慈濟傳播人文志業基金會
弱者の家をリフォーム
 
日本の有名な娯楽番組「大改造!劇的ビフォーアフター」は
建築士が古い家を家主の理想に沿った家に改造するものである。
台湾では慈済ボランティアが弱者家庭の家を修繕している。
その家は以前、夜中に雨音がすると、雨漏りしない場所に移動していたが、
今は安心して眠ることができる。
このことが恥ずかしくて、子供は友達を家に呼ばなかったが、
今は何の心配もなく、友達を家に招いている。
慈善の修繕によって、かつて帰りたくなかった「家」が帰りたい場所となった。
 
雲林県褒忠郷のお年寄りは長年、板とブリキでできた粗末な小屋に住んでいたが、メディアに取り上げられたことで多くの人が関心を寄せた。慈済は案件の報告を得て査定した後、その古い住まいを修繕することを決定した。
 
慈済の専任建築士である陳文亮は朝早く台中県の家を出て、車で隣の彰化県二林に向かった。この日は呉さんの古い家を修繕するために、数人の作業員と共に、土台にセメントを流し込む作業を行った。
四十年以上の歴史をもつ竹組みの家屋は、屋根の骨組みが虫に喰われて雨漏りしていた。家にはトイレもなく、電気の配線はむき出しになったままで、人が住めるような状態ではなかった。呉さんは普段、地下水を汲み上げて体を洗い、冬の間は屋外で湯を沸かし、それを屋内に運んでから使っていた。台中で働いている娘が戻ってきても泊まる部屋がない。
六十を過ぎている呉さんは、農作業をしながら癲癇持ちの妻の世話をしている。妻は毎月三千五百元の障害者手当をもらっているが、呉さんは時間があると仕事に行き、家計の足しにしている。
その日の午前中、怪物のように巨大な生コン車が狭い村の路地に停まっていた。陳文亮は慈済ボランティアが来るのを待って、作業を始めた。狭い空間を皆は猫車で休む間もなく往復し、やっと土台にセメントを流し終えた。隣人は呉さんの訪問ケアに度々訪れる慈済ボランティアと顔見知りになっていたので、数時間の不便を快く了承してくれた。
日が昇る前に仕事に出かけていた呉さんが帰宅すると、作業の仲間入りをし、家の修繕に力を尽くした。
翌日、陳文亮は再び早起きして、真新しい給湯器とガスコンロをおんぼろ車に乗せて雲林県虎尾の邱さんの家に向かった。数十人のボランティアがもう邱さんの家の前に集まっていた。雨が降ると必ず雨漏りしていた古い家の屋根瓦を取り替えるためである。作業効率を上げるため、リレー方式で一枚ずつ取り外した。
邱さんの家は六十年の歴史を持つ台湾の伝統家屋、三合院式の家のかたわらにある薪小屋で、屋根に穴が開いているだけでなく、梁も柱も変形し、屋内のセメント敷きにも亀裂が入っていた。屋内には浴室もトイレもなく、子供たちが休日に帰ってきても泊まる部屋がない。人伝に邱さん一家の窮状を聞いた慈済ボランティアと社会福祉課の職員が調査訪問し、浴室、トイレ、台所を設置することが決まった。そして、薪小屋を改修して子供たちが泊まれる部屋にした。
家屋の修繕は、お金を用意して専門の人にやってもらえばどうということはないと思うかもしれない。しかし、ともすると数万元(一元は約三円)から数十万元かかる費用は、経済的能力がなかったり社会福祉資源に頼って生活している人にとっては、天文学的な数字に聞こえる。慈済慈善志業の中には修繕という項目がある。自分の家を修理する経済的能力のない弱者家庭の場合、ボランティアが状況を見て社会福祉課と建築関係者と一緒に現場を視察し評価を行い、修繕支援を行うかどうか決定する。修繕する時も慈済ボランティアが作業員として働き、出費を抑えることができる。
 
