問:親として、「子供には愛情は必要だが、甘やかしてはいけない」
ことは知っていても、甘やかしと愛情の見極めが難しいのです。
答:確かに甘やかしと愛情の見極めは付けにくいものです。親は往々にして甘やかしていることに気づいていません。甘やかしと愛情について、作家の呉若権さんは独自の見解を示しています。
「甘やかしは一方的に与えることであり、愛情は双方の交流です。甘やかしは自分を犠牲して相手を満足させることで、愛情は互いに妥協し合って双方により大きな利益を生み出します。甘やかしはコミュニケーションを取らずに相手が知っているだろうと勘違いすることであり、愛情はコミュニケーションと暗黙の了解の下に、お互いに何が本当に必要なのかを理解することだと言えます」。
台湾社会は少子化の時代に突入し、教育の専門家たちは「子供を甘やかしてはいけない」と呼びかけています。親たちは子供を過度に保護し、衣食住から行動まで全て決めてあげるため、「ヘリコプター・ペアレント」と言われる所以です。そうすると子供は、全てが当たり前と思い込み、感謝の気持ちが湧かず、「小覇者」や「お姫さま」となってしまうのです。
證厳法師は親たちが「母の愛で以て世の子供を愛し、菩薩の智慧で以て自分の子供を教育する」よう教えています。
どうすれば子供を甘やかされず、自立精神と責任感を持った人間に育てることができるのでしょうか。
早めに手を放すのも愛情の一つです:
親は機会を作って、子供に早くから選択と決定を学ばせるのです。全てを按排してしまうと、子供は首に餅をぶら下げた怠け者のようになり、いくら十分な食べ物を用意しても結局餓死してしまうのです。
息子が初めて幼稚園の教室に入った時、先生が最初に教えたことは、お母さんにさよならを言うことでした。そしてお母さんに早く幼稚園を離れるよう促しました。先生に連れられて行った子供の小さい背中を見ると涙がボロボロこぼれましたが、一日も早く団体生活に慣れて、自立精神を身につけるためだと自分に言い聞かせ、振り切りました。案の定、子供は二週間後、新しい環境に慣れ、毎日学校に通うのを楽しみにするようになりました。
その反面、今の新入生は祖父母や両親たち大勢の人が教室の外で見学し、教室の中の生徒数よりも多いほどになっています。それは授業の邪魔になるだけでなく、子供たちの集中力にも悪影響を与えます。子供たちが自立できるよう、親はできるだけ早めに手を放しましょう!
責任感を養うのも愛です:
子供が小さかった時、賞罰表を作る手伝いをしたことがあります。例えば「毎日学校へ持っていった物は持ち帰る」という項目では、覚えていれば「○」を付けて十分間パソコンで遊ぶことができるようにし、「×」だった場合はパソコンで遊ぶ時間を十分間短くしました。子供はたくさんパソコンゲームをしたいため、自分がやるべきことをするようになり、徐々に責任感も形成されていくのです。
下の息子が小学校三年生の時、一度筆と筆巻き、硯などの書道の道具を学校に置き忘れて来たことがありました。すぐに捜しに戻りましたが見つかりませんでした。息子が泣きながら私に許しを請いましたが、私は心を鬼にして四つの「×」を与えました。その日から二度と忘れ物はしなくなり、後日、他の町の学校に寄宿したり、外国へ行く時の荷造りは全て彼自身がしました。持って行くべきものは一つも忘れず、物をなくす習慣は徹底的に治りました。今、私は超気楽な母親になったのです。
子供に奉仕を学ばせるのも愛です:
奉仕することには意義があって充実感が得られ、子供は喜んで努力します。いつも小言を言ったり責め立てては子供に前へ進む原動力を失わせ、結果は親が責任を背負うから自分は負わなくてもいいと勘違いするようになってしまいます。
賞罰表は子供に自分でやり遂げることを教えるのにも役立ちます。例えば文房具や玩具を片付けたり、自分でランドセルを整理して持ち物が揃っているかをチェックできた時に、親が「○」を付けて褒めることで、子供は自信が持てるようになるでしょう。大声で叱ったりせず、親子間の衝突を減らしましょう。
子供のしつけは骨が折れ、時間もかかりますが、うっかりすると将来への道を破壊してしまいます。しかし、「甘やかさず教育する」原則に従えば、子供に自己管理を身につけさせることで、その力でより大きな責任を担い、同級生や先生、将来は会社の社長からも信頼が得られるようになるのです。そのためにはどんなに困難でも、親は苦労してでも、一日も早く子供が自立して前に進むようにさせるべきです。
(慈済月刊六三七期より)
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