慈濟傳播人文志業基金會
捨てる水はない 生活の知恵
人は一日にどのくらい水を必要とするか?大切に使えば、何度も使える。
知恵を働かせて、水を最大限に活用することである。
面倒なことも習慣になれば、それは自然な振る舞いとして現れる!
 
マレーシアのマラッカ州では今年一月末から給水制限が出され、隔日給水が実施されている。主な原因は、天気が暑くて長い間雨が降らなかったため、ダムの貯水量が激減したからである。州内に三基あるダムのうち、二基の貯水量は三十%しかなく、干ばつの悪化を避けるため、関係当局はやむなく給水制限を実施した。
 
水がなければ日常生活はとても不便になる。人々は家の中のあらゆる容器を取り出し、水を溜めて今後に備えた。会話の話題の多くが、「お宅には水はありますか?」、「水圧が足りなくて、ポンプを使っても上の階に届きません」、「水がないと本当に困りますね!」というものだった。
 

万物は水が必要 節水の習慣を身に付けよう

 
八十一歳の周珠英(ゾウ・ズーイン)さんはボランティアの陳翠蘭(チェン・ツェイラン)の母親である。陳さんは幼い時から母親が水を大切に使うのを見て、感心すると同時に文句もあった。彼女の意志と堅持には感服したが、過度に節水して生活廃水を再利用していたため、家の衛生環境を心配したのである。
 
周さんの父親は農業を営み、灌漑や家畜の飼育で毎日大量の水を消費した。田んぼ沿いの川が主な水源で、家には水道がなく、生活用水は全て百メートルほど離れた井戸から汲んでいた。純朴な彼女は記憶を呼び起こしてこう言った。「担いで帰ったばかりの水は飲料用と炊事、そして両親の入浴に使われるだけでした。私たち子どもは井戸端で体を洗ったり、洗濯をしたりしました。もし全ての水を家まで運んでいたら、大変な重労働だったでしょう!」。
 
周さんは幼い頃から生きとし生けるものは全て水に頼らなければならないことに気づき、水資源をとても大切にしていた。十八歳の年に結婚し、夫の家で水道のある便利な生活になっても、彼女は水を浪費したりしなかった。
 
周さんは日々の三食の米や野菜をまとめて洗い、その水も食器を洗った後の水も溜めておいた。そして、それを前後の庭の野菜や花などにかけた。水は重くても、捨てるのは惜しかった。洗濯する時は、洗濯機の側に大きなたらいを置いて排水ホースからの水を入れ、それをトイレの洗浄に再利用した。
 
子どもたちは小さい時から、母親が頑なに節水を実践する姿を見て影響を受けてきたが、彼らの実行力は母親に遠く及ばなかった。陳さんは、慈済に参加してからより生活に密着した環境保全を理解し、節水、節電の大切さがもっとよく分かるようになった。しかし、便利な日常生活では、蛇口をひねると水が出て、スイッチを押すと電気がつくため、母親のように単純に真面目に堅持することは難しいに違いない。
 
夕日が沈んで、部屋が暗くならないと周さんはけっして電灯をつけない。陳さんは母親の安全を心配しているが、周さんは当然という口調で、「一日にバケツ二、三杯の水が溜められるのですから、それを捨てるのはとても惜しいことです。また、暗くなってから電灯を点けるのは当然で、まだ見えるうちに点ける必要はありません」と言った。
 
年配の人には生活の知恵があり、子供たちは賛同できなくても、親に従うしかない。近ごろ周さんは腰痛で体力も衰えたが、依然として節水は実行している。「節水はしなければなりません。さもないと必要な時に足り無いことになります。やる気さえあれば、難しくありません」。
 
周さんは水不足を経験し、見てきたため、過度の浪費は次世代に水不足をもたらすと信じている。昔は井戸や川があり、水不足を心配したことはなく、家の前の溝には澄んだ水さえ流れていて、干上がることはなかった、と彼女は言う。便利な水道ができてから、かえって水不足の問題が浮上し、河川や溝も枯渇する現象が現れてきた。
 
現代的生活習慣に気候変動の影響が相まって降雨量が減少し、自然と水資源の問題が生じている。マラッカは長期的に給水制限を実施しているが、周さんは他の人のように争って水を溜めることはせず、生活も影響を受けていない。「給水日にバケツ二杯の水を溜めて置くだけです。一杯は断水日の飲料用に、もう一杯は洗浄に使います」と彼女は生活の知恵を分かち合った。
 
風呂に使うお湯は、やかん一個の水を沸かすだけで十分で、野菜は朝十時に断水する前にまとめて洗えばいいし、トイレの洗浄や花、野菜にやるのは使った水を再利用すればいい。人が一日に本当に必要とする水の量はそれほど多くはないと周さんは信じている。誰もが水を大切にすれば、水不足の問題は確実に克服することができる。
 
