慈濟傳播人文志業基金會
離れて一層深まる家族の絆
「人を救う医者を、支えなくてはならない」
この思いが、丁翠華と陳慶豊に年越しの団らんを差し置いてまで
徹夜でゴーグルの仕入れ先を探しに走らせた。
春節休みの間、家族はそれぞれの場所へ向かった。
品定め、支払い、引き取り、配付……
 
年越しには、一家四人で昼食の残りを温めて食べました」。ボランティアの丁翠華さんは少し残念そうに語った。無理もない。今までの大晦日は一家三代、家族十数人が集まって楽しく年を越し、喜びを分かち合っていたのだから。
 
「それが今年は新型コロナウイルスが発生した湖北省武漢市から故郷の浙江省温州市で年を越すというだけで、安全のために自主隔離しなければならないのです。舅と姑は私の実家に行くことになりました。海外留学している私の長男も今年は会えると楽しみにしていたのですが、祖父母に孝行することができなくなりました」。
 
感染の終息の目処が立たない中、一家の年越しが味気なく過ぎてしまうと、封鎖されている武漢市の人々のことが心配になった。
 
「何か援助物資を送りたいと思っても、交通網の封鎖で届けることができませんでした。すると大晦日(一月二十四日)夜十一時半頃、武漢市の大医王と言われている樊麗華師姊から電話がありました。いつもは気丈な方なのですが、その時は泣いていたのです」。
 
その電話で丁さんと夫は、第一線で治療に当たる医療スタッフに必要不可欠な防護用具が足りないことを知らされた。
 
「その夜私たちは一緒に涙を流しました。それでも何か方法はないかと考えたのです。指をくわえて見ている訳にはいかないですから」。医療スタッフは困難が重なってもひるむことなく、彼らを奮い立たせていたのは「命を守る」という責任感だ、と丁さんは語った。
 
丁さんと夫の陳慶豊さん、そして兄の一家は、二十数年前に故郷温州から武漢に出てきて眼鏡店を開業し、努力の末、今では社員四百人をかかえる近視進行抑制医療器具のチェーン店となっていた。彼らはこの時期に医療がどれほど大切かを熟知していたので、自分の専門である眼鏡から始めようと決め、コストをものともせず、ゴーグルと必要な防護用具の仕入れに取りかかった。医師は人を救うのだから、支えなくてはならない。

悲智の二徳に心を合わせる

丁さんは会社で物流を担当しているため、日頃から眼鏡メーカーと付き合いがあった。まず浙江省内台州の数社に聞いてみると在庫があるという。この知らせにほっと胸を撫で下ろして喜び、その日の夜は眠れなかったそうだ。
 
翌日、春節の日の早朝、長男が留学先に戻ると、陳さん兄弟は仕入れ先へ向かった。一日中車を走らせ、食事も水を飲むこともそこそこに、直接メーカーの倉庫に車を停めると一つ一つ選び、それぞれの店で商談を進めた。価格にこだわらず数と種類を揃え、三万個余りのゴーグルを購入した。しかし物流が停まっていたので契約はしたものの武漢市へ届くのは数日後だという。
 
時間は命に等しい。一分でも早くゴーグルをつければ医療スタッフの安全が守れる。彼らは武漢市まで八百キロの道のりをレンタカーで自ら届けに行くことにした。昼夜を問わず進み、いろいろな所でサポートを受けながら、武漢三鎮の一つ漢口の眼科医院に乗り付けるとその場でゴーグルを配った。
 

●陳慶豊と兄の慶申は温州でゴーグルを仕入れると、800キロの距離を移動して漢口へと運んだ。防護服を脱ぐ間も惜しんで医師が引き取りに来た。(写真提供・陳慶豐)

 
受け取りに訪れたのは武漢市の各病院に勤務する医療スタッフで、医療の最前線から防護服のままで来た医師もいた。「これこそ必要なものです」と口を揃えて言った。
 
陳兄弟は届けたらそのまま家族の元へ戻るはずだったが、話し合った末、武漢に残ることに決めた。旧正月三日目、早速ボランティア組織を立ち上げ、全力で高品質のゴーグルを仕入れる準備に取りかかった。メーカーと連絡し、サンプルを見て価格を決め、発送を手配する。そのためには食事も水も後回しにし、発送が終わるとカップ麺で腹を満たした。
 
この時期に、兄の慶申さんは単独で経営する会社のある担当者を伴って湖北省仙桃市へ向かった。そこは不織布の生産地として知られているが、N95のマスクをはじめ、医療用マスク、防護服など不足していた物を幸運にも手に入れることができた。だからといって休むことなく、直接ハンドルを回して広水市へ配付に向かった。後で知ったことだが、その時、広水市第一人民医院ではマスクの在庫が一つだけだったそうだ。
 
湖北省周辺の街でも物資は窮乏していたので、彼らは連続三日間仙桃と広水、随州などの地域を往復して、N95のマスク三万個、防護服一万セット、医療用マスク七万個を贈った。その道中で二人は水だけを飲み、空腹の時にはカップ麺で過ごした。
 
丁さんも実家でじっとしてはいなかった。下の息子の世話をしながら、新しい仕入れ先と連絡を取り、代金の支払いを受け持った。留学先へ戻る時に少し不機嫌だった長男は、「武漢の隔離病室で母親が亡くなる」という報道を見てすぐに連絡してきた。「お母さん、文句ばかり言っていたけど、僕にとって世界で一番素晴らしいお母さんです。大好きです。どうぞ体を大切にしてください」。
 
父親には「お父さんとお母さんは本当にすごいです。それがどんなに大変か分かっています。だから僕がずっと見守っていることを、永遠に両親を誇りに思っていることを、信じていてください。どうぞ感染することだけはありませんように」。息子の真心こもったメッセージに彼ら夫婦は今までの疲れがすべて消え失せ、涙が止まらなかった。
 
医療用物資の仕入額は人民元百万元にも上ったが、その中には数百人からの募金も含まれている。
 
慶豊さんは奥さんの丁さんに尋ねた。
「普段あれほどお金の使い方に気をつけているのに、一気にこんな額を寄付してしまって、惜しくないかい?」
丁さんは答えて言った。
「辛くなんてないわ。今、手を差し伸べなくてどうするの」。
 
慶豊さんによると、彼の側には大切な人が二人いる。それは丁さんと人文部の王慧玲さんで、二人は敬虔な慈済委員だ。彼自身も昨年末に武漢市で行われた歳末祝福感恩会の時には、映像で齢を重ねた法師の姿を見て胸に迫るものがあり、ひとりでに涙が溢れたそうだ。この数年来、相手のためを考える愛の慈済精神が経営に与えた影響は計り知れないという。
 
旧正月十五日を迎える頃、丁さんは下の子を連れて温州の実家で自主隔離に入った。長男は海外で勉学に励み、夫とその兄は依然として医療物資の仕入れに奔走する日々が続いている。すでに社員は外に出さず、自ら仕入れ、届けている。
 
感染はまだ終息していない。彼らもその歩みを停めない。流れに逆らって昇り続ける一家の後ろ姿を案じるばかりだ。どうぞ無事でいますように!
(慈済月刊六四〇期より)
NO.280