慈濟傳播人文志業基金會
国境を超えて お袋の味を届ける
ボランティアの願力
 
ボランティアは被災地で日焼けして黒くなり皮膚が乾燥していたが、夜は調理の当番がある。南アフリカのママ慈済委員は見るに忍びなく、国境を超えて調理しに来た。
 
モザンビークは同じアフリカにある。「私たちはアフリカの慈済人です。被災地でひと月、南アフリカの青年たちを見てきましたが、皆真っ黒に日焼けして痩せているのです。もっと早く一緒に来るべきでした……」と南アフリカのママ慈済委員である張白玉は目頭を熱くした。
 
南アフリカの調査ボランティア蔡凱帆と黄騰緯は三月二十八日にモザンビークに来て支援を開始すると、毎日の出来事を写真と文章でSNSや慈済ネットワークに載せてきた。そして間もなくママ慈済委員に知られるところとなったのは、二人が真っ黒に日焼けして痩せてしまい、夜は疲れきっているのに他のチームと順番で夕食を作らなければならず、忙しさから何日も同じ服を着たままでいるといった有様だったからである。
 
そこで被災地の宿泊施設と交通事情が落ち着いたことを知ると、張白玉、許妙鈺、蔡秀麗、林昭汶の四人は直ちに五月十日、南アフリカのヨハネスブルクからモザンビークへ炊き出しに向かった。
 
調査ボランティアが借りていた事務室とキッチンは狭く、ガスコンロ一つとフライパン一つ、三人か五人分の皿があるだけだったので、彼女たちはガスコンロをもう一つと鍋を二つなど必要な物を買い足した。支援に来るボランティアは益々増え、彼女たちはその小さな空間で、里芋粥や焼き麺、木耳の和え物、台湾風煮物等を含めた中国料理を作った。施療チームが到着すると、彼女たちは早朝四時にはホテルから一キロ離れたその狭いキッチンで百人分ほどの食事とお茶、デザートを用意した。
 
彼女たち調理チームは食材を浪費しない原則の下に、前日に買い出しに行った。市場や商店では手振り身振りで食材や必要道具を買ったが、毎日何度も道に迷って目的地の商店にたどり着く有様だった。
 
●調理チームと黄騰緯(左から二人目)は皆、南アフリカから来て、協力し合って任務を果たした。(撮影・蔡凱帆)
 
五月二十一日、三回目の施療活動がベラ市カトリック大学で行われた。調理チームは百八十人分のランチが必要だと聞いて、一人にサラダパン一つ、ゆで卵一個、バナナ一本とジュース一缶を用意した。その他、おむすびとお菓子、コーヒー、冷たいお茶なども準備した。しかし、受け取りに来る行列が次第に長くなったと知るや否や、即席飯と即席麺を調理し、ほかにも外でパンを買って来て急いでポテトサラダを作った。
 
四人から成る調理チームはモザンビークに半月滞在した。自分たちも疲れてはいたが、異郷にあるボランティアたちが食べなれた自国の料理を喜んでくれたことが嬉しかったとチームの一員である林昭汶は語ってくれた。三十過ぎの息子が二人いる彼女は仕事を休んで調査チームの若者たちを世話しにやってきたのだ。「調査ボランティアの人たちは平均年齢が三十七歳だと聞きました。親心から食事の支度をしてあげただけです」。
 
レストランを経営したことのある許妙鈺の料理はバラエティに富んでいたが、もう一人の蔡秀麗は南アフリカの自宅では使用人が三食を作ってくれるので、あまり自分で料理を作らない。それでも施療会場に行った日は馴れない手つきで海苔巻きおむすびを作った。「診療に忙しく、食事をとる時間のないお医者さんたちへ体力補給のためにと持って行ってあげました」と言った。
 
こんな場面もあった。青年ボランティアたちが彼女たちの作った弁当を持って仕事に出かけ、木陰で「お袋の味」を幸福そうに食べているのを見かけたのだ。その瞬間、この半月の苦労が何もかも報われて満たされた。
(慈済月刊六三二期より)
 
NO.276