貴い命を大切に
刹那を把握する「信心、悲願、行い」は
生命の精華であり
精彩な人生を織りなす
毎年の中秋節には「国際慈済人医会」のメンバーが花蓮静思精舎に集います。今年の中秋節は天上に満月、地上に二十カ国以上の菩薩六百人以上が集まって、道心と愛の心を強めていました。
二十年前、フィリピンの慈済人が村々での施療を始めました。長期にわたって施療を指導していたマニラ崇仁病院の呂秀泉副院長は、一九九六年、スタッフを連れて精舎にこられました。その日はちょうど中秋節でした。それ以後、毎年の中秋節は精舎で私と月見をする約束をして下さいました。それ以来、世界の人医会メンバーの皆が花蓮に帰ってきて、精舎で月見するのが恒例となり、経験を披露し交流を温めお互い励ましあっています。
慈済の世界人医会のメンバーは異なる国家、異なる信仰の人々の集まりですが、愛の心は信仰の壁を取り除き、同じ信念を堅持して、家から出てこられない貧困、苦難の人々のために、医療スタッフは彼らの元まで行って治療しています。そして、彼らの家庭にまで関心を寄せ、病苦を理解し、その命の恩人となっています。普段は自分の地元で診察していて、世界の中で甚大な災難が発生した時、人医会のメンバーは災難の最前線に集まって治療をしています。
慈済人医会は、今から遡ること四十四年の一九七二年九月十日、「慈済貧民施療義診所」が設立されたのが始まりです。
当時功徳会は設立して六年でしたが、貧民救済を行っている中で貧の原因は病にあることを発見しました。貧困であるがゆえに医師の診察を受けられず、簡単な病が重病に至るのです。一家の大黒柱が急病に襲われると、経済的に苦しくなり、ついには家庭が崩壊することになります。貧と病は双子のような関係で、貧の上に病が重なるとその苦しみは言葉では表せません。
ですから私が考えたのは、単なる慈善だけでは根本的ではないということです。もしも医療を通して病人をベッドから助け起こし、健康が回復して働く能力があれば、その家庭は貧の苦境から抜け出せるのではないかと考えました。そのために施療の構想を練りました。
私の一番弟子、徳慈法師の母親、黄おばさんは、慈済が花蓮市内で施療所を設置すると聞いて、仁愛街の一階を提供してくれました。黄おばさんが場所を提供してくれ、省立花蓮病院のスタッフが志願して手伝ってくれたおかげで、慈済貧民施療所を始めることができたのです。
施療所での奉仕だけでなく、志のある医療ボランティアは休日になると、慈済ボランティアについて、花蓮県の南の玉里や光復、寿豊まで出かけて巡回施療を行いました。僻地の医療設備は乏しく、街中の診療所まで出てこられない多くの病に苦しむ人々に医療を提供するためです。仁愛街の慈済貧民施療所は、一九八六年に花蓮慈済病院が開業すると共に廃止となり、十四年間の歴史の幕を閉じました。
現在台湾にある六カ所の慈済病院は、医療品質が肯定されているだけでなく、当時からの伝統である施療は脈々と受け継がれています。医療スタッフは常に病院から外へ飛び出して、患者を往診し、関心を寄せて、「人医」の精神を実践しています。
善法を心に
善念は延々と
心根を護ると
天地は平安になる
中秋節の期間に、台風十四号と十六号が続けざまに台湾を襲い、甚大な被害をもたらしました。その間、風雨の中で多くの人が自分の持ち場を守って、人々の無事のために尽くしていたことに感謝しています。そして高雄、屏東と台東の慈済ボランティアも、すぐに災害調査と被災者への物資配付に起ちあがっていました。
世の中は、人の心の不正、貪念が山河大地を破壊すると、天災が頻繁に起きます。それに、無明によって心の調和がとれず、人は対立し合い、国と国との間で戦争に発展すれば、人禍をもたらします。
アフリカ東北部の南スーダンでは、二○一三年十二月に戦争が勃発して以来、国民は国外へ脱出しています。近日情勢はさらに悪化して、毎日八千人以上が隣国のウガンダへ逃れています。国連難民高等弁務官事務所が発表した八月中旬の統計では、南スーダンの難民は百万人を超過していると発表していました。
人の心の対立が深まると、民族は互いに殺戮し合い、人々の生活にもたらされる苦しみは想像を絶するものです。シリアもまた長年の内戦による砲火や流れ弾の威嚇に晒され、人々はやむを得ず故郷を離れて難民となっています。世界で無数の難民が故郷を追われているのは、見るに忍びないことです。台湾で幸せに暮らしている私たちは、自分たちがどれほど幸せであるか、平安であるかに感謝し、進んでこの世に造福するよう願っています。
人生の無常、束の間の命に何に固執し、何を貪り、気にかけることがあるのでしょうか? もしも心が得失、煩悩、愛と恨みの情にまとわりつかれた時は、実に苦しいものです。たとえ善念が起きても堅持することは難しいのです。
人の善悪は綱引きのようです。いったい善の力が大きいのでしょうか。それとも悪が大きいのでしょうか。人が多ければ力は強くなります。善行と造悪はその一念にあるもので、時を把握して福業を積みましょう。
新竹のボランティア曽志龍は十五歳の時、やくざ組織に入って、薬物関連の犯罪を犯して捕まり、何回も刑務所を出たり入ったりしては、両親を悲しませ苦しめてきました。その度に改めようと思っても、悪の力はまた彼を引き戻し、人生を無駄に過ごしていました。
家族皆があきらめて彼を見放そうとしていた時、慈誠隊員(慈済の男性ボランティア)の従兄の曽清泉が、彼を正しい道に連れ戻す決心をしました。ほかのボランティアの仲間たちも、刑務所へ面会に行って曽志龍に関心を寄せている中、「法」と大勢の力でついに彼を正道へ導くことができました。今年四十になった曽志龍は、今では従兄について環境保全を学び、一族伝承の布袋劇(ほていげき、台湾伝統の人形劇)に力を入れました。時には刑務所へ若者の指導に行って、「先生」と尊重されるようになりました。