●周さんはいつも1日3食の野菜と米をまとめて洗い、その水を花壇や野菜畑にまいている。(撮影・顔玉珠)

心の持ち様を変えれば、日常茶飯事のようになる

周珠英一家と状況が似ているのは、五十三歳のボランティア羅恵蘭(ルオ・フェイラン)さんだ。幼い頃、水を運ぶ手間を省くために、洗濯や入浴を全て井戸端や川岸で済ませていた。その後、水道のある家に移転したが、やはり井戸に頼っていた。「井戸水は無料なので、できるだけ有料の水道水を使わないようにしています」と彼女は率直に言った。
 
羅さんは子どもの頃、家が貧乏で、ゴム園で働いて家計を助けていたが、家事も手伝わなければならなかった。小さい体で水を運んだり、井戸端にしゃがんで一家三人の服を洗濯したりした。「井戸水を汲むのも洗濯するのも大変な仕事でした。ずっと苦労してきたから、水の大切さがよく分かるのです」と彼女が言った。
 
羅さんは今でも手で洗濯している。彼女は、「洗濯機は一度に水をいっぱい入れ、何回も洗うので、大量の水を浪費します。手で洗えば、バケツ三杯の水で済むのです!」と言った。
 
羅さんはその日のうちに洗濯を済ませる習慣がある。ボランティアの戴金蓮(ダイ・ジンリエン)さんはそれを知っていた。「慈済の活動に参加する時、よく羅さんの車に乗せてもらうのですが、夜の十時に活動が終わるや否や、よく彼女が、早く帰って洗濯しなければ、というのを聞きます」。
                        
仕事と家事で忙しい羅さんは、夜の十一時や十二時過ぎまで洗濯して服を干すことが多い。時々旅行から帰っても、一家三人の二、三十枚もある服を彼女は頑なに洗濯機を使わずに洗うが、辛いとは言わなかった。彼女は、毎日洗濯すれば、量が少ないため大変だとは思わない。心の持ち様が大事であり、しようとするかどうかである。「心の持ち様を変えてプロセスを楽しめば、続けていくことができます」と羅さんは言った。
 
羅さんは洗濯で使うのは「バケツ三杯」の原則を貫き通している。先ず、洗濯物を洗剤水に浸して手で洗い、一杯目のバケツの水で泡を洗い流し、残り二杯のバケツの水で繰り返しすすぎ洗いをする。衣類だけでなく、彼女はカーテンやシーツも手で洗い、洗濯機は脱水に使うだけである。
 
●羅さんは、節水のため洗濯ではバケツ3杯の原則を実践し、カーテンやシーツも手洗いしている。(撮影・彭奕霖)
 
考えてみると、彼女が小さい時から今に至るまで、洗濯だけでもどれだけの水を節約してきたかが分かる。他の家事でも節水を心がけている。例えば、床掃除の場合、モップが浸せるだけの水をバケツに入れて全ての床を拭く。入浴の場合も水を細く流して手早く済ませるようにしている。洗濯に限らず、床拭き、入浴などから出た廃水は全てトイレの水洗やガレージの床の洗浄に再利用してきた。
 
時代と共に生活が豊かになると、人々は資源の節約を考えなくなり、利便性とスピードを求めるようになったと羅さんは言う。例えば、十三歳になった羅さんの娘の彭奕霖(ポン・イーリン)さんは慈済大愛幼稚園に通っていて、学校で資源の大切さを絶えず教えられていたため、水を浪費せず、蛇口をひねる時も水量に気を配っている。手で洗濯するよう頼むと、しゃがんでするのが辛いので、立って手で洗う。しかし、選択する余地があるなら、洗濯機の利便性はやはり彼女の第一選択肢になる。
 
給水制限で、羅さんは食器洗いにもバケツ三杯の原則を実践している。一杯目に食器洗いの洗剤を入れ、二杯目と三杯目はすすぎに使う。今回の給水制限は絶好の教育チャンスだと羅さんは思っている。利用が制限されれば、節水の方法を考えるからだ。「若い世代は便利で快適な生活をしていて、水資源の大切さを知らないから、今この時こそ昔のような物資不足を体験してもらいたいのです。年配の人がどうやって知恵を働かせながら生活していたのか、その中には数多くの妙法がありますから、学ぶ価値は大きいと思います」。
 
水は万物の命の源である。しかし便利な生活に慣れていると、人々は自ずと水を浪費しても気がつかない。水が使える時に、水のない辛さを考えるべきである。周さんと羅さんの節水実践を見習い、それぞれ自分自身で水の使い方を見直すことを期待している。そこから目覚めると、「面倒が習慣になり、習慣が自然体になる」。水資源を大切にする良い習慣を身につければ、大自然の資源は末長く維持できるだろう。
(慈済月刊六四二期より)
No.286