慈濟傳播人文志業基金會
敬虔に斎戒して、危機を乗り越える
地上に存在する、人間(じんかん)の苦難は
人心の小さな無明が集まってできたものである。 
災難が目前に差し迫った今、早く目を覚ますべきである。
 
 
この世の苦しみに無常を念じ、天の下、地の上にある人の世は正に試練に直面しています。地、水、火、風による災害が世界各地で途切れることなく発生しています。新型コロナウイルスは世界に拡散して、虚空をも覆い、各国に蔓延し、急を告げています。
 
台湾のコロナ禍は緊迫し、人々に生活様式を変えるよう、警鐘を鳴らしています。集会活動を停止し、一時の欲念によって不急不要な所へ行ってはいけません。欲念を抑えて、行動が欲望からなのか必要に迫られているのかを分別し、自分と他人を愛するために、自分は自粛するべきです。皆が健康であれば、私たちも健康になるのです。社会が一日も早く以前の自由を取り戻すことを願っています。
 
インドでは、五月初めから毎日三十五万人を超える感染者が報告され、平均して一秒に四人が感染していることになり、首都ニューデリーでは五秒に一人が亡くなっています。医療も薬も病床も不足している中、感染者が多くて病院が受け入れられず、道端で待たなければなりません。患者が呼吸困難に陥っても、酸素ボンベが不足しており、お金持ちの人も買えない状況下で、貧しい人は絶望して死を待つばかりです。息も絶え絶えになりながら家に帰りつく前に亡くなっています。家族は目の前で愛する人が亡くなるのですから、その心の痛みは形容し難いものです。
 
仏陀はかつて弟子たちに、命の長さはどれくらいか知っているか、と聞いたことがあります。ある人は一日、ある人はご飯を食べている間だと答えました。しかし、仏陀は頭を横に振り、それでは生命を理解したことにならないと言いました。するとある弟子が「生命は呼吸の合間にある」と答えました。仏陀は頷き、世間は無常であり、人の命は呼吸の合間にあるのだと言いました。
 
呼吸よりも更に短いのが刹那です。息を吐いても吸うことができなければ、瞬時に無常は訪れます。インドはこのように、今は息をしていても次の瞬間、止まってしまうかどうかは知る由もありません。今は無事でも、この一日を過ごせるかどうかは分かりません。今日一日、次の一刻、次の一秒がどうなるかと人々は恐怖に満ち、心身ともに疲れ果てています。
 
疫病に国境はなく、ウイルスは人種も肌の色も区別しないため、皆が敬虔に戒め慎み、厳格に自分を護ると共に、人助けに努めなければなりません。インドのコロナ禍はまるで津波のように、一分一秒を争う素早い行動を必要としています。感染した二千万人の一秒を、我が身のことと受け取り、彼らが危機を乗り越えられるよう支援しなければなりません。
 
去年から、慈済はインドの神の愛の宣教者会やカミロ修道会などの組織と協力して、防疫と貧困救済を行なって来ており、貧しい人々に物資を配付しています。今では感染が更に拡大し、カミロ修道会の神職者たちは仁徳と慈愛、勇気でもって、危険を恐れず、病院で支援しています。インドは世界の人々の愛を必要としています。私は基金会の職員に、「これは緊急事態であり、現地の機構から救援を求めてくるのを待つのではなく、迅速に『請われざる師』となって積極的に支援しなくてはいけません」と言っています。国際間では防疫による制限で、物資や人の出入りが困難なため、今は現地にいる人が関心を寄せて支援するしかありません。
 
 
人同士の互いの気遣いは、有形の支援だけでなく、無形の誠意を表すことが必要で、それが即ち斎戒することなのです。人は皆、命を惜しみますが、自分の命を愛するだけでなく、一切の生霊も愛さなければいけません。国連食糧農業機関の統計によると、一秒に二千五百余りの生き物が人類の食用に供給され、一日に二億二千万余りの生命が人類に食べられています。肉を食べなければ、殺生することはなく、即ち放生(ほうじょう)することになります。誰もが菜食すれば、一秒に二千余りの生命を放生し、一日に二億余りの生命を放生するのと同じです。これは無量の功徳であるばかりでなく、至誠の敬虔な心を表すことになります。
 
同じ時に異なる現実の空間では、多くの人が非情な疫病の災難の下に置かれています。世の中のことは自分とは関係がないとごまかしたり、逃避してはなりません。災難が差し迫った時、覚めなければなりません。元より自分の中にある清浄な仏心を自覚するのです。一念の無明で心に些細な貪、瞋、癡が起きます。それらは見ることも触ることもできませんが、動き出した欲念は際限がありません。そのような僅かな無明が集まって造り出された業力も際限がなく、この世の至る所に苦難をもたらします。
 
この疫病はすでに人の力で抑えることはできず、欲念を抑え、口の欲を節制し、尊い良知でもって、これ以上殺生せず、智慧と他人を思う心を高めるべきです。誰もが身をもって模範を示し、口伝えにすれば、一人、十人…百万、千万人に影響を及ぼすことができるのです。人心が敬虔で、誰もが斎戒すれば、大きな功徳を成すことは難しいことではなく、多くの生霊は私たちと共に大自然の法則の下で,平穏な日々を送ることができます。肉食を菜食に変えれば、世の衆生は共存共生することができるのです。
 
渦巻く怒涛の荒海に揉まれる一隻の船の中にあっても、皆が恐れるのではなく、落ち着いて規律を守り、同じ方向に向えば、無事に乗り切ることができます。毎日同じ時刻に、世界中の慈済(ツーチー)人は一斉に祈っています。その敬虔な心の祈りは諸仏に届いています。平隠無事である人たちは、お互いに祝福し合うだけでなく、善い人として善の心から善い事をして福を造ると発願し、皆の福を集めて保護膜とするのです。この禍が速やかに去ることを願っています。
(慈済月刊六五五期より)
NO.295