慈濟傳播人文志業基金會
専業マッサージ師になるまでの道のり
視力を失ってから十年
 
私は仕事をするのが好きです。今はプロのマッサージ師として自力でお金を稼げるのをとても嬉しく思います。お客様から「とても気持ちいい」と聞くと、何か大きなものを得たような気がするのです!    ――闕文莉
 
指先で触れることで筋肉の筋を感じ取り、それに通じるツボを探して揉む。動作はゆっくりだが、客の凝った筋肉を完全にほぐすことだけに精神を集中させて指先に力をこめる。
 
基隆市にある啓明按摩院で働いている闕さんは今年、五十五歳で、どう見ても普通の人のように見えるが、よく見ると彼女の左目には白い靄のようなものが掛かり、右目も僅かな視力しか残っていない。
 
闕さんは思い返す。失明した前日は廟の前で元宵節の催し物を見ていた。一夜明けて目が醒めると、目の前がぼやけていた。病院で診察した結果、糖尿病による網膜剥離だと分かった。僅か一夜にして、世界がすっかり様変わりしたのだ。
 
●中途視覚障害者は周囲の環境に対して、挫折感を感じて気持ちが萎縮するため、そういう時に最も寄り添いと支援を必要とする。

マッサージも専門職

以前、闕さんは中風を患った姑の世話をしていたが、一夜にして視力を失ったため、家事が出来なくなっただけでなく、夫にお弁当を買ってもらわなければならなくなった。彼女が怠けていると誤解した家族に「使い者にならない」と言われ、よく言い争いをした。
 
「当時、自分で人生を終わらせることができれば、これ以上役立たずになることはない、という考えが頭をよぎったこともありました」。自信をなくした闕さんは、十年間も家に閉じこもって外出しなかった。
 
二〇一六年、彼女は日本の身体障害者手帳にあたる証明を申請したが、台灣盲人再建院の福祉関連職員が彼女に外へ出るよう励ました。その時は「私を騙さないで。視覚障害者がバスに乗れますか?不可能です」と思っていたそうだ。しかし、職員は積極的に彼女に働きかけ、盲人再建院南部センターで自立した生活を学ぶ手配をしてくれた。そのうちに自分の人生に自信を取り戻し、「私はこの仕事が好きなので、社会に出て働きたいです」と職員に告げたのだった。
 
最初、彼女はマッサージの学習を拒否した。しかし、経済的な能力を得て自立できることを家族に証明する為には、それが一番近道だと考え直し、毅然として故郷の高雄を離れ、新北市の再建院でマッサージを学ぶことにした。「私は人からお金を貰うのが嫌で、自分の尊厳を取り戻したかったのです」。
 
先生の教えとクラスメートの勧め、心理カウンセラーとの対話を通して闕さんは少しずつマッサージという仕事に対する見方を変えた。
 
「先生は私達が問題に遭遇した時、どうすれば良いか教えてくれました。それからはあまり怖くなくなりました」。
 
限られた資源の中で、再建院丙級マッサージ師養成講座では毎年、十六人の視覚障害者しか受講することができなかった。マッサージに関する学科試験以外に、面接で合格者を決めた。「面接の時、私は一大決心し、必ずこのチャンスをものにしようと思いました」。
 
しかし、マッサージ師になるのは想像していたほど簡単ではなかった。九カ月間、延べ千六百時間の集中訓練を受けなければならず、一番難しいのは筋肉の構造とツボの位置や経絡を理解することだった。基本的な解剖学からツボ学、病理学とマッサージの手法に至るまで、五十歳を過ぎた闕さんにはなかなか覚えられず、とても悩んだそうだ。「時々、何故家で大人しくせず、ここで苦労しているのだろうと思いました」。
 
再建院の講師は学生が直面する問題を理解していたため、自分が歩んできた経緯を話して聞かせることで、何度も辞めようとした彼女を引き止めることができた。「私だけでなく、誰もがその道を通るのだから」。彼女は二〇一八年に卒業し、再建院の推薦で基隆市の啓明按摩院に就職した。
 
「就職したばかりの頃は腕のだるさと痛みで、夜になると泣いていました」。しかし、闕さんは、それは一つのプロセスであり、自分が真面目に仕事した証拠だと思うようにした。「ある日、長庚病院のマッサージコーナーで仕事していた時、お客さんにいい加減なマッサージだ、とクレームをつけられました」。闕さんは大きな挫折感を味わった。同僚は彼女に、挫折を力に変え、経験不足を練習で補えば進歩すると慰めた。
 
再建院で学ぶのは基本だけで、あとは職場で様々な問題に直面する。例えば、悪い姿勢によって腰椎が曲がってしまった場合、処置方法は状況によって異なるため、闕さんは時間を見つけては講習を受けたり、仲間に教えてもらったりした。
 
