七月の始めに台風一号が台東を襲って被害をもたらました。慈済ボランティアは、いまだ恐怖の覚めやらぬ被災者六千世帯の人々を勇気づけるため、九月の月末に吉祥祈願会を催した。そしてボランティアたちは被災者が一日も早く復興できるように付き添い、家屋の修繕などを手伝った。
被災者が受けた陰影と傷が癒えて、安らかな家に戻れるよう、慈済ボランティアは常に第一線で慈善奉仕に努めてきた。多くの被災者が、復元された温かい我が家に入った時に見せる笑顔が、それを実証している。
「家の修繕」は慈済の慈善奉仕の様々な経験の中から、作り出された支援項目である。一九七五年に台風三号が台湾に上陸した時、花蓮は十七年間で最大風速の威力を受けて、台湾で最も被害甚大な地域になっていた。その時の救済で、證厳法師は多くの被災者は自力で修復できたが、自力で修繕できないのは貧しい人ばかりということが分かった。彼らは公有地に無許可で家を建てたために修繕ができなかったのだ。
その時、静思精舎の屋根も吹き飛ばされて修理の費用に事欠いていたため、ビニールで覆うより方法がなかった。それでも上人は貧しい人々のために、十五戸の鉄筋コンクリート造りの家を建てるための資金調達に、「慈済月刊」に寄稿文を寄せられた。これは慈済功徳会が貧困者に家を建ててから三度目になる。今回の規模は以前よりも大きく、土地の購入、建築費用は数十万元以上にたっしたが、幸い大勢の社会の愛を得て募金が集まった。
慈済のこの十五世帯の人たちに対する関心は、現在も続いており、家の修繕をしている。この支援は慈済の慈善奉仕の活動における一里塚となって、災難後の復建支援、あるいは貧しい家の修繕を行っている。ボランティアは訪問して実地調査をした後、支援計画を立て修繕している。
台湾社会の福祉制度は向上している。政府の弱者に対する家屋修繕の補助項目はあるものの予算は微々たるもので、ある國が認めて低所得者は補助の申請をしても下りなかった。また貧民に所有権がないため、修繕するとなると、いざこざが絶えず、スムースにはしなかった。年寄りの貧困者、一人暮らしの人や病人が自分住む環境を整理したくても、自分もできない。申請して補助が下りたとしても、実際に実施するのは難しい。
これらの条件をカバーするのは民間の慈善団体であった。今期の慈済月刊の主題報道にある「台湾宝島善行義勇団」は、弱者を対象にした家の建築、修繕が主要な支援項目だが、例外として政府または企業と慈善団体が協力して行うこともある。慈済ボランティアは村や路地裏や町へ行って、住宅環境の悪い家や破損しているのを見つけたら報告するように、おただちに修理に協力するからと言っている。
「慈済月刊」の記者と慈済基金会建築士は雲林、彰化の農村の慈済貧困支援家族を訪問した。その多くは祖先が残した竹造りの家に住んで不衛生であった。修繕チームは古い伝統的建築様式を尊重し、浴室とトイレを新しく作る以外に農村の景色や生活様式を配慮しながら修繕を行っている。
暑い日も寒い日もいとわずに、愛の避難所(すべての災難から避難できる温かい我が家)を、困っている人に与えたいと力を注いでいる光景は、この世で最も美しいものである。
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