慈濟傳播人文志業基金會
三十年続くとは思いもせず
 
【環境ボランティアとリサイクルの歩み】
 
簡素絹
 
台中市黎明コミニュテイ在住
公務員退職
リサイクルボランティア歴三十年
 
台中市南屯区黎明コミニュテイの黎明リサイクルセンターは、慈済が早期に設立した資源回収分別拠点の一つである。簡素絹(ジエン・スゥジュエン)さんがこのセンターでボランティアを始めてから三十年が経った。あの日、講演会で證厳法師が「拍手する手でリサイクルしましょう」と呼びかけた時、簡さんはその会場にいた。
 
「法師の言葉を聴くまで、リサイクルについて話すとは知りませんでした」。今年七十六歳になる簡さんは、その時の事を思い出して話してくれた。会場は今の新民高級中学校の講堂で、人でいっぱいだった。簡さんは中学を卒業したばかりの娘の林令怡(リン・リンイー)さんと一緒に法師の話を聴いたその時、善念が芽生えた。一カ月後、法師が行脚で再び台中を訪れた時、認証を授かったばかりの簡さんは師匠に会いに行ったが、丁度そのとき楊順苓(ヤン・スンリン)さんが慈済で最初の回収物で得たお金を寄付している姿を目にした。
 
 
「私にもできる!」と簡さんは思い、楊さんの話と法師の励ましを聞いて、手近なところから始めようと思った。当時、簡さんは夫を亡くし、女手一つで息子と娘を育てていた。職場の水道局は新聞をとっていたので、事務所の古新聞を回収することから始めた。少なからぬ同僚も賛同して自分たちの家から古新聞を持ってきて、彼女に渡すようになった。「他に使用済みの紙類や段ボールもあり、整理してから車で取りに来てもらいました。一月にトラック一台分を売りました。売り上げは黎明コミュニティの名義で慈済に寄付しました」。
 
簡さんは中部地区で最も早くからリサイクルし始めた数人のボランティアと同じように、彼女も収集地点をコミュニティ内の自宅の前に設置した。しかし、暫くすると近所の人からはもし子供のいたずらで火事になったら危ないと言われ、回収物を自宅の前に置くのは、近所の人が嫌うだけでなく、二人の子供も賛成しなかった。
 
自宅の前に古新聞や段ボール箱などを積み上げていると、まるで生活に困っているかのように見られるので、当時十七歳だった娘さんにとっては堪えられなかった。「でも母は止めず、後に場所を変えてくれたので、胸を撫で下ろしました」。今、中年になった娘さんは笑って言えるようになった。
 
自宅の前からガジュマルの木がある空き地へ、そして慈済委員らが好意で提供してくれた庭先など、回収拠点は前後合わせて六回も引越しをした。その間、積んでいた回収物に爆竹が燃え移った事があったが、幸いにも無事にすんだ。いろいろなことを経験しながら行ってきた過程で、簡さんは安全で衛生的に作業をしやすくする方法を考えた。
 
各自が自宅で簡単に整理し、毎週水曜日の朝八時に今のリサイクル拠点に持ち寄るようにした。そして、そこで整理、分別、運搬すれば、一時間ほどで元通りにして、緑豊かな場所にすることができた。
 
「やってみると身体が軽くなりました。一日中仕事で机に向かってばかりで運動不足でしたから」。公務員から退職し、今では元気はつらつとしている。「私は、三十年も続けられるとは思いも寄らなかった、と師匠に言いました。これからもリサイクルを続けて行きます。やればいいのです!」と口下手な彼女は酸いも甘いもあった過去を振り返りながら言った。
(慈済月刊六四五期より)
No.286