●触覚が視力にとって代わり、マッサージ師の闕さんは皮膚に触っただけで顧客の凝った筋肉をどのようにもみほぐしたらいいかが分かる。

社会に還元することで自信を取り戻す

二○○八年、最高裁は憲法六四九条で心身障害者の権利保障に関する解釈を示した。マッサージ業は視覚障害者だけが従事できるという規定は憲法違反だという見解で、二〇一一年十月三十一日から目の見える人もその仕事に就くことができるようになった。その解釈は本来あった視覚障害者に対する保障を損なうことになり、多くの視覚障害を持つマッサージ師に不安を与えた。
 
同様に再建院で訓練を受けて、マッサージコーナーで十年以上の経験をもつ呉弘銘さんがこの解釈について語った。「視力障害を持つマッサージ師の仕事場は、大抵目の見えるマッサージ師の店ほど豪華ではないため、商売は自ずと打撃を受けます」。
 
商売が大分悪くなったという話を、就職して一年しか経っていない闕さんもオーナーから聞いた。目の見える人は免許がなくてもその仕事に就くことができるため、足裏マッサージや指圧の店が増え、視覚障害マッサージに一定のインパクトを与えている。しかし闕さんは「技術を磨けば心配はいりません」と異なる見方をする。再建院の講師は学生に自分の関節や健康を守る方法を教えている。「マッサージを学ぶにあたって最も怖いのが指の変形です。規定通りに習得すれば、比較的職業傷害を防ぐことができます」。
 
神様は一つの扉を閉めても、もう一つの扉を開けてくださる。闕さんは視覚を失ってから触覚が鋭くなった。マッサージは主に触覚に頼る。客の体のつくりは様々で、ツボの正確な位置は目でも見極めにくく、触覚に頼るしかない。
 
「目の見える人は一目見れば経絡がどこを通っているのか分かりますが、視覚障害者の場合はゆっくり模索するしかありません。それでも触覚で分かった時はより正確にマッサージできるのです」。
 
再建院で学習する期間、慈済ボランティアは多くの身障者を招いて体験談を話してもらったり、「竹筒歳月」の精神を手引きにして、社会還元をすることで自信を取り戻すよう受講生を励ましている。「視覚障害者でも人助けができるのか、と不思議に思いました」と闕さんが言った。
 
●視覚障害者は訓練を経ているため、慣れた場所では目が見える人と同じように歩き回ることができる。日常の生活環境がバリアフリーにしてあると視覚障害者の安全をサポートする上で大きく役立つ。
 
彼女は視力が正常だった時を思い返した。彼女は菜食の食堂を経営していて、店の隣に慈済ボランティアの女性が住んでいた。当時、彼女も勧めに応じて会員になり、毎月百元(約三百六十円)を寄付していた。だが視力を失い、仕事する能力を失ってからは、それも出来なくなった。そして二〇一九年一月、彼女は再び仕事を得て人助けができるようになった。「お金を稼げるようになり、とても嬉しいです」と言った。
 
彼女と同期で訓練を終え、再建院のリラックス・コーナーに就職した王国豪さんは、再建院の学外研修で植物人間となった人のマッサージに行った時のことをこう話す。「彼らは動けないので筋肉が萎縮していますが、それをマッサージするので、痛くならないか心配しました」。植物人間は反応がない上、受講生は目が見えないので怖いのは確かだが、異なった感想も抱いたという。「多くの受講生は涙を流します。自分はまだ人の役に立つことが分かって感動するのです」。
 
院内のリラックス・コーナーで働いている職人達は、給料以外に一部の売り上げを後輩の為に再建院に還元することで、先輩受講生が後輩受講生を支援している。善の蓄積を通して社会にも還元する愛を未来に伝承している。
 
初めの頃、闕さんはマッサージを風俗業と誤解していたが、今は自分がプロのマッサージ師であると共にトレーナーであることに誇りを持っているそうだ。
 
「私は人に奉仕できます。特に終った後、お客さんに『非常に良かった』と言われた時は、とても嬉しく感じます」。
 
職業の再訓練を通して自立能力を得た後、家族の彼女に対する態度も変わったのだそうだ。彼女も再建院に通えたことを幸運だと思っている。それによって自分の尊厳を取り戻すことができたのだから。
 
「自分で立ち上がり、一歩を踏み出すのが成功への道です」。自分も障害を持つ慈済ボランティアの経験談が彼女の心に深く刻まれた。「その言葉は今の私にとって真実そのものです」。止まることを知らない努力を通じて、視覚障害者でも仕事する能力を取り戻せるだけでなく、社会にも還元できることが分かれば、生きる意義を見つけることができるのである。
(慈済月刊六三九期より)
NO.280