慈濟傳播人文志業基金會
静思精舎 物を大切にする日々
「この一枚の紙、この一滴の水に私はとても感謝しています。
感謝しているからこそ、愛おしみ、大切にし、そして節約しようと思うようになるのです」。
 法師のこの教えを守り、奉仕しながら、
静思精舎の尼僧たちは半世紀、福を惜しむ日々を送ってきました。
 
禅の修行として農業を営む自給自足の生活は、今でも静思精舎での修行の基礎となっており、また尼僧たちは経典にある教えを日々実践しているのです。證厳法師は、道理はただ理解するだけでは何の役にも立たず、理解した上で行動に移すよう教えています。行動は最も着実な道理なのです。生活の中で物を大切にしなければ、直ぐに壊れてしまうようなもので、「感情を持たない物であっても、それを惜しんで大切に使えば、道理に通じるのです」と法師は言いました。
 
二万日余りの日々の中で、静思精舎の尼僧たちは毎日環境保全を心がけ、己に打ち勝ち、勤勉に倹約して困難を克服し、同じように実践しているのです。 

一枚の紙、一滴の水にも命が宿る

初期の精舎は全てで困難な状況にあり、法師は皆にどんな物でも最後まで使い切り、ごみを減らすと共に支出を減らして、物がその役目を完全に果たすよう教えました。それによって勤勉倹約の美徳を身につけさせました。
 
「一枚の紙を一度使っただけで捨てるのはもったいないことです」。法師はかつて、紙にその生命の効能を十分に発揮させなければならないと言ったことがあります。普通の人は紙を一度使ったら、直ぐに捨てるかもしれませんが、法師は四回以上使います。一回目は鉛筆、二回目は青色のボールペン、三回目は赤色のボールペン、四回目に毛筆で書くのです。
 
早期において法師が朝会で開示した要点。一枚の紙に先ず鉛筆で書き、次に青色、そして赤色のボールペン、最後に毛筆で書いている。(写真の提供・静思精舍)
 
また、法師が使うメモ用紙は浄財の領収書から裁断された紙の端の部分で、その豆手帳も同じように何度も書いて、最後まで使い切っていました。「紙の切れ端を捨てるのはもったいないことです。やはり拾って使います」。
 
「水は生命の源ですから大切にしなければなりません」。水を使うのも、法師は一滴たりとも浪費しません。「朝、顔を洗った後の洗面器の水は、その日一日分の手洗い用の水として使います。そして、夜、体を清めた後の水は翌日の朝にトイレを流す水に使います」。法師は、「使える物なら何でも浪費してはいけません。皆さんが心から理解して実践し、生活の中の些細なことでも徹底して欲しいと思います。それが一滴の水であっても、です」と言いました。
 
「私は水を使うのが惜しいのです。雨水でさえも流れるままにしておけません」。法師は繰り返しこう言っています、「この世の資源は節約して大切に使わなければなりません」。そこで「慈誠楼(ビル)」の地下室には雨水用の貯水池が造られ、トイレの水洗や植木の水やりなどに使われています。
 
法師の節電方法は、普段、書斎は暗いのですが、「私は本を読む時、机の上に卓上用省エネランプがあるだけです」。半世紀もの間、法師は日々このような生活をしてきました。
 
法師の明言した「物の命を殺す」という言葉を聞いて、私は震撼しました。無意識のうちの浪費が生活の中で多くの物の命を奪っているのです。
 
「使っていない電灯をどうして消さないのでしょうか?」これは法師がいつも皆に注意する言葉です。修行とは全てを大切にすることであり、電灯を消し、蛇口から水を流しっぱなしにしてはいけません。「電気と水資源を浪費することは抹殺であり、物の命を殺していることと同じです」。
 
今の人たちは流行に追いつこうと、携帯を一つまた一つ取り替え、物を買い換えます。行き過ぎた消費は物の命を殺していることに他なりません。法師は「皆の手にある携帯は、良いことを発信していないのであれば、それは即ち煩悩であり、全て自分の道心を乱しているのです。それは物の命を殺しているだけでなく、人の慧命をも殺しているのです」と重々しく言いました。
 
「この一枚の紙、この一滴の水に私はとても感謝しています。感謝しているからこそ、愛おしみ、大切にし、そして節約しようと思うようになるのです」。法師は紙、水、電気などあらゆる物を節約し、福を知り、拾い、惜み、更に造り出しています。これまでの道のりにおいて、いつも身を以て示し、生活を整えてそれを広め、寛容に間違いを指摘し、周りの人に感動を与えてきました。
 
