慈濟傳播人文志業基金會
人々は観世音

互いに愛し助け合うこの世は浄土です。

 

思いを変えると、菩薩は具現する

 

旧暦六月十九日は「観世音菩薩成道の日」です。この日の朝、《観世音菩薩普門品》を読経しました。證厳法師は開示をされ、仏の精神を学び、衆生には親しみを以て済度するようにと教えられました。もしも、この世に無数にいる愛ある人が、善念の啓発を受けると、それが無量の菩薩の化身となって、世界各地で苦難の人を助けるようになります

台風一号で福建省が洪水の災害を受けた時、現地の慈済人は十日間に延べ九百二十六人を動員し、実地調査と物資の配付に当たっていました。手を差し伸べて被災者を抱きしめ、彼らの苦痛を和らげられるように寄り添い、温かい食事を作って配りました。そして被災者も一緒に復興のために働く中で、心が安定し、悲しみが喜びに転じるよう願っていました。

すべては心の持ちようによるもので、その一念でこの世は天国にも、地獄にもなります。お互いに愛し助け合う世の中が菩薩の浄土です。

法師は、皆が一人でも多くの人間菩薩を集めて、両手を差し伸べ喜んで奉仕することを願っておられます。多くの人間菩薩は、この世の無数の観世音となって、苦しみの声を聞くと苦難救助に駆けつけます。そしてその愛と善行は受け継がれ、永遠に続いてゆくのです。

證厳法師は中国蘇州から来た慈済人との座談の中でこのように語りました。「菩薩は皆の心の中にあります。考え方を変えたら、自ずと菩薩となって現れます。苦難の多い世の中で、慈済人は人を助ける菩薩となる以外に、人々も菩薩になるように導いて、苦難の人が最も必要とする所へ一緒に引っ張っていくのです」

法師は「菩薩になりたいのなら、仏法に深く入り、着実に修行に勤しみ、道心を堅く持ち、外部の影響を受けないことです。法を一字一句漏らさずに聴きましょう。今聴いたことをどのくらいできていなかったか、眼前に写る文字を無駄にしていないか、日々法の薫りに浸っているが、心は虚ろではないだろうか、と自問しましょう。一人で考えるだけではなく、法を聴いて皆と討論すれば、法の一つ一つが心に深く刻まれるでしょう」と言われました。

法を求めることは人としての本分であり、自分のために精進するのは慧命の成長を求めるもので、福の恵みを求めるものではありません。正しいことはやればいいのです。見返りを求めないと反対に『得る』ことがあります。精進と無私の奉仕は、自然に人から認められます。

證厳法師は、早朝の法会に参加する慈済人が、道場までの交通安全に注意するよう言われました。皆が健康で無事に精進し、智慧を以て気力の困難を克服すれば、證厳法師は安心され、それが最も良い供養になるのです。

最近、中国の慈済人が水害被災地へ支援に行った時のことです。支援センターのトイレや厨房がとても汚れているのを見て、元の白いタイルが現れるまでピカピカに掃除しました。證厳法師は、真如の本性とはもともと皆に具わっているもので、ただ累世の無明煩悩に覆われて、洗い清められる機会がなく、無明煩悩の垢が蓄積して本来の姿が見えなくなっているのだとおっしゃいました。

法師は、法を水に譬えられ、真如の本性を見ることができると言われました。そして、皆が「法の薫り」に触れる機会を大切にし、精進法を聴く因縁を把握して、己の心を清め、外に向かっては人心の浄化に努めなくてはならないと励まされました。

 

善言に努め、人を済度するように

 

アフリカのシンバブエは今年の上半期、エルニーニョ現象のため雨が降らず、旱のために農作物は実らず人民は飢餓状態に陥っておりました。

證厳法師は「衣食の足る裕福な人は食糧や物の命を大切にすることです。腹八分目にして、残りの二分を人助けのために寄付しましょう。愛の力を集めて発揮し、この世に愛と善を循環させ、善を積んで福になりますように」と言われました。

人生は無常であり、福となすか、禍となすかは、その一念にあります。人々が明らかな思想をもって、正確な観念、足るを知って小欲であれば、地球も人も健康になり、人類の生活は安定して幸せになるとおっしゃいました。

スリランカでは五月に水害と土石流が発生し、台湾、シンガポール、マレーシアの慈済人が支援団を組織して支援に行きました。七月十三日に精舎へ帰ってきて、現地の被害状況や配付活動について報告し、支援活動を通して会得したことを話しました。