無明が人の心を閉じ込めてしまうので、自分で造った業力は自分ではどうにもなりません。ですが、他人の助けを借りて自分自身も努力すれば解脱することもできます。曽志龍はついにこの世の監獄と心の監獄から脱け出して、真に自由の身になりました。
皆が善法を心に、その善念が途切れずに善の方向に向かうと、善の力が大きくなって世の中は平穏になります。
命を大切に
善の良能を尽くそう
福を大切に
人生を着実なものにしよう
花蓮県鳳林に住む林月華は若い時、夫と共に重労働によって家庭を維持していましたが、夫が事故に遭って何年も歩けなくなっても、一人で家庭を担っていました。どんな重労働にも耐えていましたが、ある時期、慈済の救済を受けていました。
家計を維持するため、病院で二十四時間看護の仕事もしました。患者の家族は林月華の細かい気配りに感謝して、お礼に上げたお金を彼女は患者名義で慈済に献金しました。林月華は、この善行によって患者が一日も早く健康になることを願っていたのです。
貧しくても欲のない善良な林月華に感動しました。しかし長期の過労によって免疫機能が低下して、全身性エリテマトーデスになり、医師は重労働をしないように注意しました。
病気と分かっても林月華は休むどころか、反対に「命を大切に」との一心で、一秒も無駄に過ごしません。子供たちも成長し、夫の健康も回復して仕事をしているので、自分は職場から離れて一心に慈済の環境保全をすることを決めました。
二○○四年、慈済委員の認証を受けた後、最も苦労とする環境保全を選んで、鳳林で一人目の環境保全ボランティアになり、バイクに乗って村々を回って回収物を集めていました。
林月華は家の前の空き地に、大きな日よけのパラソルを立てて、その下を回収物の分類所とし、それが鳳林唯一の環境保全所となりました。ボランティアの呂方釧が林月華の熱心さに感動して、回収物を整理するための鉄板の小屋を建ててくれたので、雨天の作業を心配する必要がなくなりました。
風雨も恐れず山から村々へ資源回収をしている林月華のことが村から村へ伝わり、感化を受けて行動を起こす人が続々と生まれました。今では鳳林地区に百三十カ所の資源回収所があります。平凡なか弱い女性が無数の人に影響を与えたのです。
林月華は貧しくても心は豊かです。善法を吸収して真心から奉仕をし、慇懃に福を大事にして、この世でよい縁を結んでいます。「信、願、行い」を用いて築いたこの人生は、着実で貴いものです。
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今年の人医年会に、トルコの胡光中とシリアのズーマ教授が揃って参加されました。ズーマ教授はシリアに長男と夫人を残していますが、国へ帰ることができません。現在、トルコのメナハイにある三カ所のシリア難民向けの学校で難民児童の教育に力を注いでいます。胡光中は教授が熱心に慈済に参加していると褒めていました。
大変不幸な目に遭っても、ズーマ教授は全霊を捧げて奉仕しています。今年の二月に台南で地震が起きた時は、メナハイの先生と生徒を連れて街頭募金をしていました。それは蓮の花が泥の中にあっても汚れないかのように、清く美しい姿でした。人が苦難の中にあっても打ちのめされない鍵は、その人自身の一念にあるのです。
《法華経》の中で、仏陀が〈見宝塔品〉を講釈されていた時、空中高く七宝塔が浮かび上がり、塔の中から「善なり!善なり!」と言う声が聞こえてきました。大楽は菩薩に、仏陀との因縁をお聞きしたいのですが、と言いました。
「宝浄という国に、仏号を多宝という仏がおられました。その仏が菩薩道を行われていた時に大誓願をされました。かりに私が滅度した後、十方国土において法華経を説法している所が私の廟塔であり、経を聴くためその前に人は涌出で、讃言善哉の証明をする」と仏陀はそれを説明されました。
遠い昔の時代、多宝仏が入滅する前に発願しました。将来《法華経》を講釈する所には、宝塔が目の前に現れるから、一に経を聴けば、二にこの経が世を救う良方であることが実証されるというものです。
諸仏は衆生を憐れみ、広い所までその身を現され、人々が悟ることを願っておられます。宝塔はどこにあるのでしょうか? その実、人々の心にある霊山塔が、真如の本性ということです。ただ「仏の心を己の心」とすることが必要で、人々はみな仏の分身なのです。自性を反観できると宝塔は目の前に現れます。
至る所にいる苦難の衆生は、あるものは環境上の苦、あるものは心霊に苦があります。この世の菩薩である慈済人は、同じ志の道を進みます。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の「六度」で衆生の心を慰撫しし、善の方向へ誘導しては、所々で機会に応じて教えることです。世界人医会の真心からの奉仕、長年にわたる環境保全の菩薩たちは、人類を護っている十方諸菩薩のようではありませんか!
法を実践する所には仏の分身が現れます。人々が菩薩心を抱いていると、所々に菩薩が満ちてきます。千百億の菩薩の化身が空にあるかのように、苦難の衆生の布施に応え、衆生の需要に応じて奉仕するということです。皆さんのさらなる精進を願っています。
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