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林鴻津は患者や家族、施設の介護スタッフと苦楽をともにする。いつも優しい笑顔の林おじいさんは、毎回のふれ合いを大切に、暖かな愛を人々に伝える。 |
日本視察の衝撃
長年僻地の口腔保健事業を推進してきた林鴻津であるが、五十歳を目前に日本の障害者歯科医療サービスを視察したことで、後の人生の使命を見出すこととなった。
「本当に衝撃の旅でしたね!」。台北医学大学とともに日本の福岡県を訪れ、障害者の口腔ケアモデルを視察した際、一般の診療所で接した重度障害者のほとんどが虫歯ゼロ、歯周病ゼロであることを知った時のショックを林鴻津はこう話す。定期回診で通常検査を行う際の、医療スタッフと患者及びその家族とのコミュニケーションも自然で温かみの感じられるものだった。
日本では一九六七年に北欧など先進諸国の口腔保健モデルを取り入れ、末端の歯科診療所から医学センターまでの三段階の口腔ケアネットワークを構築していた。鍵となる役割を担うのは公的医療保険の適用範囲で、出張サービスを提供する「歯科衛生士」である。末端の歯科医から通報を受けると、ただちに個別にそれぞれのケースを引き受け、医療サポートを行うだけでなく、身体の不自由な人や高齢者の自宅へ赴き、歯磨きや衛生教育、虫歯予防の飲食指導などを実施する。この政策を実施して後、日本の障害者の齲蝕罹患率は目に見えて低下し、今ではほぼ虫歯ゼロを達成した。
この日本への視察旅行では終生忘れることのできないショックを味わい、台湾の障害者の口腔ケアのために力を尽くすという願を立てることになったと林鴻津は話す。
彼はまた、日本視察の同年、台湾では社会を揺るがす医療事故が起きたことを覚えている。ファロー四徴症(重度の心疾患)を患う十歳の楊少年が、多くの虫歯があったために全身麻酔で「補綴治療手術」を行うことになった。手術は無事成功し、楊少年は術後小児ICUに入院し、経過観察することとなった。ところが翌日の午前中、小児科医が楊少年の気管内チューブを抜いたところ、少年は意識不明に陥り、気胸と出血性ショックを併発して死亡した。この医療事故はその後長く続く民事訴訟へと発展し、歯科医が障害者への医療をより一層厄介なものとみなす後遺症を残した。
林鴻津が日本の歯科医にこの問題を話したところ、ある医師から核心をつく質問を受けた。「なぜ台湾の保護者は子供の虫歯を放っておいたのか。なぜ行政は障害児の口腔保健を軽視していたのか。なぜ障害者団体は歯科医をバックアップしなかったのか」――と。「この三つの質問を聞いて、私は障害者口腔ケア分野において、台湾はまだまだ発展途上であることを思い知らされました」と林鴻津は話す。
深い反省の念を抱いて帰国して間もなく、林鴻津は八里愛心教養院と出合った。その後二年間、彼は入所者全員及び職員とともに口腔保健救済大作戦を展開する一方、日本に学び、また東京歯科大学から海を越えて経験を伝えることで、ようやく形勢を逆転することができた。
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カンボジアの大きな木の下で、林鴻津は、現地の人に通訳してもらいながら口腔保健知識を講義する。
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口腔救済大作戦
新北市唯一の「公立」障害者養護施設として、八里教養院は二歳以上十八歳以下の重症心身障害児を受け入れており、およそ百五十人が入所している。
当初、歯磨きが定着するかどうかの確信はなく、長期的に取り組むつもりもなかったと林鴻津は打ち明ける。「それでなくても介護スタッフの負担は大きく、反発は免れませんでしたからね。でも歯磨きを定着させないなら、いくら治療しても治療しきれるものではないのです」。林鴻津は前院長の郭美雀に三つの条件を出した。一つ目は四カ月後、入所者全員の歯の頬側(比較的に磨きやすい外側)を清潔にすること。二つ目は十カ月後、入所者全員の歯の舌側も清潔にすること。三つ目は第一線の介護スタッフは皆、必ず真面目に入所者の歯磨きを行うこと。そして一人でも協力しないスタッフがいれば自分は辞めると伝えた。
