慈濟傳播人文志業基金會
陽性者が百万人に達し、年末の団らんを直撃した
ヨーロッパは冬に入って感染拡大の第二波が訪れ、クリスマス前に各国は更に厳重な社会活動禁止令を公布した。このシーズンに集うことが難しくても、慈済ボランティアは寄り添いケアに気を抜くことなく、コロナ禍で人々の心が疎遠にならないよう努めた。
 
ヨーロッパ
秋から冬へと気温が下がる時期に、祝い事で人々が集ったことで、第2波の感染拡大が起きた。フランス、イギリス、スペイン、イタリア、ドイツ、ポーランドなどの国で、次々に陽性者の数が百万人を越えた。12月23日現在、世界で16カ国の感染者数が百万人を超え、そのうちの7カ国をヨーロッパが占めた。
 
毎年十月に行われるドイツ・ミュンヘンのビール祭りは世界的なお祭りである。二〇二〇年はコロナ禍により中止されたが、小さなバーはこのビジネスチャンスを逃さなかった。しかし、あるアメリカ人が隔離期間中にもかかわらずバーに出かけて飲み歩いたため、百人以上の二次感染を引き起こし、スーパー・スプレッダーとなった。
 
「ヨーロッパ全域にわたる感染拡大の第二波は、大部分がサービス業に関係しています。特にバーやカフェのような密な空間で、マスクを付けずに大声で話すことが原因です」とドイツに嫁いだ台湾人の林美鳳(リン・メイフォン)さんが言った。結婚後からフランクフルトに住んでいる彼女は慈済のベテランボランティアで、彼女の話では、政府は多くの大型イベントを中止したが、感染リスクは依然として存在しているそうだ。
 
航空機による移動と学校閉鎖をしなかったことが、感染リスクを高めた。九月以降、多くの国で陽性者の増加が停まらず、重症者も増え続き、病床が次第に逼迫し始めたため、各国政府はやむを得ず、封鎖措置や感染予防対策を強めた。感謝祭後の十二月十日、ドイツの新規陽性者数は過去最多となり、一日に二万人を超えた。メルケル首相は「祖父母の最後のクリスマスにしないで!」と民衆に呼びかけ、社交活動を減らすよう懇願した。
 
ヨーロッパ各国は互いに連動しているが、国によって感染予防対策がまちまちである。昨年春の感染拡大第一波の時、ドイツの規制措置はかなり厳しかったが、民衆は安全距離を保ちながらもまだ外出することができた。フランスでは一日に一時間だけ、運動や食べ物の購入にスーパーマーケットに出かけることを許可した。イタリアでは、外出の範囲が制限され、検査にいつでも対応できるよう身分証明書を携帯しなければならなかった。スペインでは、外出する前に警察に報告し、一時間以内に帰宅するよう制限された。
 
「二回目の感染予防規制はヨーロッパ人にとって衝撃と言えました」と林さんが言った。厳しい行動制限措置が次々と発令されていたが、感染拡大は収まらなかった。「もし行動制限措置が役に立つのなら、コロナ禍は終息するはずで、役に立たないのであれば、なぜ隔離に協力する必要があるのか?」。
 
コロナ禍は終息の見通しが立たず、生活リズムと人心を乱している。ヨーロッパの慈済ボランティアは前向きな態度で、オンラインで顔を合わせている。毎晩八時十五分から声を合わせて「祈り」を歌った後、順番に仏法を学んだ感想やコロナ禍の下での心境を分かち合ったりした他、医師を招いて感染予防知識を宣伝したり、ボランティアが布マスクの作り方を教えた。三月から年末までの三百日近くの間に、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア、オーストリア、ルクセンブルク、ヨルダン及びアメリカなどのボランティアが次々に参加し、延べ一万人余りが共に祈り、学び、「善の呼びかけ」の流れを作ったのである。
 
●ドイツ中西部の慈済ボランティアが行った中秋節慈善茶会では、中国語学校の先生と保護者を招いて一緒に防護フェースシールドを作成し、それを必要とする学校の先生たちに提供した。(相片提供・林美鳳)

援助の手を差し伸べるのは難しいことではない

あるイギリスの医師が軽症の新型コロナウイルス感染者となった。自宅待機していた間、毎日ドアを開けると温かい食事が置いてあった。それは慈済ボランティアの温もりだと感じた。
 
あるスイスに住んでいた華僑の女性は妊娠中だったが、両親は八千キロ余り離れたアメリカにいて、コロナ禍で行き来が不便だったため、産後ケアに行けなかった。林さんはちょうどスイスに行く用事ができたので、加熱すればすぐ食べられる産後療養菜食パックを冷凍袋詰めにして彼女の家まで届けた。
 
