慈濟傳播人文志業基金會
伝承と超越
慈済志業は、一日に五十銭を貯金して困難の克服を支援するという「竹筒歳月」の習慣を、花蓮を起点として始めたことに由来している。台湾全土から全世界への道は起伏に富み、苦難を伴ったが、シニアボランティアたちは力を合わせて切り開いた。
 
変化する世界情勢の中で、後続の人は依然として薄氷を踏む思いでいるようだ。あの一年、あの一念を伝承して、人々の善意の心を啓発し、代々にわたって愛のエネルギーを永続させ、次の五十五年に向かって邁進するのみである。
 
●仏教克難慈済功徳会の設立から三年の間は、変わらず普明寺に仮住まいをして各種慈善活動を行っていた。それを知った證厳法師の俗世の母親、王沈月桂さんは、資金を出して土地を購入した。15カ月の工期を経た1969年5月10日、新城郷康楽村に静思精舎が落成した。(写真の提供・花蓮本部)
 

世界に広まった竹筒歳月の習慣 慈善パワーは皆の力

 
慈済功徳会設立初期の法師と慈済人。普明寺にて。この善意溢れる女性たちは訪問ケアをして貧困者の救済を行うため、募金をして人助けをしようと思い立ち、日々の食事代から50銭を貯金する「竹筒歳月」を始めた。今日までの積み重ねは少しずつ結集し、小銭は大善を成すと言われる通り、慈済の慈善支援とケアの足跡として120余りの国に及んでいる。(写真提供・花蓮本部)
 
2008年、慈済はミャンマーの農民、烏閔寿(ウー・ミン・ソー)さんに種籾を贈った。彼は竹筒歳月を模して「一日一握りの米」貯金を始めた。彼の娘さんが毎日、白米を炊く前に一握りの米を容器に入れ、いっぱいになるとそれを寄付するというものだ。今ではミャンマー全国の「米貯金」会員が毎月2万3千キロもの白米を貧困者に贈っている。月2万3千キロもの白米を貧困者に贈っている。(撮影・蕭耀華)
 

口伝えで伝える慈済、困難を克服する精神が脈々と継がれている

初期の静思精舎の周りは見渡す限りの水田だったので、尼僧たちが外部と連絡する時には自転車で向かいの村に行って公衆電話を使っていた。また、慈済人は手紙を送ったり、徒歩で精舎に出向いたりして志業について話し合っていた。それを見て、鄭柏(ジョン・ボー)さんという師兄が18カ月のサラリーを注ぎ込み、大通りから精舎までの道に電信柱を立てて電話線を通したので、やっと精舎に最初の電話機が取り付けられた。
 (写真の提供・花蓮本部)
 
慈済はアフリカのエスワティニでINGO(国際非政府組織)の登録をした。志業の源は9年前に南アフリカのボランティアが国境を越えて指導したことに始まる。今日に至っても、通信技術に無縁な地域では「口伝え」で慈済の話をしなくてはならない。慈済はアフリカ南部の9カ国に1万人余りの現地ボランティアを有するが、彼らは交通不便で不案内な他国を徒歩で訪れ、慈済精神を広めるために至る所で慈済の話をしている。(撮影・蕭耀華)
(慈済月刊六五四期より)
 
NO.295