自分の子供が病気になるまで、私の患者への慰めの言葉は口先にしか過ぎなかった。しかし、病に苦しむ子供たちの気持ちを痛切に感じとれる今、子供を安全に親元に返したいと思っている私の言葉は「心から」涌き上がる。
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血液がん患者の林志龍は今年二十五歳で、間もなく西オーストラリア大學(UWA)医学部を卒業する。麻酔科医師である彼の父、林真福は息子のガン治療過程を詳細に書き下ろした。その手記は慈済骨髄幹細胞センター二十六周年記念出版本『愛、随時存在する』に収められている。医師としての自分がいざ告知に向き合うとなす術も無い様子が描写されており、また一人の父親として子供を失う恐怖に茫然となり、取り乱す様子を綴った一字一句が実に印象深い。 |
先輩、採血の結果、多くの未成熟巨核白血球が発見されました。その上、血小板の数が非常に少なく…」。
「おそらく左肩関節の炎症がひどかったために引き起こされた敗血症かと思われます」。
「先輩、はっきり申し上げますが、お子さんの病気は血液のがんです」。
二〇〇九年の九月、私は救急外来で後輩から告知された。息子が初歩段階で急性白血病と診断されたのだ。「そんな事はないだろう?どうしてこんなことが…」その時の反応は一般の家族と同じで、「事実の告知」が患者と家族に与える、なす術のない気持ちが痛いほど分かった。
医師として患者に対して「事実を告知する」ことは厳粛な医学倫理の課題である。患者と家族は病状の告知を受ける権利があり、医療スタッフは誠実に実際の病状を告知する義務がある。しかし、臨床の現場で私たちはよく、患者がどれだけ知るべきで、家族は身内にどれだけ知って欲しいかの問題に遭遇する。
病状の全てを告知された患者の心理的な打撃や影響は、告知者が身にしみて理解できるものではない。それよりも事実を告知する対象者が自分の息子だとは…。
誰もいない廊下の片隅で私は幾度か息を吸ってやっと涙をこらえ、混乱する思考を整理してから、これからどのようにして息子と向かい合えばよいかを考えた。私も妻も息子は聡明で繊細な心の持ち主であり、病状を隠したりすれば信頼関係が揺らぐことは間違いない。だが全てを知らせたら彼の打撃が大き過ぎることを心配した。しかし、直ぐに手術とサンプル採取のための骨髄穿刺をしなければならない…。
家族が付き添っていない時を見計らって、私は訝しげな顔をした息子に向き合った。「お前は白血病に罹った。直ぐにでも治療を始めなければならない」と言った。
「どうして、どうして僕が?」彼はその二言を口にした後、涙で後が続かなくなったのを覚えている。私は静かに傍に座って彼を見つめ、涙を拭ってあげながら、事実を告げたのが間違いでなかったことを願った。
しばくして息子は気が鎮まると、とても理性的に白血病の治療について私に尋ねた。私は概略的に説明し、その後直面する挑戦について話した。しかし、彼はしっかりした口調で、「パパ、僕はあらゆる治療を受けるよ。ただ一つだけ約束して欲しいのは僕の脳を傷つけないこと。僕にはまだやりたい事がたくさんあるから」と言った。その日から私たちは一緒に辛く長い治療に臨むことになった。
非常に幸運なことに、息子が一時間の間に、ショック、拒否、憤怒から妥協、理解、治療への協力と変化したのである。もちろん似たような不幸なケースの中には、患者と家族が長い時間をかけて心の打撃を整理する場合もあり、果ては拒絶したり治療の手遅れに発展する場合もある。
私たちが事実を告知した話は誰にでも通用するものではないかもしれない。しかし、重い病気に罹ることは家族全体の戦いであり、共に奮闘しなければならないと私は思う。もし、患者或いは家族が独自にこの戦争に臨もうとするなら、必ずや何倍も苦しまなければならなくなる。それ故、家族と患者ができるだけ早く癌の告知による五段階の心のプロセスを乗り越えて、積極的に治療と向き合うことがとても重要である。
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●2010年3月6日、頼允政(写真中央)は慈済ボランテァイアの林淑芬(右から1人目)に付き添われ、大林慈済病院で末梢血幹細胞を寄贈した。当時院長だった簡守信(左から2人目)はわざわざ、感謝と祝福に来てくれた。(提供・大林慈済病院)