こうしたハードルの高い条件を郭前院長は即座に了承したのみならず、「もし私たちがこの条件を達成できたら、先生は好き勝手に辞めてはいけませんよ」と逆に要求を出してきた。こうして林鴻津と教養院は歯磨き大作戦を開始したのである。
ベテラン養護教師の戴明秋は、医者は医療の専門家で、歯磨きの技術については概念を伝えることしかできず、実際の歯磨きについては介護スタッフが実行する中で模索し、学習するしかなかったと話す。戴明秋はまた「最初の頃多かった失敗は『空磨き』です。後になって指で頬の両側を開き、目で歯を見ないとちゃんと磨けないことが分かりました。しかしその後も強く磨きすぎ、入所者の歯茎が萎縮したり、潰瘍ができてしまったりすることもありました。適当な力加減をつかむため、介護スタッフはプライドを捨て、互いに磨きあって練習しました」と言う。さらには調理スタッフも歯にくっつかない食事を開発するために知恵をしぼり、おやつについても厳しくコントロールするようになった。
現在、介護スタッフはみな「柔を以って剛を制す」という歯磨き法を身につけている。それはまず緊張しやすい入所者の肩や頬をマッサージし、次に手袋をはめた手で歯茎をマッサージし、徐々に緊張をほぐしていき、続いて手早く入所者の頭を胸に抱き、腕の内側で頬をしっかり押さえてから歯磨きを行うのである。
「みながこんなに真面目に努力したのは、林先生という『よそ者』が苦労を厭わず、折に触れては『突撃検査』とサポートにやって来て、自費で歯磨きの器材を購入し、私たちを完全に家族と見なしてくれていたからです」戴明秋は言う。
歯磨き作戦の成功には鉄血政策だけでは不十分で、重要なのは入所者に歯磨きを好きになってもらうことだった。「歯磨き運動を開始して半年後、ある日突然数人の入所者が自発的に別の子供たちの歯を磨き始めました。それを見た林先生は、比較的運動機能の高い入所者のために歯磨き指導の教室を開くことにしました。子供たちがついてこられるか最初は不安でしたが、数回教室を開くと、歯磨きコンテストをしようよ、と子供たちの方から提案してきたのです」。陳麗雲はこう話す。
こうしたコンテストと賞品、さらには歯磨き芝居まで演じたことで、みなの士気が上がっていった。第二回歯磨きコンテストの際には、林鴻津はサプライズを用意していた。歯磨きの成績の優秀な十五名の入所者、三十名の介護スタッフ、十三名の事務スタッフを、中華民国歯科医師公会全国聨合会の日本口腔保健制度視察に同行させ、その道すがら東京ディズニーランドも観光したのだ。歯磨きが子どもたちにとって面白いものとなったのみならず、歯磨きは子どもたちを夢の旅に招待することにもなった。
今では食事の後、介護スタッフと入所者は、誰が号令をかけるわけでもなく自然と歯磨きの準備にかかる。一人の介護スタッフがおよそ五名の入所者を担当し、食後の歯磨きには毎回四、五十分かかる。「私たちはスピードは求めていません。求めるのは清潔さです。口腔ケアは健康のもとですからね」。こんなシンプルな信念が職員全員の暗黙の了解となっている。
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八里愛心教養院で、林鴻津医師がやさしく入所児童たちの歯を診療している。
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協調運動障害があるものの、八里愛心教養院の脳性麻痺のこの入所者は、毎食後、いつも真面目に十数分かけて自分で歯磨きをする。「歯を磨くのも、林先生も大好き!」と彼は言う。 |
赤ひげ先生、今後も奮闘
二〇〇八年、台北医学院は衛生署の委託を受け、BOT方式で双和病院を設立し、また全国初の障害者専門の口腔ケアセンターを設置し、百坪近くの空間に専門の診療室、鎮静麻酔手術室及び衛生教育エリアを設け、医療と衛生教育の両立を標榜した。