陳文亮は弱者家庭のために至る所で家屋の修繕を行っている。彰化に行ったついでに案件の家を訪れ、リフォームした後の台所の使い勝手を見に行った。
 
 
倒壊危険のある家屋をくまなくチェック
 
陳文亮は慈済基金会営建処の専属建築士の一人で、ボランティアが弱者家庭のための家屋修繕の見積もりを出す際に、専門家として助言を行っている。この三、四年の間だけで彼は百軒以上の住宅の安全性やリフォームなどに関わってきた。
「浄化槽だけでも昨年一年間に数十個建設しました」。台湾では貧富の差が大きいとは言っても、陳文亮はまだこれほど多くの人が水洗トイレを使用していないことにびっくりした。家によっては近くの廟でトイレを借りたり、屋外に穴を掘っただけのトイレで用を足していた。
陳文亮はよく雲林や彰化、苗栗など辺鄙な地方に出かけるが、時には往復で二、三百キロになることもある。二十五年乗ってきた彼のジープは走行距離が五十万キロ近くに達している。この数年来、弱者家庭のために奔走してきたが、ボランティアには彼が人間GPSのように見える。彼がいつも辺鄙な畦道や廟、水路、堤防、魚の養殖場などの間を抜けて素早く目的地に辿り着くからだ。「何回も間違えれば覚えられますよ」と陳文亮は笑って言う。
かつて台湾の多くの重要公共建設に関係し、数十億、数百億元もの大型建設に携わってきた陳文亮は、二、三十万元の予算で家屋を修繕する時も、同じように細心の注意を払って取り組んでいる。「節約できるところは節約し、壊すべきところは壊します」。慈済のリフォームは効果的に風雨を遮断したり予算を抑えるだけでなく、耐久性に優れた材料を使ったり、古い家に適した伝統的な修繕工法を用いるようにしている。
「弱者家庭もそれぞれ状況が異なるため、一件一件のリフォーム案で試されているようなものです」。陳文亮によると、各家庭は背景が違う。「家族構成は何人ですか? 男性と女性の人数は? お年寄りや子供はいますか? 障害者はいますか? 」。目標は家屋のリフォームだが、空間を使用するのは他ならぬ人間である。それだから彼は、「この家族はどうやってお湯を沸かしているのか? 給湯器の設置場所は安全か? 毎日使っているのか? 風呂場とトイレはあるのか? 電気の配線は老朽化していないか? 」などの細かいことにとくに注意を払う。
生活習慣は日常的な空間配置と安全性に関係してくる。慈済の専門チームとボランティアが案件の家をチェックして見積もることは即ち、その家に「人間ドック」を受けさせているようなものである。
真新しいものを建てるのは難しいことではない。図面通りに作ればいいからだ。「しかし、リフォームや修繕は問題箇所を見つけなければなりません。医者が患者の病気の原因を見つけ出すのと同じです」。陳文亮は、これまで多くの弱者家庭の家の雨漏り箇所を見つけ修繕してきた経験から、より熟練した建築経験が必要であると共に、臭くて汚い環境に耐えなければならないと考えている。
 
安心して住むために家屋の修繕をすることは重要なことだが、それ以上にボランティアは弱者家族の心身の健康と家族間の情に関心を寄せている。工事が終わっても引き続き訪問し、生活に必要な物資を提供したり、医療や教育支援を行っている。
 