證厳法師は皆に、支援活動で見聞きしたことや経験を記録するように言われました。場所によってさまざまな違いがあるので、前者が奉仕した経験を記録に残せば、後者がその経験を活かすことができ、支援をスムースに行うことができます。

證厳法師は、「人を導くときは、指差してはならず、あごで指図してもならず、強い態度を取ったり、強い言葉を言ったりするのではなく、善言、やさしい言葉使いが人を導いていく上での秘訣です」と注意されました。

《法華経法師品》の中に「如来滅後、其能書、持、読、誦、供養、為他人説者、如来則為以衣覆之」とあるのは、仏が経典を護持する人に衣をもって彼を庇護していることを描写しています。法師はこれを引用して、発心した人に対しては、柔和善意の態度で近づき、その人が喜んで受けてくれると、その奉仕は長続きするのだと説明されました。

 

補導に勤め、包容力を示すこと

 

ある人が「団体の中で習気が強く、協調性のない人がいたらどうすればよいのでしょうか?」と尋ねました。これに答えて、證厳法師は仏典にある話をされました。

一人の師匠が弟子たちを連れて、叢林の中で修行している時、弟子の中にある小坊主がいました。彼はしばしば戒を破っては盗みをするので、他の弟子たちは不満に思い、師匠に彼を僧団から追い出してくださいとお願いしました。どの弟子たちも修養を積んでいて、どこへ行っても歓迎されますが、この小坊主だけはどこへ行っても歓迎されません。すると、師匠は、「私が彼を愛せなかったら、誰が愛するのでしょう」と言われました。

習気を改めることは困難ですが、慈済の団体の中では過去に過ちがあっても、縁があって菩薩の団体に入ってからは皆に愛され、良い習慣のある人々の薫陶を受けて習気がなくなり、人生が一変した人がいます。

證厳法師は、自分自身で習気を改めて人々に受け入れられるまでになるのは簡単なことではないけれども、多くの人が一人を包容するのは比較的容易なことだと話されました。愛によって教え導くことは、自分も大空を包むような広い心を培うということです。仏陀のような、何人も見放さない心を以て、広く善縁を結んで、この世に造福するようにとお教えになりました。

慈善門とは人間菩薩を集める第一の法門ですから、もしも心に慈悲がないなら、それは仏に学び、法に学ぶことに従っていないのです。法師は入門者には「苦を見て福を知る」を理解させることと言われました。よき慈済人に導くには、その人を慈善訪問ケアと支援活動に多く参加させ、苦難の人と多く接触してもらうことです。

 

平等愛、見返りを求めない布施

 

中国で多くの自然災害が発生しています。被災地は広範で、現地ボランティアだけでは力不足ですから、各省の慈済人が協力してやらねばなりません。二十四日、中国の慈済委員(慈済の幹部ボランティア)との談話の中で、證厳法師は、人間菩薩を招集するにはいざ災害が起きてからでは遅く、平時の訓練の時に方法を教えなければならないと言われました。

現在、福建の永泰、清涼の二つの町で台風一号の被災者に温かい食事を提供しています。晴天の時には、ボランティアは住民に余った野菜を干せば節約になり、そして環境にもやさしいと教えています。この話を證厳法師は、身を以て手本を示すことは言葉よりも大切なことだと頷きながら、聞いておられました。

「万事は一事から」と言われるように、小さな一事には道理が含まれています。柔軟な心を以て人々とふれあい、楽しみながら人を導くと、相手は喜んでついてきてくれます。これが慈済人の秘訣です。

人としての成就は富裕名利になく、人に対して何事も円満であることです。上人は、シンガポールの慈済人との談話の中で、堅い信心で仏法を吸収し法を体得するよう励まされております。

人は、大きな間違いは簡単に懺悔しますが、小さな間違いはなかなか改められません。

法師はそれを「荒れ果てて長い間放置された家、大型廃棄物などはすぐに片づけることができますが、長い間埃にまみれ蓄積しているゴミはなかなか取り除くことができません。過ちがあればただちに直せば、心中の無明煩悩は複製されず、習気も累積しません」と譬えて言われました。大衆の中に入って、菩薩道を行う時、必ずさまざまな習気と困難に会います。

法師は、「大空を包むような広い仏心の境地で、人々を未来仏とみなし、寛大な心、分け隔てのない大愛に、お互い成就することができます。そして、同体大悲の愛、見返りを求めない奉仕があれば、人々は苦から解き放され、喜びを得ることができます」とお教えになられました。

NO.238