法師は、浄財の領収書の端を裁断して作ったメモ用紙にボランティアの感想や経験談を書き留めている。それも繰り返し使うのである。

まだ使えるうちは、絶対に新しい物を買わない

静思家風は脈々と受け継がれています。法師の法を弟子たちはしっかり受け止め、水を貴重なものとして扱っています。洗濯の時は衣服をもみ洗いしてから乾かし、手洗いの水も貯めてトイレの水洗に使っています。
 
精舎の厨房では、野菜を洗うのに水を張った五つの大きな流し台で次々に洗い、最後に綺麗な水を加えながら濯ぎます。使った後の水は工具の洗浄や床掃除、菜園の灌漑に使います。米を洗った後の水は菜園に使うだけでなく、厨房の食器や調理器具洗いに欠かせません。
 
省エネの達人と言われる尼僧たちは、黙々と至る所で使わない電灯を消し、他人に代わって実践しています。「ここは我が家ですから、家族の一員として家のためを思うのは当り前です」。
 
「法師の教えは優れた素晴らしいことばかりです」と深く信じているのは精舎の総務を預かる徳佺(ドーチュエン)尼です。総務を担当してからは、ここにある物全てを慈しむと言う原則を守り、「まだ使えるうちは絶対新しい物を買わない」ことにしており、壊れても修理に修理を重ね、限りある原材料を再加工して、使える資源に変えています。
 
「自分の眼球を護るのと同じように、常に物を大切にしましょう」。徳佺尼はアイデアで、廃品を芸術品に変えています。壊れた扇風機は鉄製の保護カバーを服や雑巾を干す円形の物干しに変えています。回収した鉄製の棚はゴム紐を取り付けて洗濯籠などを置く棚にしており、環境の美観にもこだわっているのです。ディスペンサーボトルも見逃しません。徳佺師父にとっては宝物に見え、改造されて大容量洗剤容器に取り付けられました。使いやすくて実用的です。
 
以前、男性ボランティアの宿舎の枕を全部新しい物に取り替えた時、徳佺尼は一週間かけて枕を縫い合わせて大きなマットレスに仕上げ、人々に好まれています。限りある資源の中で絶えず智慧をしぼる、徳佺尼は、「尼僧たちのために、頭を使い続けなければなりません」と言いました。諸々の智慧による発明は精舎と言う大世帯のために出費を押さえるだけでなく、物の命を永らえることを一番に考えているのです。

清浄は源から 精舎が先頭に立つ

香積飯(即席飯)と穀物パウダーの製造は、精舎の自力更生の一環です。では製造に使われた米の袋や大型ビニール袋は何処へ行くのでしょう?
 
尼僧たちはそれらを再利用する以外に、アイデアで米袋を様々な形の手提げバッグに縫い上げ、表に「静思語」を書いたので、「法のあるバッグ」となり大好評をえています。台湾からアフリカに配付された白米の袋は、現地ボランティアが尼僧を見習い、「LOVE FROM TAIWAN」の文字をいかして加工し、現地職業訓練所で人気のある工芸品に変わりました。
 
野菜や食器洗いの時に着ける防水エプロンも、尼僧たちが大型ビニール袋を裁断して作ったもので、ボランティアたちも尼僧たちは物を惜しみ、環境にも優しいと絶賛しました、「私たちもその素晴らしいアイデアに学びます」。
 
回収した大形ビニール袋が軽くて便利な防水着に改良された。昼食後、精舎の調理当番の尼僧たちと清修士は防水エプロンを着けて食器洗いに取り掛かった。
 
「町で売っている使い捨ての防水エプロンは一枚十元です」が、倹約家の尼僧たちは、「回収したものを改造して利用すれば、一元もかかりません」と言いました。精舎では毎日、朝食と昼食でそれぞれ数百人分の食事を用意します。食材を使った後の包装紙や大小のビニール袋はゴミになるのではなく、洗って乾かし、再利用しているのです。
 
法を深く研究するだけではなく、重要なのは実践です。徳渙(ドーホワン)尼は精舎でビニール袋の整理を始めた人ですが、「法師が『清浄は源から』を呼びかけていたため、コミュニティではよく実行していました。精舎は慈済の源ですから、先頭に立ってしなければいけません」と言いました。その信念によって、務め以外の時間を利用して、「できる限り整理しよう。時間は自分が作るもので、少しでも多くやれば、それだけ地球は清浄になるのだから」と考えて行動しました。
 
濡れたものや油があるビニール袋は洗って乾かしますが、手間のかかる作業です。徳渙尼が先頭に立って始めましたが、今は専任の担当責任者がいます。母なる地球の健康を悪化させないために、この作業を受け持った德皙尼は初心を忘れていません。「余計な事は考えず、やるべきことをやればいいのです」。
 
