恒例の屋外活動に付き添っています。お互いの交流で、視覚障害者はボランティアたちの人生に視野を広げていると共に、ボランティアたちも心して視覚障害者に寄り添い、彼らの気持ちの持ちようまで変えているのです。
 
長年、慈済ボランティアが盲人再建院の障害者に寄り添ってきたことを記録してきた新荘の人文ボランティア呉玉対さんによれば、最初は失明で家に閉じこもっていた人もこの盲人再建院に来てマッサージを学んでからは自力で生活し、友人もでき、収入を得るようになって社会に溶け込んでいます。彼女は「確実に彼らの支援ができている」とつくづく思うそうです。
 
●専門の「人導法」訓練を受けた慈済ボランティアは、盲人再建院の屋外教育で学生に付き添い、路面の段差に注意したり、歩く速度を落として視覚障害者に安全感と尊重を与えた。
(慈済月刊六三九期より)
NO.280