慈濟傳播人文志業基金會
真心から出た言葉
 
常に感謝の気持ちを持ち、
無明の煩悩に付きまとわれず、
声を荒げて失態を晒すことがないよう
心掛けるべきです。
 

日々の第一歩

 
「毎日、晨語の講釈では、仏法で道を切り開き、皆さんが日々、菩薩道を歩むことに期待を寄せています。続いてボランティア朝会では、皆さんが諸々の出来事を報告し、大衆に奉仕する方向を確かなものにしています。道を順調に歩むには、一歩ずつ着実に歩み、方向が逸れないようにしなければいけません」。三月一日の朝会で上人は、「日々の第一歩から方向が正しく、菩薩道を歩まなければなりません。世の災害が人類に鳴らしている警鐘を察知し、身・口・意を慎み、欲望のままに業を造ってはなりません」と皆を励ましました。
 
人類は口の欲望を満たすために、大量の原生林を伐採して牧場や養殖場にしています。そして、利益を貪るために地底や海底の資源を採掘し、水を保持する森林土壌と海洋の自然な生態を破壊しています。四大要素の不調和による災害は益々激しさを増し、危機が迫っています。上人は、人心の欲はとても深く、最終的にその被害は人類自身に跳ね返ってくる、と嘆いています。
 
「以前、人々はいつも、一家を養うために懸命に働いているのだ、と言っていました。家族に食べさせ、心配のない生活を与えるというのを全て否定するつもりはありません。人間は食べないと栄養は摂れないからです。しかし、今の人は味や口の欲を追求し、大量の家畜を飼っています。毎日、殺される動物の数は膨大で、社会が乱れるほど殺生が行われ、人本来の善良な本性は既に見失われてしまっています」。
 
また、上人はこう言いました。「世界中に広がっている新型コロナウイルス感染症は人類に警鐘を鳴らす『大いなる教育』なのです。自分だけ平穏無事で運が良かったと言って同じような生活をしていてはいけません。気候変動が急を告げていることを感じ取り、目覚め、これ以上際限のない欲望の追求をしてはならない、と悟るべきです。社会が平安で庶民が安心して暮らせることを望むなら、誰もが足ることを知り、常に感謝の気持ちを持って、和気藹々と生活することです。また、菜食することで斎戒し、衆生と共存すべきです。これこそが自らを救う道であり、災害を抑える最良の処方なのです」。

相手の長所を見る

三月二日上人は、精舎へ帰って尼僧たちと農耕生活を送っていた十数人の慈済アメリカのボランティアに、縁を逃さず、深く法脈精神を理解するよう開示しました。「縁を大切にし、法縁者同士の感情を緊密なものにして、アメリカで綿密な菩薩ネットワークを作るのです」。
 
「精舎に帰って、法脈の精神を理解したいのであれば、自力更生することです。自分の力で生活すると同時に、奉仕する愛を啓発し、見返りを求めない奉仕をするようになるまで訓練するのです。そして、あらゆる事に対して感謝の気持ちを持ち、『感謝』が真心の言葉になるようになれば、修行の目的は達せられたと言えます。発心立願しても、実際に行動に移し、その志を長く不変のものにするには、不動の心と意志の力が必要です。従って、あなたたちが常住尼僧たちを見て深く感動する理由は、彼女たちの発心した、その一念が全く変わっていないからです」。
 
「人は生活のために働かなければなりません。ただ、食べ物はそれほど多く必要とするわけではなく、発願すれば、余力で人助けができ、人助けすることは慧命を成長させます。あなたたちが家族の団らんを楽しむのは、世俗的な凡夫の人情と言えます。しかし、世俗的な凡夫は両親が自分を生んで養育してくれたことを当然のことのように感じていますが、成長してからどうやって親の恩に報いるかに思い至る人は多くありません」。
 
「親子の関係だけでなく、人との関係もこの世で出会った縁を大切にしなければなりません。というのは、生活環境が異なり、考え方も異なるため、出会った時にはまだ意見の違いがあったり物事の処理方法が異なったりするため、ぎくしゃくした関係になるのは避けられません。もし、いつも誰それがどうのこうの、と相手の欠点ばかりが目につけば、益々腹立たしくなります。これは他人の無明の煩悩を自分の中に取り入れることであり、正しく『人の過ちで自分を罰する』ことです。相手の過ちで、自分に対して大声を出した、などと考えれば考えるほど腹が立ってきて、自分の声にも棘が出てきます。
 
いつも嬉しくなるようなことを話し、相手の欠点も受け入れ、長所を見るようにして、単純な心を広く持って常に感謝の気持ちを持つよう自分を訓練するのです。そうすれば、逆境に遭遇した時、直ぐに抜け出せ、無明の煩悩に纏わりつかれることもなく、声を荒げることで失態を晒すこともありません。修行しようとするなら、恨みを抱かず、誰に対しても『感謝』すべきであり、それは絶えず自分に今までの悪習を改め、良い習慣を身につけるよう促していることでもあります。
(慈済月刊六五四期より)
 
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