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家族全員で抗ガン計画に臨む
翌日、小児科血液腫瘍科の同僚が息子にサンプル採取の骨髄穿刺を行ない、骨盤腔にある骨髄組織を抽出して病理学的に最も確実な診断を下した。原則から考えると、急性白血病はリンパ球性と骨髄性の二つに大別されるが、臨床上では識別することは難しい。息子は発熱と骨の痛み、倦怠感、歯茎からの出血などの症状が出るだろう。異なった形態や遺伝型の白血病に対して、ケモセラピーの薬物反応によって病気の前後における差が非常に大きくなるため、サンプル採取の骨髄穿刺と骨髄組織検査は、段階的な臨床治療において最も重要なデータを提供してくれる。
早期発見と診断によって、息子は直ぐケモセラピーを受けた。骨髄の病理報告も出た。最悪の細胞形態ではなかったが、遺伝子的に分析すると比較的再発しやすい部類に属していた。そこで私たちは小児ガン専門医と話し合って、キーモの効果が出たところで直ちに、造血幹細胞移植をすることにした。
ケモセラピーは白血病治療において最も重要な過程であるため、子供の薬物に対する副作用を心配する外に、治療中、感染等の深刻な併発症を引き起こさないよう細心の注意を払うことが最も重要である。そこで十五歳の息子を新生児のケアをするように、特にマスク、手洗い、飲食の衛生面に気をつけた。
少しでも油断すると、白血球数が下がっているため、感染を引き起こせば、生命に危険を及ぼすだけでなく、その後の過程をも遅らせることになる。脱毛や食欲不振、嘔吐などの症状が出るが、これらは事前に息子に詳しく説明して心の準備をさせ、治療に支障が出ないようにした。
造血幹細胞移植は白血病を完治できて安心できる治療法である。なぜなら移植が成功すれば、自分の血球細胞は全て入れ替えられ、再発防止の効果がより期待できるからだ。
非親族間の造血幹細胞ドナーの場合、登録参加呼びかけに始まって、採血、登録、適合、連絡、そして移植を終えるまでの一貫した管理システムと膨大な人力が必要である。ドナーは寄贈する前に自分の健康状態を管理し、末梢血に造血幹細胞を動員するG-CFS剤を投与する。寄贈当日は静脈と動脈を使って末梢血から造血幹細胞を採取することになる。
證厳法師の慈悲心で設立された慈済骨髄幹細胞センターは、人知れず造血幹細胞を提供して人助けする慈善機関であり、私たちのように多くの子供に円満な家庭を維持する希望をもたらしている。社会においては様々な声や指摘はあるが、間違った情報はセンターの名誉が影響を受けるだけでなく、幼い命が失なわれて家庭の悲劇を引き起こすことになる。
造血幹細胞移植の過程はケモセラピーよりも遥かに大変で、更に治療の難易度が高いため、医療団体の膨大な資源が必要になり、ケアの方法も非常に複雑である。息子は移植室に十三日間滞在した後、やっと一般隔離病棟に移り、そこでまた、三十二日間入院していた。回復期間でも多くの問題を経験したが、移植室に入るよりはいいと息子が言った。
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●設立されて27年。世界の骨髄バンクで唯一ボランティアを主体にした機構。直接寄贈者と交渉し、専門情報を提供すると共に一貫した付き添いとケアを行なっている。
●2020年初、再度世界骨髄幹細胞寄贈者協会(WWDA)の認証を受け、造血幹細胞寄贈の流れが承認され、そのコーディネートの質の高さは世界の骨髄バンクと方を並べることとなった。
●2020年一月、202人の患者から適合依頼を受けた。
適合依頼数:60,958人
寄贈登録者数:441,770人
移植案件総数:5,588症例
(2020年1月31日現在)
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息子よ、少しも面倒ではない
息子はやっと退院した。その日、私は当直を終えて家に帰り、とても疲れていたが、翌日の朝食を息子と一緒に食べられると思うと、期待で胸がいっぱいになった。しかし、翌朝、息子の部屋に行って見たのは、枕元いっぱいに散らかった、血のついたティッシュだった…夜中から鼻血が止まらなかったが、私たちを起こすに忍びなかったのだという。
