慈濟傳播人文志業基金會
三十年一日の如く
彰化縣 黃梅
 
 
 
何年も前のテレビ番組「草の根菩提」で黄梅おばあちゃんのドキュメンタリーを見て以来、強い印象が残っていたのだが、自分で訪問する機会はまだ無かった。二〇二〇年慈済環境保全三十周年をきっかけに、私たちは、三十年前に台中の新民商工高校での公益講座に参加した後、直ちに環境保全活動を始めたという、あるリサイクルボランティアを探し始めた。中部地区の先輩ボランティアたちに聞いて回って、やっと順調に見付けることができた。思いがけず、黄梅おばあちゃんその人だったのである。
 
一九四二年生まれの彼女は、すでに八十歳近い高齢だが、依然として毎日屋台で「状元糕(米粉を蒸したお菓子)」を売っている。それに環境保全と訪問ケアなどのボランティアもしながら、独りで日常生活を送っている。おばあちゃんは若い時、夫の浮気で離婚し、独りで子育てをして来たため、気が晴れず、悲しくなる時もある。仏法に出会ってから、因縁果報の道理を理解するようになり、やっと心を開いた。苦しい日々を乗り越えて来たからこそ、今の彼女は簡素な生活を選び、限られた命を大切して善行に励んでいるのである。
 
この日、黄梅おばあちゃんは自宅の前で、山積みになった回収物と一緒に写真を撮った。カメラに向かうはにかんだ笑顔からは、人生に疲れた様子は見えなかった。本当は心身の極限を乗り越えて生活しているのである。

八卦山麓の風景

 
黄梅おばあちゃんは彰化市八卦山の麓で「状元糕」を売って四十年になるが、当地の住民にとっては見慣れた風景の一つである。その日もおばあちゃんは手を休めることなく、蓬莱米の粉を木製の型に入れ、ピーナッツ粉や黒ごまを加え、せいろで蒸していた。それを冷やすとモチモチしたおやつが完成した。買いに来る客の中には、子供の頃から大人になるまで食べている人が少なくなく、しかも三代目になっても、今ではおばあちゃんの彼女が作る台湾伝統のおやつの味が忘れられないのだ。
 
おばあちゃんは、「拍手する手でリサイクルをしましょう」という證厳法師の呼びかけを聞いて以来、その伝統的なおやつを作る手で、環境保全を宣伝して後押しした。おやつを売る時を利用して、客に環境保全の大切さを分かち合うのだ。月日が経つうちに、いろいろな人が家にある回収物を屋台まで持って来るようになり、夕方に屋台を閉めた後、回収物を自転車に載せて家まで運んでから分別している。
 
まだリサイクル拠点がなかった初期の頃、おばあちゃんは分別した資源を回収業者に売っていた。当時の売値は平均して一回数十元で、先ず、容器に貯金し、いっぱいになると慈済台中支部に持って行って寄付した。あっという間に三十年が過ぎ、おばあちゃんの黒かった髪の毛が白色に変わった。彼女の手はしわとしみが増えたが、人に感動を与えた屋台は昔のままで、状元糕の味に影響することはなく、今までやってきたリサイクルも、依然として自分の手でやっている。

資源回収は年中無休

  
 
私は、黄梅おばあちゃんの状元糕の屋台の一日、それから、回収資源を整理し、屋台を閉めた後で回収物を満載した自転車を押して、約十分間歩いて家に帰る様子を見た。家の前には既に回収物がいっぱい積まれてあった。聞いてみると、近所の知り合いも持ち寄るのだそうだ。量が多いので、おばあちゃんの妹たちも夕方頃に自主的に整理と分別の手伝いに来てくれる。
 
目の前の回収物の整理が終われば一段落すると思っていたが、思いも寄らず、夕食をすませるとまた、自転車に乗って近所の家や店から回収物を集めるために出かけた。既に夜の八時を回っており、下の妹だけが家に残って資源の分別を続けていた。十時過ぎ、おばあちゃんは再び家に帰ってくると、翌日の「状元糕(ジュアンユエンガオ)」の材料を準備した。米を出して磨ぎ、水に浸し、臼で液状にし、脱水して、ふるいにかけるなどの工程に一、二時間かかっていた。その上、家の片付けをするので、寝る時は夜中を過ぎていた。この休む暇のない生活がおばあちゃんの長年の日常である。
 
黄梅おばあちゃんは、冬に生まれたので、祖父が「梅」と名付けたのだ、と言った。彼女の一生は梅のように、寒ければ寒いほど花が咲き、困難な逆境に直面してもしっかり咲くのである。彼女は、回収物が大量であっても、酷暑や厳冬に見舞われても、夜となく昼となく、私がやらなければ誰がやるのか、という気持ちで分別し続けている。

勤勉で倹約の一日

 
 
黄梅おばあちゃんについて一日観察していると、彼女の奉仕精神に感動するほか、彼女の倹約した生活にも敬服させられた。狭い住居と簡単な三食に、彼女の素朴で勤勉な性格が現れていた。彼女は、昼間は屋台の商売があるため、家を出る前にご飯を炊いておき、野菜スープや数種の惣菜を冷蔵庫に入れ、昼休みに家に帰ると、冷蔵庫から出して加熱するだけで、野菜スープにご飯で満足してしまう。夕食もこのように簡単で、違う点は決まった時間にテレビをつけて證厳法師の開示を聞くことである。それは毎日の欠かせない精神の糧なのだ。
 
八十歳近いお年寄りが、生活の心配がないのに悠々として暮らすことをせず、修行者のように苦労に耐えているのは、本当に想像し難いことだ。しかし、黄梅おばあちゃんはこう言った。「生活の必需品と三食の食事は、欲を少なくすればいいのです。足ることを知って、精神と体を使って環境保全や善行することで、助けを必要とする人にお返しできれば、何よりも幸せなことなのです」。

三十年一日の如く

 
 
一九九〇年に黄梅おばあちゃんは、妹の黄素貞、黃淑禾と一緒に講演会に参加した。證厳法師は会場で環境を大切にして、ごみと汚染を減らしましょうと皆に呼びかけた。それを聞いた彼女たちは、家に帰ると早速、資源の回収を始め、一度も中断することなく、今に至っている。その過程で彼女たちは数々の生活や家庭の困難に出会ってきたが、一つ一つ乗り越えてきた。今、彼女たちは歳を取り、病気などは避けられず、行動も緩慢になっているが、三姉妹は互いに助け合って、環境保全の道でも更に励まし合い、大地を護る使命を担っている。
 
いかなる良いことも「永遠」に持続することができれば、それが修行なのである。その日に撮った写真を振り返って見ると、思わず賛嘆してしまう。深夜近くになって家々の灯りが消えても、黄梅おばあちゃんはまだ、回収物を満載した自転車に乗って、住宅前の路地を行ったり来たりしていた。その写真は、単に一瞬の姿だが、その写真の人にとっては、三十年間続けてきた貴重な足跡なのである。   
(慈済月刊六五二期より)
NO.302