慈濟傳播人文志業基金會
防疫して災害をなくす良い方法
自愛と共に斎戒し、生命を尊重する
 
防疫するにはこまめに手洗いし、マスクを付け、
 
必要以上に集まらないこと、
 
最も根本的な良法は斎戒し菜食すること。         
 
口からの病を予防するのも、
 
平安を祈る敬虔な気持ちを表すことになる 
 
 
春節が終わり、時は一日一日と過ぎても心は晴れません。世界の災害が引っ切り無しに伝えられてくるからです。去年発生したオーストラリアの森林火災は今だに延焼し続けて住宅地に迫り、億単位の動物が焼死し、消防隊員は疲れ切っています。そして最も頭を悩ませるのが、新型コロナウイルス(COVID-19)の蔓延です。中国湖北省武漢市に端を発し、二十数カ国に伝染しており、感染した人は瞬く間に増えました。すでに死者は二千人を超え、世界は危機に直面しています。
 
ウイルスは見ることも触ることもできず、知らないうちに伝染します。感染源はどこなのでしょうか?研究によると、野生動物からだと言われています。元来、自然環境の中で生活していた動物たちは何の心配もなかったのです。しかし、動物の体にあったウイルスが人に感染し、人から人へ伝染したのです。
 
野生動物だけでなく、世の中では数多くの動物が人類に飼育され、残念なことに、時が来ると食用のために殺されてしまうのです。人類は自分の利益だけを顧み、他の生命の生存権利を顧みず、欲望のままに弱肉強食の状況下で残酷にも衆生の肉を食べています。あらゆる動物には毒素や細菌が潜んでいるため、口蹄疫や鳥インフルエンザが発生する度に何千、何万羽が撲殺され、人類による災いに遭うのです。
 
新型コロナウイルスに対するワクチンはまだできていないので、警戒心を高め、こまめに手洗いし、マスクを使用して必要以上に集まらないようにすることが最も有効です。しかしそれだけでは足りません。斎戒菜食こそが根本的な良法で、病が口から入るのを予防することができ、殺生を減らすことで内心の真心を表わすことができるのです。
 
米、麦、雑穀は自然界が人類に与えてくれた最も栄養のある食べ物です。ご飯と野菜の味と香りでお腹を満たせば、栄養は充分なのです。こんな簡単で清浄な暮らしができれば、とても幸福な人生ではないでしょうか?このような規則正しい生活なら、心安らかに健康を保つことができるのです。しかし、それに逆行すれば、反撃を受けることになります。 
 
今回の疫病は人類への警鐘であり、私たちに反省と誤ちへの懺悔を促しているのです。これもまた人類が目覚める時であり、直ちに「菜食」に改めるべきです。菜食には色々と良い点があります。この機会に試してみてはいかがでしょうか。
 
食物を呑み込むまでは数秒間の感覚しかなく、心を正して動物の世界を尊重し、生死は自然に任せ、故意に飼育して屠殺しないことです。人と動物は同じように命があり、その身になって労り、命を尊び、愛すべき存在なのです。
 
 
災難が降りかかった時、自ら警鐘を鳴らし、直ぐにやるべきことをやり、軽々しい態度を改め、自分の人格を上げて人々を正しく導かなければなりません。「身心共に健康の道」を知り、且つ「明智」であるべきで、「無明智」であってはならないのです。無明智の人は多くのデマを飛ばします。 
 
疫病が拡散している時、最も恐ろしいのは人心の不調和です。根拠のない話をする人は無心かもしれませんが、伝える人が真実を知らないままでは、無知から無知へと伝わり、無知無明になり、無明の嵐が吹き荒れ、人心を恐怖に陥れかねないのです。智慧を働かせてデマを止める智者になりましょう。私たちの所で止めてしまうのです。真実でない話は人に伝えず、それを聞かないことです。規律を守り、慌ててはいけません。
 
大火または疫病であっても、人力による救済だけでは足りません。戒を慎み、敬虔に祈ることには意味があるのです。科学が発達しているとは言え、ウイルスは目に見えません。自分から戒を慎まなければ、一旦業の門が開け放たれたら、感染は広がってしまいます。世の衆生は共存共生しており、互いに尊重と愛で以て睦まじく、争いをなくして初めて皆が無事に過ごせるのです。「生命を尊重する愛に感謝し、和して争いをなくし、共に福縁を結びましょう」。
 
治療の第一線にいる医療関係者は恐れを知らない勇気を奮い起こしていますが、その影で大変な苦労をしているのです。彼らこそが生命の英雄です。彼らが生死の界に立ちはだかっているこの時に、門外の私たちは自分を守り、自愛すると共に他人を尊重することこそが、疫病の災害をなくす不二の法門なのです。 
 
誠・正・信・実の下に生命を愛して護り、心を一つに、菜食で以て誠意を表しましょう。良い心、善い願を立てて敬虔に祈れば、天の諸仏や菩薩に届くはずです。今回の疫病が速やかに終息するよう祈りましょう。皆さんの精進を願っています。
(慈済月刊六四〇期より)
NO.280