私たち夫婦は、一人は息子を抱えてバスルームで顔や手を洗ってあげ、もう一人はベッドのシーツを取り替えた。先ず病院に連れていくべきで、朝食はまたの機会にしようと思った。その時、息子は突然、便器に座ったまま顔面蒼白になって意識を失ってしまった。慌てて抱きかかえてベッドに戻し、応急処置すると共に点滴を打った。幸いにも直ぐに意識は戻った。左手の甲に刺された点滴針を見て、か弱い声で、「パパ、僕は面倒ばかりかけているね……」と言った。私は「そんなことはない、面倒なんてとんでもない」と返した。
救急車の中で息子の鼻を押さえながら、彼の呼吸状態を見て、心臓の速い鼓動を聞いていた。私たちはサイレンを鳴らし続けながら、台南から一路三百キロ離れた林口長庚病院に向かって走った。記憶の中では、それは治療の過程で最も危機的な状況だったと思う。その出来事によって、私たちはその病気に対してより慎重になり、忍耐強くなった。白血病の子供の世話には細心の注意を払わなければならない。それは煩わしさではなく、親としての責任なのだ。
子供が傷つくと親の心は永遠に痛む。息子が意識を取り戻した時に言った言葉は、今でも自制できないほど私を揺さぶる。息子よ、君は少しも面倒ではない。これは私たちのお前への生涯の約束だ。
心の底に焼き付いた堅い意志
やっと息子は手術室に入り、静脈ポート撤去手術を受けた(静脈ポートは大静脈カテーテルの一種でケモセラピーの薬剤投与に使用する)。心づかいが細やかな外科医は前回に手術した傷跡も丁寧に平になるよう処置してくれた。
手術前息子に、二年間付けていたポートを取り外したら、左肩が自由に動くようになるだろうかと聞くと、「左肩の動きは問題ないと思うけど、取り外したら、心理的に落ち着いて安心できるだろうね」と言った。
白血病を患った子供の体にはいくつもの烙印が捺される。左肩関節炎、静脈ポート、弱くなった皮膚、背中と四肢に残る皮膚のストレッチマーク、衰弱した心臓、大腿骨の両端の壊死、縮れた髪の毛、やせ細った体などである。彼の強い意志と永遠に諦めない努力、そして私たちの細心の世話によって、それら烙印は次第に薄くなったり消えたものもある。永遠に残るものもあるが、彼は強い意志で一段と高く飛んでいる。
それら烙印は多くの言葉では言い表せられない苦労の履歴であり、幾多の危機に面した病状と尽きない恐怖を物語っている。しかし、私たちはその中で慰めと感謝の気持ちを得た。病状が安定して退院した時はいつも、難関を乗り越えた喜びを満喫した。
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●ドナーの賴允政(左から2人目)は兄(左から1人目)に付き添われ、花蓮の静思精舎で林志龍(左から3人目)、母親、弟、父親の林真福との喜びの対面が実現した。(撮影・劉蓁蓁) |
より多くの成功で以て欠如に取って代わる
現在、息子は完治し、医者になる理想に向かって努力している。親としては子供の体力や抵抗力不足、疲れていないか、お腹が空いていないかなどを心配するが、彼が自立して人生の願望を叶え、支持してあげるべきである。病の苦しみを味わった子供は他人よりもチャンスを把握することができ、過保護は却って子供の前進を止めてしまう。また、彼が医学の道を専門にして初めて、私たちの代わりに彼自身で残りの人生の面倒を見ていくことができるのだ。
私たちはこのことによって、心から感謝し、あらゆる事は当たり前で、一切の資源は自然にあると思ってはならないことを学んだ。私たちは心から、息子自身の努力と家族が強く支え合い、医療チームの細心の看護、ドナーの愛、法師と慈済骨髄幹細胞センターの慈悲心に感謝している。息子が健康に成長することを願うだけでなく、私たちは病に苦しむ子供たちに、この感謝の心を貢献できることを願っている。
私は医療従事者だが、息子が病気になる前は患者に対する慰めは全て「口先」のものにしか過ぎなかった。しかし、息子のことがあってからは、病気に罹った全ての子供の苦痛が感じ取れ、親元に安全に返したいと思っている。これは私の「心から」の言葉である。
同様に、造血幹細胞寄贈者に対する感謝の気持ちは表す言葉が見つからない。人類と疾病の競争は永遠に終止符が打たれることはないが、もっと多くの成功が欠如に取って代わることを期待している。自分が幸運にも白血球の適合に恵まれ、健康なうちにドナーとして有意義に人助けすることで、不幸な家庭を救える機会に恵まれることを願っている。
(慈済月刊六四〇期より)
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