ここの最大の特色はやはり「人」である。開業医の身分で双和病院の特殊歯科を支援する葉必信歯科医は、「特殊歯科の必要とする医療技術は決して難しいものではありません。最も重要なのは障害者を「人」として見ることです。障害者の患者が来たら機械的に口を開けさせるだけ、というのではなく、感情を持って患者さんと話をしたり、冗談を言ったりしてコミュニケーションをとらなければなりません。いわゆる障害者に対する『行為制御』とは、医者がまず自分の情緒をよく制御して、感情を落ち着かせ、リラックスし、尊重と寛容の態度をもって障害のある子どもたちに接することです。こうしてこそお互いに成長し、かつよいフィードバックが得られるのです」と述べる。
双和病院の黄茂栓歯科部主任によると、この全国初の特殊歯科センターは、林鴻津の提案のもと、台北医学大学の李祖徳理事長と邱文達学長が社会奉仕という姿勢で設立、林鴻津が歯科医達を率い、一年目は完全に無料診療を行ったおかげで、センターのスタートが支えられたという。「今では双和病院特殊歯科の名声は高く、一年に延べ八千人にサービスを提供しています。また特殊歯科医療ネットワーク構築計画という政府の政策にも影響を与えています。これら全ての発展は、どれも林医師の優れた施設へのこだわりのおかげです」と黄茂栓主任は話す。
障害者口腔ケア分野の先駆者として、林鴻津は歩みを止めることはない。最近でも彼は、台大病院特殊歯科に教育課程を開設し、講師を務めたのみならず、自ら進んで自閉症と認知症に関する講座も聴講した。論文に目を通し講義教材の修正に毎晩一時間を費やす彼はこう話す。「もう何百回も講義しているのに、どうしてまたあれこれと手を加えるの、と妻からは言われますが、一度一度のチャンスを大切にし、それぞれの学生に合わせた教育を行い、時代とともに進歩してこそ、さらに多くの人を引き入れ、ともに改革を行えるのです」
林鴻津の次のステップは、高齢者、持続的意識障害者、精神障害者などより弱い立場にある人々が、十全な口腔ケアを受けられるようサポートすることである。予防が治療より重要であることを知る彼は、ここ数年政治家が「高齢者が無料で入れ歯を作るための補助金」を選挙公約とすることに反対だ。「多額の公的資金を投入しても補助金で作られる入れ歯は安物にならざるを得ず、品質に期待することはできません。それよりは資金を衛生教育に用いる方がよいのです。一年三千万元足らずで、安定して持続的な効果を得られるのですから」。林鴻津は担当部門の官僚に意見したこともあるが、「高齢者に資金をつぎ込むなんて無駄だ、というのが向こうの答えでした。これこそ官僚意識なんですよ。行政の負担を増やしたくない、ただ金をばら撒いて票を集め、後は歯医者に任せればいいと思っているんですから」と疑問を投げかける。
二〇一三年、林鴻津は障害者の口腔ケアに長年携わったことから医療貢献賞を受賞した。彼はこの絶好のチャンスを捉えて、「事前の予防、歯磨きの励行、歯科へのニーズを減らすことこそが上策なんです」と総統に直接建言した。ただしその効果は芳しいものではなく、高齢者の口腔の健康は、なお解決の待たれる問題である。
道のりは決して平坦ではないが、林鴻津はあくまで障害者やその家族、介護スタッフと同じ立場に立ち、精神的、実質的な温もりを送り続け、決して意気消沈することはない。「考え方が一%でも変わればチャンスが生まれます。実際に行動に踏み出せば、自分を変え他人を変え、さらに多くの人を幸福にできるのです」。林鴻津は青年から老年に至るまで自己の人生哲学を実践し、障害者など特殊なニーズを持つ多くの人々に良質の口腔ケアを提供してきた。そのおかげで彼らは今、自信に満ちた明るい笑顔を浮かべることができるのである。
(経典雑誌二0八期より)
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