慈濟傳播人文志業基金會
困難時の悲喜こもごも
【コロナ禍で何が変ったか】
 
この一年、コロナ禍でわが子を含む多くの香港人は感染リスクだけでなく、失業や休業に直面した。今は困難な時期にあるが、諸々の心温まる光景を見ることもできた。
 
私が香港に移住してから二十五年経った。毎年、故郷に帰るのは旧正月で、数日間、両親と過ごすだけである。親は年々老いるため、二〇一九年の暮れにはこれまでで一番長い二十日間の休暇を取った。三人の子どもは仕事で一緒に帰ることができなかった。私は一人で福建省にある自宅に帰り、旧正月を両親と楽しく過ごしたいと思った。ところが、旧正月の前に、新型コロナウイルス感染症が発生した。
 
そのころ、香港にはまだ感染者はいなかったが、既にさまざまな情報が流れていた。今まで私が子供たちのことを心配してきたが、今回のコロナ禍をきっかけに、今度は子どもたちが私のことを案じてくれるようになった。娘は、私があまりニュースを見ないことを知っていたので、ひっきりなしに私にメッセージを送って注意を促して来た。私が、田舎は安全だし、防疫と管理もしっかりしているので、大丈夫だと言っても、娘は相変わらずそれを疑問視し、絶えず、私に気を付けるようメッセージを送ってきた。恐らくそれがコロナ禍による私たちの初めての変化だと思う。
 
香港で新型コロナウイルスの感染が拡大するにつれ、人口密度の高いところはより危険なため、娘は私に香港に戻らないよう勧めた。私が勤務していた会社の深圳にある工場は操業停止になり、会社も正常に運営できなかったので、私は安心して自分で長い休暇を取った。もちろん一番喜んだのは両親で、毎日一緒に料理を作ったり、おしゃべりしたりして過ごした。両親の傍にいてあげたいというのは私の長年の願いではあったが、このような形で実現したことは悲しかった。
 
感染者と死者の数が増加の一途をたどり、医療人員が相次いで感染地域の支援に行き、各地の慈済人が防疫物資を調達するために奔走する姿を見ても、私は彼らのために祈る他に何もできないことを恥ずかしく思った。
 
五月になると、これ以上会社の業務を遅らせることができなかったので、名残惜しい気持ちで両親と姉妹に別れを告げ、香港に戻った。そして、自宅で十四日間の待機を経てから職場に復帰したが、同時に、慈済香港支部の活動に参加するようになった。
 
●コロナ禍の下でも慈善の歩みは止まらない。慈済ボランティアはクントン旧市街にある雲漢団地を訪ね、低所得世帯の日常生活やマスクの需要を理解した後、直ぐに支援した。(撮影・李健平)

積極的に善行する

コロナ禍で、皆感染リスクを背負っており、以前は活気に溢れていた香港がすっかり静まりかえってしまった。観光業は完全に停滞し、小売業も大きな打撃を受け、どの業界も影響から逃れることができなかった。息子は失業し、次女は操業短縮のために無給休暇を取らされ、また長女のピアノ教室は休みになり、個人レッスンの学生だけがレッスンを続けた。多くの香港人が同様の状況に置かれているはずだ。
 
コロナ禍は既に私たちの日常生活に大きな変化をもたらした。しかし、このような大変な時期だからこそ、多くの心温まる出来事を目にすることができた。
 
長女は、借りているスタジオの家主が自主的に家賃を引き下げてくれたと同時に、政府の助成金も申請できるため、困難な時期を乗り越えることができる、と私に言った。一方、私が働いていた会社は政府に「雇用保証」の補助金を申請し、工場の家主も自主的に家賃を引き下げてくれた。売上高は大幅に落ち込んだが、皆で努力して、難関を乗り越えようとしている。
 
シャングリラホテルグループはコロナ禍でも、防疫物資や食料品を購入するためのお金を寄付し、従業員が慈済ボランティアと一緒に真心を込めて「祝福袋」を作った。そして、昨年五月から八カ月連続して、さまざまな支援機構を通じて低所得者世帯や一人暮らしの高齢者に月二回、毎回およそ千世帯に、愛を込めた祝福袋を届けた。更に、配付の期限を延ばしながら従業員に寄付を促し、家族や友人を誘って一緒に善行を行うよう呼びかけた。
 
私は幸運なことに何度も活動に参加して、コロナ禍で影響を受けた人々や、他のNPO団体及びその責任者、慈済ボランティア、シャングリラグループのボランティアたちと知り合うことができた。その時、苦難と同時に愛と慈悲を目にした。
 
シャングリラグループの従業員は皆、積極的で、ある配付活動の時、若くてチャーミングな洪潔児(ホン・ジエアル)さんが興奮気味にこう語った。「初めて活動に参加した時、お年寄りたちが祝福袋をもらった時の幸せそうな表情を見てとても感動しました。ところが、二回目の活動では申込みに失敗して参加できず、三回目は会社のボランティア募集のメールを見るや否や素早く申し込んだので、やっと参加のチャンスをつかみました」。また、「普段は航空券の取り合いをしていましたが、ボランティアをするためにも奪い合いがあるのですね」と言った。
          
香港のコロナ禍は何度も厳しい局面を迎えたが、彼らの人助けの思いは変わらなかった。ボランティアの邱嘉宏(チウ・ジャホン)さんは、「感染症は極めて深刻ですが、タブー視しすぎないことが重要です。感染防止対策をしっかりすれば、自分が安心でき、他人を助ければ、嬉しくなります。より多くの人のために頑張りたいと思います」と話した。
 

コロナ禍で予期しなかったこと

●私はこれまで長い間、子供たちのことを心配してきたが、この感染症で、彼らが私のことを案じ、安全に注意するよう、言ってくれるようになった。
●今回、色々な団体と協力して配付活動をしたことで、助けを必要としている人々に接することができたと同時に、愛の道を歩むのは私たちだけではないことを知った。
 
雲漢団地で祝福袋の配付を行った時、シャングリラグループの黄琴心(ホワン・チンシン)さんは、「配付に何回参加したかは覚えていませんが、最も印象深かったのは、娘と一緒に参加した時、あるボランティアから『善行と親孝行は待ったなし』という静思語を教えてもらいました。私はとても感銘し、娘と二人でその言葉を胸に刻みました」。
 
複数の慈善団体と協力して祝福袋を配付しましたが、他に比べて香港家庭福祉協会から支援を受けていた人たちは、私が出会った中で最も若い人たちでした。責任者の王志平(ワン・ツーピン)さんは、「コロナ禍の影響で、数多くの家庭では失業や操業短縮のために収入が大幅に減少し、家庭の不和をもたらした人もあったため、特にそのような家庭に配慮して配付対象に選んだのです」。
 
王さんはボランティアのインタビューを受けた時、「私たちは感謝することと受ける側よりも施す側の方が幸せであることを知っています。香港が平和な社会であることを願っています」と語った。
 
私は彼の言葉に深く感動した。それは、真に苦しみを理解し、苦難にある人々を支援する第一線に立つソーシャルワーカーの心から出た言葉であることを知ったからだ。
 
様々な支援団体の共同寄付を通して、助けを必要としている人々に接した時、大愛の道を歩むのは私たちだけではないことも知った。コロナ禍が私たちに苦難をもたらしたが、教育にもなった。困難と共に愛を学んだ。
(慈済月刊六五〇期より)
No.292