慈濟傳播人文志業基金會
清らかな「心源」
 
見返りのない奉仕をして感謝し、
あたかも宇宙の万物が結集するように合掌して、
心源(万法の源)に回帰するのです。
 

後悔しない道

中部地区の慈済人は十二月四日から六日まで、精舎で精進しました。一同、食堂や厨房、精舎の壁の清掃、下水溝の掃除などを手伝いました。十二月七日、彼らが上人に会見した時、甘清文(ガン・チンウェン)師兄(スーシォン)が志学大愛農場で、長年、水が流れなかった水道の掃除を手伝った時のことを話しました。何年も大愛農場で農耕してきた頼松勇(ライ・ソンヨン)師兄は中部地区の法縁者の手伝いに感謝すると共に、今年は天候不順のため、農作物の収穫が少ない、と報告して涙を流しました。
 
成すべきことをすれば、後は天に運命を任せるしかありません、と上人はもっと楽観的になるよう教えました。農作物の収穫は減っても、それによって農耕した人はより多くの「悟り」を得たのです。農耕した期間に投入した労力と愛情は無上のものです。そして、これらの農場があるからこそ、各地から来た慈済の法縁者が農業に投入することができ、皆が自分の体得したことを分かち合うことができるのです。また、その内容を整理したものも非常に貴重な慈済の歴史の一部となり、無上の宝となるのです。
 
今回の行脚で、各地の慈済人がとても誠意のある「慈悲」を持っているのを目の当たりにしました。弟子たちは皆、とても思いやりがあり、私に心配をかけまいとして「家」を護っています。一つひとつの慈済道場は菩薩道場であり、あらゆる歳末祝福会には「霊山法会」が行われ、一人ひとりが心して経蔵の中に有りました。
 
●北部の委員認証式・歳末祝福会でボランティアたちが経典の手話劇を演じた。「慈済道場は全て菩薩道場であり、全ての歳末祝福会には『霊山法会』が存在し、一人ひとりが心して経蔵に没入していました」と32日間の行脚を終えた上人は心から感謝した。(攝影・羅景譽)
 
上人は、慈済人が一つの目標に向かって菩薩道を精進し、共通の心の行き先を持っていることを褒め称えました。人によっては、仏教を信仰し、三宝に帰依し、敬虔に礼拝や僧を供養していても、心の中ではいつも、家庭が平安で子供が良い子に育ち、和やかになりますように、などと何かを求めるものです。
 
「人生では何かを求めて、それが得られないと煩悩が起きますが、この世は思い通りにならないことの方が圧倒的に多いのです。十の願いの中で九つは当てが外れる可能性の方が大きく、そこで尽きない煩悩が起きるのです。奉仕に見返りを求めなければ、失う物も有りません。心はは常に自在で嬉しく、歓喜に至るのです」。上人はこう言いました、「皆が常住尼僧たちの手伝いで、汗だくになり、全身を汚して、志学大愛農場の溝を掃除するのは、別に目的があるわけではありません。ただ、そこは皆の家であるゆえに、心からその「家を大切にし」、清潔に保ち、荘厳にしたいだけなのです。その任務を達成した後に沸き起こる喜びが、心から奉仕した後の法悦なのです」。
 
「私自身、とても幸せな人間だといつも思っています。その幸せは良い弟子たちによってもたらされ、皆は私の心に寄り添い、私の歩調に付いて来ます。従って人生に悔いはなく、この道を歩んできたことを悔いることはありません」。上人は、「この五十数年間に、慈済が台湾で、世界で、これほど多くの善行をして、こんなに多くの人を苦難から助けたと思うと、当初、その一念を起こして慈済を創設したことがとても嬉しく感じられます。これほど多くの慈済人が心を一つに力を合わせ、誰もが見返りを求めない奉仕をして、心から感謝してきたのです。慈済人の慈善の足跡は何十カ国にも及び、慈善ケアは百以上の国と地域で行われてきました。また、近年は慈済が国連の会議に出席し、世界は仏教団体が広く奉仕していることを目の当たりにしています」と言いました。
 
「慈済人はこんなにも多くの国に出かけていますが、それは観光ではなく、苦難から人々を救うためなのです。そして、そこを離れる前に見られる最も美しい光景は、両手を合掌してお辞儀するという感謝の姿です。奉仕する側が受ける側にお辞儀するのは、一般的には不思議に思うはずです。しかし、慈済人はそれができ、自腹を切って奉仕する機会を勝ち取り、その上、心から感謝しています。胸の前で合掌するという動作は、あたかも宇宙の万物を合わせているようで、慈済人は清らかな智慧でもって菩薩道を歩み、宇宙の万物を結集して、心源に回帰させていることを表しているのです」。
 
また、上人はこう言いました、「万法の源は心にあり、心の無明や煩悩もまた、皆で大掃除するように、心して掃除することが源を清らかにする方法であり、法がその清らかな心源から発揮されるよう、群衆に分け入って、菩薩道を歩むのです。皆が精神の方向から逸れず、心から精進することを願っています」。
(慈済月刊六五一期より)
No.292