「安全に暮らす」ために住環境を改善することは、年長者や体の不自由な人にとって重要な「災害対策」という意味を持つ。家一軒、マンション一棟全体の修理から、室内の床の滑り止めの工夫に至るまで、それらは命の安全を保障するために必要なのである。
社会的弱者の住環境を改善することは、慈済の半世紀にわたる歩みにおいて、一途に続けられて来た活動の一つとなっている。
家とは、雨風をしのぐ場所、安全で安心できる住まいを持つことは生きるための最低条件であるが、社会的弱者の人々は、それは望んでも得られないものと考えてしまう。私たちは慈済の慈善活動を通じてたくさんの貧困家庭と接してきた。みな住環境を改善したくてもできず、ほかに選択肢がないので、みすぼらしいあばら家に住み続けるしかないのだ。中には家畜小屋を仕切って住んでいる場合もあり、風雨に吹きさらされ、蛇や虫の侵入に怯え、酷暑極寒は堪え難く、その上いつ倒壊するか、あるいは漏電で火事を起こすかもしれない有様なのである。全く気がかりで心配が尽きない。
政府は社会的弱者への住宅修繕補助予算を毎年組んでいるが、経費には上限があり、審査基準にも制限があるので、多くの場合全面的な援助や直接的改善になっていない。それが慈済の慈善修理の場合、それぞれの家庭に合わせて必要な修理を確実に行っている。要請があればすぐに駆けつけ、どれだけ時間と金額がかかろうと構わず、彼らを親のように思い、「自分の家を建てる」ような気持ちで気を配り、安心して暮らせる温かい居場所を即座に作り上げることにしている。
上人の教えでは、善に大小は関係ないのである。そのため、慈済の住環境改善ボランティアで行う修繕項目は、建物全体の修理から浴室の手すり工事、床の滑り止め工事、バリアフリー措置にまで実に多岐にわたっている。安全に暮らすという最も基本的な権利が保障されるように、という願いがあるからである。それは年長者や体の不自由な人たちにとっては、もう一つ大切な「防災」という役割をも担っているのだった。
上人はそのお諭しのなかで、慈善志業は民族や国境、宗教の違いによって区別してはならない、ただ合法的に必要なことをやり遂げることが大切だとしている。住環境の改善を無償で行うだけでなく、それに携わるボランティアも内容が適切であるかどうかよく考慮する必要があるのだ。家や土地の法的権利が曖昧であったり、持ち主の親族の間で意見が分かれている場合、ボランティアはまず何度も説明し、意志の疎通をはかる。違法となる場合には代替案を提案したり、危険な場所に住居がある場合は速やかに平地など安全な場所へ移るよう指導するのである。
修繕だけでなく、慈済は「人文教育」も重視している。ボランティアは案件を引き受けた時から「感恩、尊重、愛」の気持ちを胸に抱いて仕事を進める。その人の生活習慣や希望をよく考慮し、時には提案をして調整しながら十分に話し合い、その後もよい環境を維持してくれるように指導を重ねていく。修繕を一つの学びと成長の機会ととらえているのだ。またご近所や居住地域の人たちにも問題に感心をもってもらうよう呼びかけ、相互扶助の精神を啓発している。
私たちは多くの社会的弱者とその居住地域で、慈済ボランティアが無償の善行を行い、自ら考え、最終的に寄付をしたり会員になったり、見返りを求めずに社会を良くしていこうと努力する姿を数多く見て来た。
一九六七年、慈済は生活苦の中で失明した花蓮県吉安郷に住む独居老人、李阿拋のために家を建てた。これが慈済の「大愛住宅」第一号である。「大愛住宅」とは大愛を家の梁、智慧を壁と考え、真摯な真心でもって建てられ、その精神は変わらずに今日に至っている。私たちはまたこうして援助を願い出てくれる弱者の人たちの気持ちに感謝し、心から尽くしているボランティアや一般市民の奉仕にも感謝を忘れない。
八十六歳の老人、関さんは借家に一人で住んでいるが、その住まいには驚かされた。そこは古いアパートで、一坪から五坪に仕切られた広さの違う部屋が二十二部屋あり、退役軍人や高齢者が暮らしているのだった。浴室は室外にあり共同で使っている。慈済ボランティアはアパートの中の廊下と浴室に手すりをつけ、湯沸かし器を設置した。また壊れていた流し台を新しく取り替えた。関さんが手すりに捕まりながらゆっくりと進む姿を見ると痛ましく、せめてこのような安全措置を施すことができて本当によかったと思う。
統計によると、台湾の年長者の疾病の原因が、劣悪な住環境が引き起こす転倒による確率が高いという結果がある。政府の関係機関や弘道老人基金会、エデン基金会などの民間団体も、社会的弱者や年長者にかわって住居修繕補助を申請している。慈済も積極的に「住環境の改善」を推進していく所存である。浴室や階段、廊下の手すり、室内の照明、床の滑り止め、バリアフリーの設置など、やるべきことは山ほどあるのだから。
|