慈濟傳播人文志業基金會
熊本は元気だ!
九州の熊本で強い地震が発生してから、慈済ボランティアは大津町の避難所に泊まり込み、家に帰れないお年寄りたちに付き添った。
毎日一時間、静思茶を入れ、夕方には温かい食事を提供する。その合間に皆で体操をしたり、楽器を演奏して楽しんでもらうことで恐怖を拭い去り、元気になってもらうのだ。

 

熊本県阿蘇郡南阿蘇村の家屋は酷く損壊した。南阿蘇村では15人が死亡し、1人が行方不明になった。
 
大津町総合体育館が臨時の避難所になり、現地の人は余震が減り、水道や電気の供給が回復するにつれ、帰宅して行った。阿蘇山に近い住民は土砂災害や道路の損壊で直ぐには帰れなかった。
 

 

四月二十二日から五月十四日まで、私たちは熊本の被災者と一カ月弱、共に過ごした。

慈済の重点支援地区は熊本県中央から北よりにある大津町である。総合体育館が避難所に当てられ、大津町や南阿蘇村立野区の住民約千人が避難した。自衛隊が毎日二回おにぎりを提供し、ボランティア団体である熊本インドネシア協会が毎日一回、五百人分の温かい野菜スープを四月二十四日まで提供した。私たちは炊き出しすることを決め、住民たちにも参加してもらった。二十四日の午後、町内の主婦たちが包丁やまな板を持ち寄り、エプロン姿でやってきた。あたかもプロ集団のように、役割分担した後、野菜を洗って切り、初回の炊き出しで四百人分のスープを提供した。

被災地の学校は五月九日まで休校になり、生徒たちはこぞって私たちのボランティアになってくれた。人数が多ければ力量も大きくなるとはこのことで、キャベツチーム、ニンジンチーム、白菜チームなどに分けて作業をした。初めてボランティアをした子供もろい、これも初めて包丁を握ったため、切ってもらった野菜の大きさはさまざまだった。そして、彼らは雨が降る中、何度も行き来して食事を届け、若々しい元気な声が曇り空に差し込んだ日光のように広がった。

私たちが持参した静思小葉紅茶とウーロン茶は住­民や職員たちに、とても美味しいと好評だった。「地震発生から毎日、味のない水ばかり飲んでいました」と、お爺さんとお婆さんが日本人のお茶に対する思いを話してくれた。避難所の住民は熱いお茶が飲めることを待ちわびていた。

避難所の人数は日毎に減った。会社勤めや家の整理をするため戻って行く人や急いで借家を探す人など。若い人は素早く方法を見つけてそこを離れて行った。そこから出られない人は皆、家屋の損壊が激しいお年寄りばかりだった。彼らは避難所の毎日が長く感じられるようになった。

私たちはお茶の時間に子供たちを連れて行った。そして、お爺さんやお婆さんに大きな笑顔で対応するように言った。それが子供たちにできることであると同時に、お年寄りが最も期待していることでもあるのだ。震災後、大人たちが焦り心配する中、子供たちも何かしたいと思っていた。それ故、彼らは私たちを真似て、お辞儀して両手でお茶を差し出し、優しく語りかけた。その時から彼らは避難所の愛に満ちた天使となった。

ボランティアが避難所の一画にいた女性とその姑を見舞い、慰めた。
 

 

お爺ちゃん、お婆ちゃんはにぎやかなのが好き

 

國武春代さんは九十二歳の姑を連れて避難して来た。ボランティアの差し出した熱いお茶を飲んで緊張していた情緒が一気に解け、ボランティアの肩に顔を乗せて感動の涙を流した。家は損壊し、余震の恐怖の中、これから先どうしたらいいか分からなかった。諸々の複雑な感情が胸中に鬱積していたが、彼女は地震発生から十数日後の今日、初めて涙を流した。

日本テレビ系列の熊本県民テレビ局は、慈済ボランティアの炊き出しと被災者への付き添いをカメラに撮っていた。彼女が慈済ボランティアと抱擁し、十数日間の緊張がとけて涙を流した時、プロデューサーはやっと、どうして慈済ボランティアが遠くから飛行機に乗って炊き出しに来るのか分かった。彼はボランティアが真心でこの世に愛を満たそうとしていることを感じた。

震災後、慈済は延べ八十人のボランティアを動員し、合計千五百人分の炊き出しを行った。私たちが作ったトマト野菜スープは住民たちが野菜を摂取し食欲を増進させるのを助け、また、中華風味のベジタリアン酢豚や搾菜スープ、八宝菜なども提供した。また、日本の食文化に沿って、即席飯でおにぎりや手巻き寿司を作った。住民はボランティアの細やかな心遣いに感謝した。「こんな危険な所に来てくださって、ありがとうございます」

避難所では物資は豊富だが、住民は温かい食事や野菜、果物を求めている。東京、山梨、長野、大阪などからボランティアが飛行機や新幹線を使って集まり、現地の住民と共に炊き出しをした。
 
地震で学校が休校したため、学生たちはこぞって避難所でボランティア活動に参加した。毎日、住民の期待に沿って、慈済は炊き出しの献立看板を作った。
 

 

体育館の外で空や芝生、遠く周囲を囲んだ阿蘇山を眺めながら、小さなボランティアたちは床に這いつくばったり座ったりして食事の献立を知らせる看板をデザインし、挿絵も入れた。

子供たちが帰る時、お母さんたちにありがとうと言うように、と念を押してから慈済のマイカップに静思茶を入れて持たせた。大人たちに子供が私たちと一緒に何をしているのかを知ってもらうのも大切なことである。高校一年生の小山田雪乃さんのお母さんはわざわざ、子供に奉仕する経験をさせてもらったことを感謝しにやって来た。「子供が国際的なボランティアと知り合いになったことは人格の成長に役立ち、多くの友人もできたようです」

四月二十九日、野菜の準備の合間に、子供たちは楽器演奏を練習することを承知してくれた。初め、「本当に演奏するのですか?」と突然の要望に子供たちは悲鳴を上げた。「皆、知っているように、お爺ちゃん、お婆ちゃんたちはにぎやかなのが好きなのと、君たちの笑顔を見たいの」と説得する私たちに勝てず、結局、子供たちは承諾した。

昼頃、家から楽器を持って来る子がいた。そして、私たちが近くの百円ショップで買った楽器を付け加え、即席のミニ楽団が出来上がった。長年、管楽を学んできた王美玲師姐が指揮を勤め、楽団は体育館の片隅で練習した。

四月三十日、楽器を吹き鳴らしながら列を作って体育館に行進してきた。翌日に体育館の整理を控えたこの町に一風変わった幸せな時をもたらした。コンサートの来賓はお年寄りたちであった。練習時間も少なく、短い三分間の曲だったが、会場は大いに盛り上がり、避難所は元気な声に溢れた。

お爺さん、お婆さんたちは皆、声を上げて笑った。演奏が終わると、子供たちは一人ずつお年寄りの肩を揉んだ。「もういいよ、ありがとう。手が疲れただろ?」。どの子供もほとんど同時に「いいえ、大丈夫です!」と答えた。

そのお返しにお婆さんが童謡の「ふるさと」を歌った。その時、避難所がふるさとになり、皆が家族になった。ありがとう、お婆さん! ありがとう、被災地の愛の天使たち!

大津町の避難所で子供ボランティアがお年寄りにお茶を入れ、言葉を交わした。
 

 

NO.234