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心に恥ずることがなければ負担に感じることはありません。奉仕できることが最も幸福であり、欲を減らして足ることを知るのが最も楽しい人生なのです。
幸福な人生を喜ぶ
四月二十二日、慈済大学の劉怡均(リウ・イージュン)学長たちが報告を終えた後、上人はこのように言いました。
「私は毎日、自分の人生がとても幸福で価値があると感じています。私はどこにも出かけたことはなく、毎日、この小さな空間にいますが、一番の楽しみは皆さんの報告を聞くことです。私の人生観は現実的な方なので、しなければならないことを企画し、できる限り早く成し遂げるようにしています。これが『静思法脈勤行道』の精神のあり方で、正しいことは行動すれば良いのです」。
「私は自分の人生がとても幸福で、良い人ばかりに出会い、軽く言うだけで皆が親しみを持って応えてくれていることを嬉しく思い、常に感謝すると共にとても満足しています」。上人は慈済人のことをこう言っています。
「皆は心に仏法を携えているため、『甘んじて行えば、喜んで受け止める』ことができ、やるべきことは心して行い、見返りを求めません。どんなに大変なことにも甘んじ、世の人を利した時は大いに喜びを感じています。そういう喜びを感じることが幸福というものです」。
「彼らは楽をすることを求めず、体は疲れても心は軽やかで喜びに浸っています。そうなると、何を以て幸福の指標というのでしょうか?どう定義すべきでしょうか?私は何も所有していなくても、衣食住に困ることはなく、心がとても軽やかで安らぎを覚えているので、自分はとても幸福だと感じています。毎日、時間を無駄にすることなく成すべきことを成し、話すべきことを話します。いつ何時この世を去っても悔いはありません」。そして、心に恥ずべきことがなければ負担もなく、奉仕できる人生が最も幸福な人生であり、欲を少なくして足ることを知れば、最も楽しい人生である、と上人は言っています。「私は毎日、世の衆生のことを心配していますが、自分のことを心配したことはなく、とても満足しています。人生は無常ですが、精一杯やったという思いがあれば、泰然と物事に接することができるのです」。
上人によると、慈済人は皆、慈悲利他の精神を備えており、衆生が苦しみから逃れることを願い、自分の安楽は求めず、実際の行動で以て助けを必要としている人に奉仕しています。
「慈済人は真の人間(じんかん)菩薩です。私はこの大勢の人間菩薩に出会えたことをとても幸福に思います。彼らは異なった経歴を持っていますが、皆、見返りのない奉仕を買って出ています。彼らには明確な目標があり、それは愛で以て人間の菩薩道を切り開くことなのです」。
上人は慈済大学の教育が実務を重視し、学術上の研究だけに留まらないことを期待しています。
「愛の教育はとても大事です。学生が大学へ学びに来るのは卒業証書だけもらえればそれでいいのではなく、最も重要なのは体で実践することを身につけることです。もし、学術研究だけを重んじるなら、善行の価値観に欠けてしまうため、それは私たちの教育方向ではありません。彼らに実際に人々に福をもたらすことを教えて初めて、広く慈善と幸福の扉を開くことができるのです。真の幸福とはこの世に幸福をもたらすことであって、自分が楽をすることを追求するのではありません」。
「全く知識のない人を教育して知識を持たせ、その知識から一歩踏み出して着実に精進することができれば、彼岸に達することができるのです。もし知識の中に浸るだけで行動しなければ、学業を終えて学位を授かっても、ただ机の上で勉強しただけの学習にとどまり、実に価値のないものに終わってしまうのです」。
上人は、皆が志を一つに、心して教育が一つの方向に進み、教育の希望という光が見えていることに感謝しました。
生活に密着した教育
四月二十三日、教育志業体の管理職たちが精舎に戻って教育志策会を開きました。コロナウイルスの感染予防のために一堂に集まることをせず、科目によってオンライン授業をしていますが、王本栄執行長はそれを「天空学校」と表現しました。オンラインで講義を聞くだけでなく、同時に多くの人が異なる場所から話し合うことができるという現代科学の発達に上人は感謝しています。最近、各国の慈済人たちがオンラインで会話している様子は、あたかも菩薩が天空に集まっているかのようです。各国の慈済人の報告を聞いていると、天上に浮かぶ吉兆の雲から甘露が降っているようです。
また、上人は次のように言いました。
「毎日礼拝する時に、お香を薫いて陶器の器から細かい水蒸気で噴霧しますが、礼拝して顔を上げるとその蒸気が吉兆の雲のように見えるのです。自然界では空中に水蒸気が上昇し、凝縮して雨雲ができると、雨が大地に潤いをもたらしますが、空気中の水分は凝結して露になることもでき、一滴一滴の微小な水が大地に生気をもたらしています」。
また、各地の慈済学校で教師と生徒が愛の募金を募り、貯まった竹筒貯金箱を寄付しているように、普段から少しずつ貯めれば、人助けできる力となるのです。そして、「竹筒歳月」と斎戒、菜食することを呼びかけるのも教育の一環であり、愛と礼儀、徳を揃えて人文教育を生活の中に取り入れましょう、と上人は言いました。
(慈済月刊六四三期より)
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