精舎で整理されたビニール袋は清潔で細かく分類されているため、直接、工場に持ち込んで再生されている、と運送担当の宜蘭のリサイクルボランティアが言いました。
 
精舎の尼僧は物の命を大切にし、修理を重ねる。アイデアで、廃品となった扇風機の保護カバーを物干しにした。

勤勉と倹約は修行者の本分

精舎は天下一の大家族であり、乾燥野菜類は保存食として欠かせません。保存用の乾燥キャベツやカリフラワーなどを入れる袋も回収した米袋やビニール袋が使われています。
 
二〇二〇年は新型コロナウイルスの影響で、二月から三月にかけて、農産物が輸出できなかったため、精舎はトラックで一台また一台と農民からカリフラワー、キャベツ、クズイモ等を買い取り、処理してから乾燥させました。保存用の食糧は十分だったのですが、法師の指示で続けて作りました。「晴れた日に雨の時の備え」をして非常時に備える一方、必要とする人に配付し、また苦労して野菜を育てた農民に元手が残るよう配慮したのです。
 
乾燥野菜は弱火で乾燥させます。薪を燃やしても黒煙を出さないようにした改良した旧式の乾燥機を使います。燃料は港で要らなくなったパレットを使っています。慈済ボランティアが精舎に運び、木材を切って乾燥機に入れます。
 
早期の精舎では、一食にありつけても、次の一食がどこにあるのか分かりませんでした。一本の大根があれば、それは大変なご馳走で、皮から葉っぱまで食べ、余すところなく使いました。おかずは大豆食品を買う以外、手に入る物なら何でも煮込んだため、乾燥野菜は毎日、欠かせない食材でした。全てが不足していたため、倹約し、物を大切にする良い習慣が身についた、と徳如(ドールー)尼が言いました。「これが静思家風であり、修行者の本分でもあるのです」。
 
以前は煮物といってもシイタケやベジタリアン食材もなく、味付けは醬油だけで、乾燥野菜の煮物も皆、美味しいと言ってくれた、と接客担当の徳安(ドーアン)尼が語りました。「至る所で節約して支出を抑えるのが私たちのやるべき事です」。善用し、物の命を惜しみ,再び生命を吹き込む。精舎に生ゴミが出ないのはこうした理由からです。
 
普通の人の目には生ごみに見えるおからや野菜屑、果物の皮等は、精舎では宝物です。それらで作られた有機肥料は野菜栽培の糧となり、果物の皮から酵素や石鹸を作ります。酵素は床、溝、トイレの洗剤の他、足を浸ければ脱臭作用があり、入浴にも使えます。天然素材からできたオーガニック石鹸は全身に使える優れものです。おからで作ったそぼろはベジタリアン食品として食卓にのぼります。また台風の季節に合わせて刈り込んだ枝葉を破砕して肥料にすれば、大地に返すことができます。
 
「細々とした仕事はたくさんありますが、着実に無駄のない日々を過ごしています」と、有機肥料と酵素作りを担当する徳務(ドーウー)尼は感じるところがあって、こう述べました。「有機肥料は野菜を成長させる養分で、その野菜は人々の滋養になり、それらが相俟って修行が成就できるのです」。生命が慧命を成就させますが、それは無情の物と有情の衆生が相まって成就した美善なのです。
 
尼僧は皆の栄養補給のために、精舎で栽培したサチャインチナッツの実を一つ一つ取り出していた。小さな光の下で仕事するのが尼僧たちの物を惜しむ日常である。
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精舎で修行して三十三年、環境保全を受け持って二十年になる徳定(ドーディン)尼は、資源の回収が大事であることを知っている人は少なくないが、認識を共有する人は多くなく、ましてや共に行動する人は少ない、と言いました。毎日、空き箱や各種回収資源を整理していますが、徳定尼は二十年来、堅持し続けてきました。「この仕事は私の本分であり、責任でもあるのです」。尼僧は地域の環境ボランティアにとても敬服しています。「皆が身分や地位を忘れて、汚れや悪臭を気にせず、喜んで尽くしているのです。新型コロナウイルスが蔓延していた時でも彼らは続けていました」。
 
法師は弟子たちに仏法を生活の中に根付かせることを教え、資源回収を使命として実践するよう提唱しました。尼僧たちは教えを守って、実践する中で法理を証明し、物の命を永らえ、大地の生命を守っています。精舎の一人一人の行いは些細でも、それらが集まって世界の慈済人の後ろ盾となり、心の風景を豊かにしているのです。
(慈済月刊六四五期より)
No.286