 
オーダーメイドの修繕は
心遣いが行き届いていて実用的
 
南投市で一人暮らしの陳乞食は今年七十八歳で、住居は八卦山脈の稜線上にある。百年近く経つ古い家は、至る所で腐蝕しており、破れて雨が降るとすぐに雨漏りする。二〇一五年、台風十三号と二十一号の二回の来襲で寝室の屋根が破損し、彼は居間に軍隊式の折り畳みベッドを置いて寝るしかなくなった。そのほか、多くの扉や窓、照明器具などは壊れたままで、電線はむき出しになり、給湯器は古くて使えない状態で、安全性と質に問題があった。
陳乞食の唯一の収入は月七千元の農民手当で、持病の薬の代金と生活に必要な経費を除くと、自分で家の修繕をする余裕はない。現地の慈済と町長の要請で、陳文亮とボランティアが視察し、その古い家を修繕することを決定した。
台風の後、彼は多少でも経済的支援をしてくれる慈善団体はないか聞いてみた。屋根から雨漏りさえしなければよいと思っていたが、思いも寄らず、ある団体が全体的な修繕を引き受けてくれたのだ。
その家の裏半分の壁は「土埆厝」と呼ばれる今では貴重な伝統的な泥作りの壁で、専門家たちは「古跡を修復する」姿勢で臨んだ。壁の外側は硬質のペンキではなく、柔らかい石灰を塗り、木の窓枠は昔風にした。また、割れた屋根瓦は銀灰色の伝統的な瓦を模倣した物を使った。
普通、最も簡単な修繕方法は、屋根瓦を撤去してトタンを敷くのだが、保存する価値のある古い家や三合院はトタン屋根にするとちぐはぐになってしまう。時には全体的に景観との協調性を考慮して、木材で梁を作り、屋根は防水加工した後、取り払った元の瓦を敷き戻して、元来の伝統的な容貌を残すのだ。こういう方法は手間ひまはかかるが、専門家たちは価値のある仕事だと思う一方、居住者にとっても意義深いものだ。
陳乞食の古い家はできるだけ元の外観を残しているが、家の中は数多くの鉄骨で梁や柱にし、軽量の鉄骨で天井を作っている。「オーダーメイド」であると同時に、伝統と現代観を兼ね備えた修繕と言える。
それだけでなく、専門チームはお年寄りが毎日、ガスで湧かしたお湯を浴室まで運んでいたことを知っており、今回は電線を余分に一本引き、浴室に電気給湯器をつけることで、格段に便利になるだろう。「あれほどの歳なのですから、思いやるべきです」このように一体的な修繕は十数万元の費用と一カ月以内の工期をかけて完成し、お年寄りの居住の質を改善した。
「慈済が修繕する時、考慮するのは一家で暮らすのに適しているかどうかです」。陳文亮はいつも日本のテレビ番組「大改造!劇的ビフォーアフター」のように、少ない経費で最大の修繕を行うことを目指している。自分の専門分野で人の役に立てることを嬉しく思っている。
彼の同級生たちは豪邸や大規模な工事を請け負っているだろうが、彼は弱者の住居修繕に忙しい。しかし、家屋の修繕が「才能を無駄にしている」とは思わないばかりか、逆にとても意義があるものだと達成感を感じている。「修繕という仕事ははっきりと支援している相手または使用する人が分かってなくてはなりません。また、工期が短く、短期間に一家族の生活が改善されるのを目にすることができるのです」
 
ボランティアは一人暮らしの陳乞食お爺さんに対して、家族のように付き添い、相手の身になって日常生活の必要性を考え、素早く支援した。割れた瓦を銀色の昔風の瓦に敷き変えた後、陳お爺さんは快適に自分の家に住むことができた。(左/攝影・廖麗能)
 

 
ハードウェアの修繕で
情を取り持つ
 
慈済の弱者家屋修繕支援は早期の大半はボランティアたちが計画を立てて支援していたが、あまり専門的なやり方とは言えなかった。今は慈済基金会営建処が台湾全土で専門家による支援を受け、より完璧に案件世帯の世話をすることができるようになった。
中部地区の経験豊富な訪問ボランティア洪琇娥は、二十数年前、彰化のあるお年寄りの古い家をボランティアと訪れた。お年寄りは九枚のガラスが割れていた扉や窓をボール紙で補修して、しのいでいた。寒い天気の中、ボランティアは見るに忍びなく、素早く寸法を測り、ガラス屋に連絡して裁断してもらい、再び現場に戻って取りつけた。「とにかく、できることからやりました」
ある日、陳文亮は雲林県台西の案件家屋の修繕が相当な規模になることを知り、ペンキ塗り、水道、電気工事、内装職人など多くの人手を集めて、五台の車で向かった。清掃から工事の開始、そして終了まで丸一日かかってやっと八十歳を超えたお婆さんを家に戻すことができた。
貧しい人を救う慈済の特徴は一家を世話し、あらゆる角度から支援することであり、困難を見ればただちに方法を考えて処置することである。案件の家屋が借家であれ持ち家であれ、建物と空間の人に与える意味は非常に大切である、と慈済基金会台北支部の社会福祉部員である李玉華は言う。建物の環境が陰鬱だったり屋根から雨漏りして崩れたりしたら、住んでいる人は不安なまま生活することになる。この状況を変える能力がなければ、後悔と自責、悔しさに苛まれ、体調不良などを起こすことは想像に難くない。
彼女によると、建物を修繕した後、間仕切りや使い勝手が変わったため、外で生活している家族が帰って来る時に泊まる部屋ができたり、以前、同級生を家に呼ぶのが恥ずかしかった子供が今では招待できるようになったという。以前は雨になると雨漏りの水を受けるバケツをあちこちに置くのに忙しく、安心して眠ることができなかったが、今、環境が大きく改善されれば、家族の関係や感情にも影響を与えられるかもしれない。慈善の修繕によって家を家族が帰る場所にすることが、ボランティアの使命であり、この強い気持ちによって仕事を成し遂げているのだ。
 
 
 
NO.238