慈濟傳播人文志業基金會
人類に試練を与える重大教育
人類は今回の疫病で高い代価を払っていますが、
その中から学び、善を以て悪を制し、
肉食を菜食に転ずれば、人間(じんかん)を利するようになるのです。
 
 
今回の感染拡大では、複雑な感情が行き交っています。毎日良いニュースを待ち望み、感染者数が増えずに減少すると、緊張で張り詰めていた心が少し和らぐのです。しかし、厳格な感染予防はまだ緩めるべきではなく、特に猛烈な感染力を持つ変異株に対しては、一波が鎮まらぬ中にまた強力な一波が来ることに注意を払わなければなりません。
 
私たちの医療体系の中で働くスタッフが、こんな時でも愛の心をもって、日夜苦労して人々の命を護っていることに感謝します。しかし、彼らは辛いとも言わず、喜んでやれば苦も楽になると言い、働く時間を気にすることもなく、たとえ疲れていても懸命に人命を護っているのです。いつも患者の感謝の言葉を聞くたびに、医療スタッフが人々の生命を護って良能を発揮できることこそが、人生の価値の核心であると、きっと感じたと確信しています。
 
慈済の慈善志業は益々大きな責任を担うようになり、あらゆる方面を疎かにせず、関心を寄せています。学校側が「登校せずに授業は続ける」ことにしたので、ボランティアは中古のコンピューターを手入れして、困窮家庭の子供たちがオンライン授業に参加できるよう提供しました。感染拡大で多くの人が職を失ったり、収入が少なくなったため、慈済は人力と物力を尽して、生活ボックスや野菜ボックスを送って安心して生活してもらうことで、細やかな支援を続けています。
 
世界的な感染拡大の中、慈善志業とは毎日経験して学び続けることであり、責任を担う力が一・五倍、二倍、十倍へと上り、利用されることで価値のある人生を送っていることに感謝しています。より多くの人が援助の手を差し伸べてくれることを期待し、慈済が一点一滴の力を寄せ集めて世界に奉仕することを願っております。
 
人類は今回の疫病で高い代償を払っていますが、その中から学ぶことも多いのです。恐怖を以て学びとし、世間の人にどのようにして教えていけばよいかを深く考え、受ける側と授ける側の間で、道理を明らかに示し、悪を善に転じ、肉食を菜食に変えて、善の力エネルギーを結集して「疫」を「益」に転じさせるのです。
 
今までのように大自然の事は自分には関わりがないと考えているかもしれませんが、日々時間に追われて、もっと多くのお金を儲け、より快適な衣・食・住・行動に浸っていれば、欲念は益々燃えさかり、業を造り続けることになります。今全世界がパンデミックにあって、各国の情勢を良く見聞きするうちに、仏陀が言った、「人生は苦であり、この世は苦難多々である」という言葉が現実のものとなっていることを感じるのです。欲念を押さえ、なぜ疫病が発生したかを正視する時です。これ以上物欲の追求をしなくなれば、こんなに多くの汚染を作り出すことはありません。身、口、意の欲を抑制し、足ることを知って幸福を感じ、福を知れば浪費をしません。知って止まることができれば、悪から善に転じ、時間と共に善業を積むことができます。
 
 
人類の口の欲のために、動物は狭い空間の中に束縛されて飼育され、自由を奪われたまま、捕まえられて殺され、高く吊り下げられて、消費者が買いに来るのを待っているのです。消費者は家に帰ると、小さく切ってから沸騰したお湯の中に入れ、それを食卓にのせて皆で食べます。なんと残忍なことでしょう。
 
四両(百五十グラム)食べたら半斤(三百グラム)返すことになり、食べた量によらず、その因縁が生じたら償わなければなりません。残忍な業のゆえに、人類は共同で苦難を背負うのです。食べることで生命の借りを作るようなことをせず、口の欲の為に心が狭くなって、動物の苦しみを見たり感じたりしなくなるべきではありません。心を広くし、放生や護生、生霊を愛護して萬物が共生できるようになれば、天地は無限に広くなるのです。
 
口から命を呑み込むのではなく、道理を語るべきであり、敬虔に大切な食事を菜食にすべきだと呼びかけるのです。先ず自分に自信と願力を培えば、自然と呼びかけに力が入ります。自分にできると信じてから、人にもできると勧めるのです。この天から授かった大任に対して、私たちは天と地の間で責任を担い、勇敢にしっかりと前進すべきです。もし歩みを止めれば、時間は無意味に流れ去ってしまいます。
 
未だ感染拡大が終息してないため、未来は未知数です。心配しても役に立たず、最も大切なことは今回のコロナ禍が「大いなる教育」で、人類に試練を与える重要な授業であり、人類が再出発する教育の機会であることを忘れないことです。欲念を押さえ、命を大切にすれば、疫災は自ずと終息します。心して精進を続けてください。
(慈済月刊六五七期より)
NO.297