善の根をはり、雑念を打ち払いましょう。
善い縁を結び、菩薩の絆を縫い合わせてまいりましょう。
花蓮県万栄郷に住む林さんはまだ五十代です。日雇い労働に出て生活していましたが、奥様が病気で亡くなられてからというものすっかり気落ちし、毎日酒浸りになり、挙げ句の果てには半身不随を患って仕事もできなくなってしまいました。
瑞穂郷の慈済ボランティア蔡秀鳳さんが林さんの家の前を通りかかった時のことです。彼は床に倒れ何かを口走っていました。「頼む、助けてくれ!」と。蔡さんは彼が酒に酔っているのだと思い、そのときは避けて帰りました。しかし帰宅してからは何とか助けてあげられないだろうかと気がかりで二、三日眠れない日が続いたので、やはりボランティアの仲間と共に訪れてみることにしました。家に入ると十字架やイエスキリストの絵が張ってあり、彼はキリスト教徒なのだと分かりました。まず彼に正直に自分と向き合うこと、毎日飲んだお酒の量を記録することをお願いし、家で資源回収の分類をすることを勧めました。しかしお酒をやめさせることは簡単ではありませんでした。蔡さんはあきらめそうになりましたが、師匠の言葉を思い出しました。「種はまいた後、長い時間をかけて育ててはじめて大樹になるのです」。やはりケアをやめてはいけないと思い直しました。数年を費やし、林さんはやっとお酒の量を減らすようになりました。また、自分から瑞穂リサイクルステーションのボランティアを志願したのです。飲んだくれだった人がリサイクルボランティアに生まれ変わったのでした。
朝の勤行にて上人様はおっしゃいました。「娑婆というところは五道の存在が雑居しているといえます。衆生は皆清らかな本性を持っているのですから、根機に合わせてあきらめずに導いてやらなければならないのです」と。「一人でも多くの人を救いましょう。一人救えば良い人が一人増えることになるのですよ。さらに多くの人が努力を惜しまず貢献するようになれば、この社会は一層住みやすくなるでしょう」
「人生がどれほど苦しくても、雑念に取りつかれてはなりません。心を広く持ち、心から深く人々の幸せを願う気持ちを奮い起こして、菩薩の絆を繋ぎ広めていくのです」。上人様はどんな人も見捨ててはならないと言われました。「煩悩や雑念を徐々に解き放ち、本来の清らかで善良な自分に戻るのです。そうすれば社会のよどんだ空気も簡素で素樸な流れに変わることでしょう」
善を讃え伝える
このところマケドニアとスロバキアでは大雨が続き、その上難民受け入れ政策が変更されたため、多くの人々が両国の国境で足止めを余儀なくされています。大雨だというのに簡易テントに身を寄せ合うしかなく、寒さに凍えているのです。上人様は難民の境遇をひどく嘆かれました。そして遠いヨーロッパへ赴いてそのような悲惨な歴史を検証し記録する使命を自ら背負うボランティアの同胞に感謝しておられました。
ボランティアは以前東日本大震災の被災地を訪れたことも話してくれました。津波から五年後、ある被災者が当時慈済の慰問メンバーが配付したカードを亡くなった奥様の御霊前に供え、慈済ボランティアに深く感謝の意を表していることを知ったそうです。
上人様は、当時は見舞金を入れる封筒にも心を配ってデザインしたこと、お見舞金だけでなく名刺型USBや慈済の歌「祈り」「愛と介護ケア」の日本語版なども用意したことを取り上げられ、「その当時は被災者の方々に、救助してもらうのではなく、友人からの気遣いだと思ってもらえるように、心配りをしました」とおっしゃいました。
科学は発達し、現代人は携帯電話を肌身離さず持っているので、いつでもインターネットで情報を得ることができます。上人様は慈済の人文事業部が「正しく真実を報道する」という責任を全うし、より多くの人々に愛の心を啓発することを願っておられます。「菩薩達は繋がりを強く持ち、雑念を打ち払って愛と善を世の中に相広げ、人々の心を清めましょう」
愛は啓発されるもの
東日本大震災から五年が過ぎ、原発の放射能制御の難しさが指摘されています。今日に至ってもまだ放射能汚染警戒地域は広範囲に広がっており、帰宅できない人々がいるのです。
十一日の朝会では、慈済の災害支援団が危険を冒して放射能の数値の高い地域の支援に赴いたこと、救助の後も、日本の慈済支部と協力して毎年少なくとも二回仮設住宅を慰問に訪れていることをお話しになりました。
五年が過ぎても、日本の人々は原発に対して恐怖と心配を抱いています。ただ被災地の人々は今も台湾からの温かい支援を忘れてはいません。今年の二月に起こった台南地震の時は、率先して義援金を募り、慈済を通じて台南政府に届けてくれました。
「愛は互いに啓発し合うもの、それが人道精神の礎なのです」。上人様は慈済人の誠の愛が国境を越え、見返りを求めず人々に尽くし、衆生を助けていることに感謝を表されました。衆生が救われる様子を目にすることこそこの上ない喜びだとおっしゃるのでした。
(慈済月刊五九三期より)
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