慈濟傳播人文志業基金會
十八カ国の言葉と一つの道理
ごく簡単な言葉の中に深い意味が秘められている『静思語』を、如何にすればより多くの人の目に触れて理解してもらうことができるでしょうか。
心に十分な充実感が涌き上がるまでの翻訳のプロセスは、既に一つの心の工程なのです。
 
「自分を過小評価してはならない、人は誰でも無限の可能性を秘めている」。「一番見極め難いのは自分自身である」。「行動に移さないから難しい、足を踏み出さなければ、道は遠い」。簡潔で誰にでも分かるこれらの一字一句が、この三十年来どれほどの人に影響を及ぼしたか計り知れません。アメリカの刑務所の受刑者、銀行強盗をたくらんでいたところで静思語が目に留り、幸い寸前で考え直した台湾の若者、また人生を彷徨っていた大勢の人や、自分の存在価値に疑問を抱く人、生きることを諦めようとしていた人等……。
 
文字は形があってそれぞれ異なっていますが、意味は形がないのに通じるのです。『静思語』は適切な翻訳によって、 異なる言語の読者にも共感を呼び、深い道理を感じてもらっています。しかし、それぞれ国の文化や人情が違うと、言葉遣いと理解も違ってきます。どうすれば適切に翻訳ができるのでしょうか。
 
慈済志業の報道を翻訳して二十五年になる慈済外国語チーム日本語組のボランティアである陳植英さんは、『静思語』をはじめ慈済の日本語版出版物の翻訳者と校閲者でもあります。彼は日本語の例を挙げて説明しました、「同じ漢字であっても、意味が全く違うこともあるのです」。
 
一つの例は、日本の工場には「注意一秒、怪我一生」と書かれており、その「怪我」という二文字は、日本語では「負傷」の意味です。それは「一時の油断が一生の障害をもたらす」という意味です。翻訳する際に一般的な言葉でも再考する必要があるのに、まして簡単な文句であっても意味深い静思語を翻訳するのは、なおさら容易ではありません。静思語はシンプルに見えますが、翻訳するのは極めて困難なことです」。
 
「簡潔な訳文で正確に深遠な意味を表現する必要があります」。
 
「意味を完全に理解した上で、日本語に書き直し、人々が理解できるようにしなければなりません」と陳植英さんは指摘しました。
 
仮に中国語の静思語が三行あるとして、最初の翻訳者が七行または八行に訳した後、陳さんは翻訳チームと再び討論し、文の構成を調整したり語句を選びながら四行ほどの簡潔で絶妙な文に仕上げています。「簡単且つ適切で分かりやすく表現することが大事です。過剰に解釈するのはかえってよくありません」。
 
確かに、文章を簡単で要領よくまとめ、さらに「信、達、雅」に達するのが良い翻訳なのです。翻訳を一言で言うならば、「ジグソーパズル」にちょっと似ていると陳さんは言いました。「まず、翻訳する前に文章の構成を配置転換しながら翻訳する目標言語の『思考モード』で表現するのです」。
 

言葉は善念を広める媒介

過去三十年間、静思語はすでに十八カ国の言葉で出版されています。世界で最も話されている言語トップ十の「人口」と「影響力」を見ると、『静思語』はほとんどそれらの言語に翻訳されていることが分かります。
 
『静思語』のドイツ語版は二〇〇〇年に出版されましたが、その翻訳者ロスリさん(Gertraude Roth Li)は、ハワイ大学のドイツ系アメリカ人学者です。翻訳した当時、彼女はドイツ人が仏法に興味を持つようになってきたと感じていました。また、東西ドイツの統一によりさまざまな社会問題が生じたことで人々も心の安定を必要としている時代でした。彼女は『静思語』の道理が一般のドイツ人の生活理念にとても近いと気がついたそうです。
 
中国語に堪能な彼女は、まず中国語版の『静思語』を理解し、それから英語版を読みながら、ドイツ語の表現方法を考えました。「良い教師は、ごく簡単な言葉を用いて意味深い道理を伝えることができます。證厳法師は教師としても大変優れた方だと私は思います」。
 
『静思語』英語版第三巻の翻訳者でアメリカ人ヘルマーさんも、「『静思語』の翻訳プロセスは自分自身の鍛練でした。静思語のどれを取っても善の考え以外の何物でもないからです」と認めています。彼はカトリック教徒ですが「愛に国境と宗教の別なし」という言葉に賛同しています。
 
ミャンマー語の翻訳者はミャンマー華僑の蘇金国さんで、サイクロン・ナージス災害の後に慈済ボランティアになりました。今年七十五歳の彼は「現地の農民が静思語を通して慈済と證厳法師に出会うのを見て、自分への励みになりました。静思語は短い言葉ですがその道理が人の心に届くのです」と言いました。
 
かつて国立政治大学のアラビア文学科で教鞭を取っていた利傳田さんは、アラビア語版の『静思語』の校閲を手伝っていた時、アラブ世界の文化は特異性があるものの、実は『静思語』が説く多くの人生哲学がイスラム文化と適合するということに気づきました。

その気さえあれば、誰にでもできる

二十一年も前ですが、『講義』という雑誌が「四十二の代表的な中国の著作の中でのこの一冊」を読者に尋ねた結果、證厳法師の『静思語』が儒家の経典『論語』に次いで、二位に選ばれたのです。『静思語』は如何に人々から愛読され、共感を呼び、広められているかが分かります。
 
陳植英さんは、「年をとるにつれ、善行と親孝行は待ったなし」に気づくようになったことを認めています。『静思語』には抽象的な言葉はあまりなく、とても身近で実用的な智慧の語録であり、しかも、その気さえあれば誰でも実践できるので、迷いを解いてくれる実用的な生活の辞典と言えましょう。
 
翻訳を通して、そのような示唆に富んだ話と人を激励する言葉が、異なった言語の世界に広められています。それは證厳法師の本意であるだけでなく、人々に幸せをもたらすものです。
(慈済月刊六三五期より)
NO.276