ボランティアはコロナ禍で人同士の思いやりの心が途切れないよう、逆により親密にしている。林さんは、家という家にはマスクが用意されているが、足りない人もいるはずだと考えた。あるイタリアのボランティアは、友人がマスクを求めていることを知ったが、決められた以外の時間に勝手に外出すると約二百ユーロ(約二万五千円)の罰金が課せられるので、夜が明けない前に、三十分掛けて歩いてその人の家へ行き、素早く玄関前にマスクを置いて、再び足早に自宅へ戻ったそうだ。
 
林さんは慈済の花蓮本部にとても感謝している。本部は昨年三月初めという早い時期に、ヨーロッパ地域の感染予防装備を心配してくれた。「当時のヨーロッパでは、新型コロナウイルスの感染はまだ、それほど深刻ではなく、人々はマスクなど必要なく、自分さえ健康であれば良いと考えていました」。しかし、ドイツ、イギリス、フランスなどで次々に感染が拡大し、特に医療スタッフの防護装備が不十分だというニュースが流れ、多くの団体が自主的に慈済に協力を求めてきた。四月下旬に、第一回目の八万枚のマスクがやっと到着し、ボランティアは直ちに配送した。
 
林さんの話では、慈済のコロナ禍でのケアは、最も簡単な「挨拶」から始めた。「もしこちらから周囲の人に関心を寄せなければ、誰がマスクを必要としているのか分かりません。また、電話を掛けて人々のニーズを聞かなければ、何も分からないのです」。このように、関心を寄せて声をかけてから行動に移すことで、人々がコロナ禍で疎遠になっていた心に警鐘を鳴らしたのである。
 
昨年五月、ドイツの防疫措置が順次緩和されると、ボランティアたちは直ちに集まってフェースシールドを作成し、学校へ配った。ドイツでは学校を閉鎖せず、生徒は登校していたが、先生たちは通ってくる様々な家庭の子供たちに向かい合うので、やはり感染を心配した。また、マスクを付けたまま授業を行うことは先生にとって不便だったので、慈済は先生と学生にフェースシールドを作った。その優しさは聴覚障害学生にも恩恵をもたらし、先生の口の動きがはっきりと見えた、と林さんが説明した。
 
●パリの封鎖期間中、慈済ボランティアの馮倩明(フォン・チェンミン)さんは、人影が少ないシャルルドゴール広場近くのスーパーマーケットへ買い物に行き、食糧が欠乏していた路上生活者にパンを与え、スーパーの職員にマスクを届けた。(相片提供・馮倩明)

家で菜食するのが最も安心

多くの家庭ではコロナ禍によって家で食事することが多くなった。ヨーロッパの慈済人は、この機会に菜食を大いに呼びかけた。ボランティアチームはフェースブックに「ヨーロッパ菜食の魅力E-Veggie」というファンページを立ち上げ、そこで人々は自分の得意な菜食レシピを分かち合っている。環境保護の理念から、ドイツの菜食主義者は少なくない。しかも最近、食肉加工工場の従業員が複数感染していたことから、今、菜食は多くのドイツ人が好む飲食のトレンドになっている、と林さんが説明を補った。
 
ファンページにオリジナルの菜食レシピーを公開した、ドイツの慈済ボランティア・林森喜(リン・スンシー)さんは、曽ては肉食中心の中華料理店を経営していたが、コロナ禍のこの一年の間に店を閉め、家族全員で斬新な菜食料理を考え出し、毎日一品を投稿している。林美鳳さんは称賛の声を惜しまなかった。「投稿した二百品の料理は一つも重複したものがありません!」。林森喜さんの料理に使う食材はヨーロッパの何処でも手に入れることができるため、簡単にレシピ通りに調理できるのである。
 
二〇二〇年九月末、林さんは二重マスクと長めの防護フェースシールドを付けて故郷の台湾に帰った。コロナ禍で変わったヨーロッパの日常生活に慣れていた彼女は台湾で何度も慈済の年末祝福会に参加したが、とても不思議に感じたそうだ。大勢の人が集まって祈りの会が催されていたが、とても安心して参加できたのは、皆が心して感染防止に努めた成果なのだと、改めて理解した。
 
二〇二〇年に義父が亡くなったのは、丁度ドイツで感染防止措置が取られた時だった。屋外での告別式は参加者が非常に少なかっただけでなく、その後の親族の集まりでも一・五メートル間隔で坐り、参加者は僅か六人だけだったことを、林さんは思い出した。十二月末にドイツに戻る時、丁度、欧米人が最も重んじるクリスマスの時期だった。彼女が願ったことは、コロナ禍が終息すること以外に無かった。
(慈済月刊六五〇期より)
 
No.292